【藩名】
会津藩
【説明】
慶応4年(1868年)に鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)が勃発する。会津藩は、桑名藩や幕府軍とともに新政府軍と戦ったが敗北した。この戦の結果、朝廷は会津藩を「朝敵」とした。その後の奥羽戦線において、会津藩は「奥羽越列藩同盟」の支援を受け、また、庄内藩と「会庄同盟」を結ぶなどして新政府軍に抵抗した。二本松城が落城すると難所として知られる「母成峠」から突如新政府軍が進撃し、一気に会津城下まで迫った。会津藩は数ヶ月にわたり籠城したが最後は無条件降伏を受け入れて開城した。
この降伏により、会津藩領は松平氏から没収され、藩主「松平容保」は鳥取藩預かりの禁錮刑となった。
明治2年(1869年)に容保の嫡男「松平容大」は家名存続が許され、陸奥国斗南(現在の青森県むつ市)に斗南藩を立藩した。また、藩士の数名はカリフォルニアに移民した。一方、廃藩置県を前に会津藩の旧領は明治政府民政局による直轄地とされ、若松城下に明治政府民政局が設置された。
明治4年(1871年)の廃藩置県で会津地方は若松県となったものの、明治9年(1876年)には福島県と磐前県が合併し、若松県も福島県に併呑された。
【会津藩・場所・アクセス・地図】
〒965-0873 福島県会津若松市追手町1-1
【会津藩マップ】
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