【藩名】
二本松藩
【説明】
幕末期、第10代二本松藩主「丹羽長国」は江戸湾警備、京都警衛、天狗党の乱鎮圧などで活躍した。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と戦ったが、各地で敗戦を重ねて明治元年(1868年)7月28日に長国は米沢藩に逃亡し、翌日に二本松城は落城した。
この二本松城の攻防戦で特に有名なのが「二本松少年隊」の奮戦であろう。この戦いで多くの少年たちが命を落とした。この二本松城落城により新政府軍の次の攻撃目標が会津藩へと向き会津攻防戦が展開された。
長国は9月に降伏し、自身の隠居を条件として「丹羽長裕(米沢藩主・上杉斉憲の子)」が養嗣子として跡を継ぐことを認められた。このときに二本松藩は5万石を減封された。明治2年(1869年)の「版籍奉還」で丹羽長裕は二本松藩知事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で二本松藩は廃藩となり二本松県となった。
今も「二本松少年隊」を偲ぶ石碑が二本松城下に建立されている。
【二本松藩・場所・アクセス】
〒964-0904 福島県二本松市郭内4
【二本松藩マップ】
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