【藩名】
守山藩(水戸藩支藩)
【説明】
幕末期の元治元年(1864年)、「武田耕雲斎」「藤田小四郎」らの「天狗党の乱」が勃発し、守山藩でもこの乱に加わった者が多数いたため、多くの藩士が処罰された。戊辰戦争が勃発すると、白河小峰城が「新政府軍」に突破され形勢が不利になった際、戦う事無くして降伏した。
明治2年(1869年)の「版籍奉還」で最後の藩主「松平頼升」は守山藩知事となる。明治3年(1870年)には「松平頼之」が藩の政庁を常陸松川(飛地)に移したため、守山藩は「松川藩」と改められた。
翌明治4年(1871年)の「廃藩置県」で松川藩は他藩同様「廃藩」となり松川県となる。その後、磐城国内の旧藩領(守山)は白河県・磐前県を経て福島県に編入され、常陸国内の旧藩領(松川)は新治県を経て茨城県に編入された。
【守山藩・場所・アクセス】
〒963-1155 福島県郡山市田村町守山中町37
【守山藩地図】
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