【藩名】
三春藩
【説明】
戊辰戦争の際には他の東北諸藩同様に新政府側であったが、奥羽鎮撫総督参謀の世良修蔵暗殺と会津・旧幕府軍による白河城攻略による白石会議が「奥羽越列藩同盟」に変貌した為これに加わる。
新政府軍の「迅衝隊(土佐藩)」による棚倉城落城と、仙台藩の棚倉城防衛放棄ともとれる背信的行為、これに加え平潟の新政府軍上陸により防衛が不可能と判断され、「断金隊」隊長の「美正貫一郎」の尽力や郷士「河野広中」の斡旋もあり新政府軍に無血降伏をする。
これにより逆賊となることは回避され、藩内を兵災から守り、多くの人命が救われ、所領も安堵されて維新を迎えることが出来た。しかし、二本松藩や会津藩、仙台藩など三春藩と行動を共にしていた各藩からはこの背面行為は許せないものであった。三春藩の降伏により二本松藩は新政府軍から一方的な攻撃にさらされ城は落城した。
【三春藩・場所・アクセス】
〒963-7759 福島県田村郡三春町大町
【三春藩地図】
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