【藩名】
本荘藩
【説明】
六郷氏は戦国時代には出羽国山本郡六郷を支配する国人領主で、仙北七人衆の一に数えられていた。「六郷政乗」のとき豊臣秀吉の「小田原征伐(北条征伐)」に従軍し、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」では東軍(徳川家康)に与して小野寺氏を攻撃した。戦後その功績により六郷4500石から、佐竹義宣が移封された後の常陸国新治郡府中に1万石の大名として加増移封された。
元和9年(1623年)に最上氏が改易された後、その旧領である出羽国本荘に2万石で加増移封され、「六郷政乗」は本荘藩の藩祖となった。慶応4年(1868年)、一時的に「奥羽越列藩同盟」に参加したものの、久保田藩の呼びかけですぐに脱退した。同年7月、新政府軍に与して、奥羽越列藩同盟の庄内藩と戦うことになった。
しかし、軍勢が弱い上に武器が旧式だったため庄内藩の軍勢に敗れ、8月6日には「本荘城」に火を放って敗走した。藩主「六郷政殷」らは久保田藩に避難した。同年9月11日、奥羽鎮撫総督府から見舞金3,000両を賜る。同年9月下旬、明治新政府の援軍が来援したことで反撃に転じ、本荘城を奪回した。明治2年(1869年)6月12日、戊辰戦争での功績を賞されて永世1万石を賜った。
【本荘藩・場所・アクセス】
〒015-0871 秋田県由利本荘市尾崎8
【本荘藩地図】
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