タグ:1万石
-
鹿野藩/池田家1万石:池田政直 播磨国福本へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鹿野藩 【説明】 天正10年(1582年)、尼子氏の遺臣「亀井茲矩」が「豊臣秀吉」に1万3500石を与えられ鹿野城主となりこの地を治めた。慶長5年(1600年)、茲矩は「関ヶ原の戦い」にて徳川家康率い…詳細を見る -
狭山藩/北条家1万石:北条氏恭 天誅組の乱に出兵したが早々に新政府軍に従った北条早雲の末裔 狭山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 狭山藩 【説明】 第5代当主「北条氏直」は「徳川家康」の娘婿であり、北条氏規(北条氏康の五男)は「北条征伐」の和平に尽力し、豊臣秀吉とも会見していたという経緯から特別に許され、高野山での蟄居を命じられ…詳細を見る -
柳生藩/柳生家1万石:柳生俊益 初代柳生宗矩から将軍の剣術指南役を務め幕末を迎えた柳生藩【幕末維新写真館】
【藩名】 柳生藩 【説明】 柳生藩の初代藩主ある「柳生宗矩」の死後、1万2500石の所領は長男の「柳生三厳(十兵衛)」に8300石、三男の「柳生宗冬」に4000石、四男の六丸(列堂義仙)に200石、と分知された…詳細を見る -
興国寺藩/天野家1万石:天野康景 藩内の軽卒をかばったため本多正信により改易され廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 興国寺藩 【説明】 豊臣秀吉の北条征伐により、徳川家康が関東に移ると豊臣家三中老の「中村一氏」が駿府城主として駿河14万5000石を領し、興国寺城には家臣の「河毛宗左衛門」が入った。慶長5年(1600…詳細を見る -
敦賀藩(小浜藩支藩)/酒井家1万石:酒井忠経 本家小浜藩と違い一貫して新政府軍に与した敦賀藩【幕末維新写真館】
【藩名】 敦賀藩(小浜藩支藩) 【説明】 敦賀藩は天和2年(1682年)、小浜藩の第2代藩主「酒井忠直」の次男の「酒井忠稠」が父の遺領のうち越前敦賀郡・近江高島郡において1万石を分与されたことに始まる藩である。…詳細を見る -
松前藩(館藩)/松前家1万石:松前修広 正義隊の藩政掌握により新政府軍へ寝返った松前藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松前藩(館藩) 【説明】 明治2年(1869年)6月、14代藩主「松前修広」は「版籍奉還」にて館藩知事に任じられた。明治4年(1871年)7月14日には「廃藩置県」で館藩は廃藩となり館県となる。政庁は…詳細を見る -
常陸宍戸藩(水戸藩支藩)松平家1万石:松平頼徳 天狗党の乱鎮圧に失敗して切腹 改易された宍戸藩【幕末維新写真館】
【藩名】 常陸宍戸藩 【説明】 元々は「秋田実季」が5万石で入封したが陸奥三春藩へ転封のため、水戸藩の支藩として宍戸藩が立藩された。8代藩主「松平頼位」は水戸藩主「徳川斉昭」に同調して、軍事改革などを積極的に行…詳細を見る -
平戸新田藩(平戸藩支藩)/松浦家1万石:松浦脩 新政府の要請により上洛し恭順【幕末維新写真館】
【藩名】 平戸新田藩(平戸藩支藩) 【説明】 平戸新田藩は平戸藩の支藩で、藩庁は館山(長崎県平戸市)に陣屋を構えた。平戸館山藩とも言われている。元禄2年(1689年)、平戸藩5代藩主棟の弟「昌」が1万石を分与さ…詳細を見る -
松崎藩(久留米藩支藩)/有馬家1万石:有馬豊祐 親族の窪田藩主土方雄隆継嗣問題に巻き込まれて廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松崎藩(久留米藩支藩) 【説明】 松崎藩は江戸時代前期に存在した久留米藩の支藩である。藩庁は筑後国御原郡松崎(福岡県小郡市松崎)の松崎陣屋に置かれていた。寛文8年(1668年)、久留米藩第3代藩主「有…詳細を見る -
千束藩(小倉藩支藩)/小笠原家1万石:小笠原貞正 小倉藩宗家とともに長州藩と戦うも惨敗し熊本藩領まで逃れた千束藩【幕末維新写真館】
【藩名】 千束藩(小倉藩支藩) 【説明】 千束藩は小倉藩の支藩で当初は小倉新田藩と称した。寛文7年(1667年)、小倉藩2代藩主「小笠原忠雄」の藩主就任時、弟の真方が1万石を領内に分与されて立藩した。藩主は参勤…詳細を見る -
新谷藩(大洲藩支藩)/加藤家1万石:加藤泰令 幕末には中江藤樹が農兵隊を組織し「郷組」として戊辰戦争へ参戦した新谷藩【幕末維新写真館】
【藩名】 新谷藩(大洲藩支藩) 【説明】 新谷藩は大洲藩の支藩として新谷(大洲市内)に新谷陣屋が置かれた。元和9年(1623年)、大洲藩2代藩主「加藤泰興」の弟「直泰」が幕府より1万石分与の内諾を得て成立した。…詳細を見る -
松山新田藩(伊予松山藩支藩)/松平家1万石:松平定静 宗家伊予松山藩を継いだため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松山新田藩(伊予松山藩支藩) 【説明】 松山新田藩は、江戸時代中期に存した松山藩の支藩である。石高は1万石で松平家4代「松平定直」の子「定章」が享保5年(1720年)に桑村郡・越智郡の一部を新田分知さ…詳細を見る -
小松藩/一柳家1万石:一柳頼明 戊辰戦争では新政府軍に加わり北越戦争を戦った小松藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小松藩 【説明】 伊予国東部には、西から小松藩・西条藩・川之江藩(小野藩)と一柳家の兄弟の所領が連なることとなったが、寛永19年(1642年)に小野藩の直家が没すると伊予国内の所領1万8600石が幕府…詳細を見る -
多度津藩(丸亀藩支藩)/京極家1万石:京極高典 本藩丸亀藩と共に新政府軍として高松藩へ進軍した多度津藩【幕末維新写真館】
【藩名】 多度津藩(丸亀藩支藩) 【説明】 多度津藩は丸亀藩の支藩である。多度津周辺(香川県仲多度郡多度津町)で1万石を領し、多度津に陣屋を構えていた。丸亀藩3代藩主「京極高或」が3歳で藩主となったため、庶兄で…詳細を見る -
清末藩(長府藩支藩)/毛利家1万石:毛利元純 石州口指揮官として大村益次郎と共に幕府軍を撃破した清末藩【幕末維新写真館】
【藩名】 清末藩(長府藩支藩) 【説明】 長府藩初代藩主「毛利秀元(毛利元就の孫)」の三男「毛利元知」である。長府藩と領地が入り混じっているが石高は1万石であった。承応2年(1653年)、毛利元知が、甥に当たる…詳細を見る -
浅尾藩/蒔田家1万石:蒔田広孝 京都見廻組役として禁門の変で長州兵を撃退した浅尾藩【幕末維新写真館】
【藩名】 浅尾藩 【説明】 藩祖「蒔田広定」は「関ヶ原の戦い」で石田三成率いる西軍についたため雲出藩を改易されたが後に許されて、慶長8年(1603年)に備中国賀陽・窪屋、河内国大県、山城国久世、摂津国豊島・八部…詳細を見る -
津山新田藩(津山藩支藩)/森家1万石:森長基 病と偽り江戸へ参府を怠ったため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 津山新田藩(津山藩支藩) 【説明】 貞享3年(1686年)、津山藩3代藩主「森長武」が甥の「森長成」に藩主を譲った際、蔵米2万俵を与えられて立藩した。元禄9年(1696年)、長武の養嗣子となった「長基…詳細を見る -
母里藩(松江藩支藩)/松平家1万石:松平直哉 第一次長州征伐では消極的な態度に終始した母里藩【幕末維新写真館】
【藩名】 母里藩(松江藩支藩) 【説明】 母里藩は江戸時代中期までは神戸藩と呼ばれたが安来市伯太町西母里の母里陣屋に藩庁が置かれたことから母里藩と呼ばれた。寛文6年(1666年)4月29日、松平家松江藩初代藩主…詳細を見る -
松江新田藩(松江藩支藩)/松平家1万石:松平近憲 本藩を継いだため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松江新田藩(松江藩支藩) 【説明】 松江新田藩は、江戸時代中期にあった松江藩の新田分知による支藩である。元禄14年(1701年)松平家松江藩2代藩主「綱隆」の次男「近憲」が1万石を分与され立藩した。近…詳細を見る -
姫路新田藩/酒井家1万石:酒井忠全 幼年で死去し嗣子がないため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 姫路新田藩 【説明】 元和3年(1617年)に姫路藩に入った「本多忠政(本多忠勝の嫡子)」は、その所領は15万石ほどであったが、忠政の子「本多忠刻」に父とは別に10万石が与えられた。忠刻の妻が「徳川秀…詳細を見る
最近のコメント