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足守藩/木下家2万5千石:木下利恭 備中松山藩討伐軍に加わり大坂で適塾を開いた緒方洪庵を排出した足守藩【幕末維新写真館】
【藩名】 足守藩 【説明】 豊臣秀吉の室「北政所」の兄で播磨国姫路城主2万5千石の「木下家定」が、慶長6年(1601年)に同じ2万5千石で転封され足守藩が立藩された。慶長13年(1608年)に家定が死去すると幕…詳細を見る -
高取藩/植村家2万5千石:植村家壷 天誅組の乱の鎮圧にあたるが以降新政府に属した高取藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高取藩 【説明】 寛永17年(1640年)10月19日、大番頭であった「植村家政」が、9,000石から2万5,000石に加増されて大名となり高取藩が立藩された。第2代藩主「植村家貞」は万治元年(165…詳細を見る -
鹿島藩(佐賀藩支藩)/鍋島家2万5千石:鍋島直彬 本藩の佐賀藩と行動をともにし新政府軍に従った鹿島藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鹿島藩(佐賀藩支藩) 【説明】 鹿島藩は鹿島(佐賀県鹿島市)周辺を領有した佐賀藩の支藩である。佐賀藩の初代藩主「鍋島勝茂」の弟「忠茂」が慶長16年(1610年)、佐賀藩より2万石分与され元々領していた…詳細を見る -
鴨方藩(岡山藩支藩)/池田家2万5千石:池田政保 岡山藩宗家と行動をともにした鴨方藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鴨方藩(岡山藩支藩) 【説明】 鴨方藩は備中国の浅口郡・小田郡・窪屋郡を領有し藩庁は鴨方陣屋にあった。石高は2万5000石である。寛文12年(1672年)、「池田光政」の次男「政言」が立藩した。藩主は…詳細を見る -
平福藩/池田家2万5千石:池田輝興 赤穂藩の宗家を継いだため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 平福藩 【説明】 慶長6年(1601年)、姫路藩主「池田輝政」の甥「由之」が2万2千石を平福に分与された。そして中世の城郭「利神城」を5年を要して近代城郭へと改修した。由之は慶長14年(1609年)に…詳細を見る -
水口藩/加藤家2万5千石:加藤明実 鳥羽・伏見の戦い以降新政府軍に属した水口藩【幕末維新写真館】
【藩名】 水口藩 【説明】 天和3年(1682年)、賤ヶ岳の七本槍の1人として知られる「加藤嘉明」の孫で、石見吉永藩主「加藤明友」が祖父と自身の功により1万石の加増を受け、都合2万石にて近江国水口城主となり立藩…詳細を見る -
金山藩/松平家2万5千石:松平忠頼 遠州浜松藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 金山藩 【説明】 天正10年(1582年)3月の「甲州討伐」で武功を挙げたため、「鬼武蔵」と称された「森長可」は金山と北信濃4郡、あわせて20万9700石を与えられた。同年6月、信長が「本能寺の変」に…詳細を見る -
横須賀藩 /西尾家2万5千石:西尾忠篤 譜代大名として佐幕派・尊皇派に分裂したが戊辰戦争時は尊皇で統一した横須賀藩【幕末維新写真館】
【藩名】 横須賀藩 【説明】 天和2年(1682年)、「本多利長」は江戸城にて罪状を読み上げられた上で横須賀藩を改易された。利長が改易されると信濃小諸藩より「西尾忠成」が2万5000石で入封した。幕末になると西…詳細を見る -
木本藩/松平家2万5千石:松平直良 越前勝山藩へ加増転封となったため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 木本藩 【説明】 元和9年(1623年)に越前福井藩主「松平忠直(結城秀康の子)」が改易された翌年、その弟である「松平忠昌」が福井藩主となる。このとき、忠直の弟たちに所領が分与されて「勝山藩」「大野藩…詳細を見る -
吉江藩/松平家2万5千石:松平昌明 昌明が福井藩本家を継ぐことで廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 吉江藩 【説明】 正保2年(1645年)、結城秀康の子で第3代福井藩主の「松平忠昌」が死去し「松平光通」が跡を継いだ。このとき、光通は異母兄の「松平昌勝」に松岡藩5万石を分与し、同じく異母弟の「松平昌…詳細を見る -
玉縄藩/松平家2万5千石:松平正久 上総国大多喜藩へ転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 玉縄藩 【説明】 玉縄城は小田原北条氏の支城であったが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉の「小田原征伐」で落城する。 「徳川家康」が関東に入封し、家康の参謀「本多正信」の所領となったが…詳細を見る -
常陸松岡藩(水戸藩支藩)中山家2万5千石:中山信徴 幕末時は水戸藩宗家より独立した松岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 常陸松岡藩 【説明】 江戸時代初期に戸沢氏が常陸松岡に4万石で入封し、約20年間統治した。戸沢氏が転封になると松岡周辺は水戸領となり、水戸藩附家老中山家が居館を築いた。第10代藩主「中山信敬」は水戸藩…詳細を見る -
出羽松山藩(庄内藩支藩)/酒井家2万5千石:酒井忠良 本藩の庄内藩と共に奥羽越列藩同盟に加盟して参戦した出羽松山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 出羽松山藩(庄内藩支藩) 【説明】 庄内藩初代藩主「酒井忠勝」の三男「酒井忠恒」が、正保4年(1647年)庄内藩領のうち新田など2万石を分与されたことに始まる。3代「忠休」は奏者番を経て若年寄に累進し…詳細を見る
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