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信濃中村藩/岩城家2万石:岩城吉隆 出羽亀田藩に加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 信濃中村藩 【説明】 慶長19年(1614年)の「大坂の陣」で、「岩城貞隆」は本多正信の軍に属して功績を挙げたことから、元和2年(1616年)7月、「松平忠輝」が改易された後、その旧領のうちから1万石…詳細を見る -
高森藩/松平家2万石:松平宗胡 無嗣断絶のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高森藩 【説明】 元禄10年(1697年)3月、紀州藩主「徳川光貞」の三男の「松平頼職」が3万石を分与されて高森藩が立藩された。しかし宝永2年(1705年)6月、本家を継いだ「徳川綱教」が嗣子なく死去…詳細を見る -
藤井藩/稲垣家2万石:稲垣重綱 越後三条藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 藤井藩 【説明】 元和元年(1615年)、「稲垣重綱」が「大坂の陣」で戦功を挙げたことにより、上野国「伊勢崎藩」1万石から藤井藩2万石に加増移封された。しかし元和6年(1620年)、さらに3,000石…詳細を見る -
与板藩/井伊家2万石:井伊直安 井伊宗家の新政府恭順に伴い与板藩も恭順【幕末維新写真館】
【藩名】 与板藩 【説明】 慶応4年(1868年)、「鳥羽・伏見の戦い」にて火蓋を切った戊辰戦争は、それまで政争の中心から遠かった小藩の与板藩をも巻き込んでいく。徳川宗家の「大政奉還」後、井伊家宗家の「彦根藩」…詳細を見る -
喜多見藩/喜多見家2万:喜多見重勝 一族の刃傷沙汰に連座して改易の上廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 喜多見藩 【説明】 天正18年(1590年)の「小田原征伐」で北条氏が敗北すると、「江戸勝忠」は「徳川家康」の家臣となり、姓を喜多見に改め、以降は喜多見勝忠と名乗った。貞享2年(1685年)に将軍の側…詳細を見る -
騎西藩(私市藩)/大久保家2万石:大久保忠職 美濃加納藩へ加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 騎西藩(私市藩) 【説明】 豊臣秀吉の「北条征伐」後、関東に入った「徳川家康」は松井松平家の「松平康重」に騎西2万石を与えて騎西藩(私市藩)が立藩された。慶長6年(1601年)11月、康重は常陸国笠間…詳細を見る -
高滝藩(信濃国坂木藩支藩)/板倉家2万石:板倉重高 備中庭瀬藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高滝藩(信濃国坂木藩支藩) 【説明】 天和3年(1683年)、信濃坂木藩5万石の藩主「板倉重種」の甥である「板倉重宣」が重種から2万石を分与され「高滝藩」が立藩した。所領は上総市原郡のほか、信濃伊那郡…詳細を見る -
姉崎藩/松平家2万石:松平直政 越前大野5万石へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 姉崎藩 【説明】 慶長12年(1607年)11月、「徳川家康」の次男「結城秀康」の次男「松平忠昌」が姉ヶ崎に1万石を与えられたことにより姉ヶ崎藩が立藩した。忠昌は元和元年(1615年)11月、下妻藩主…詳細を見る -
大多喜藩/松平家2万石:松平正質 遊撃隊や請西藩の誘いを退けたことで新政府より赦免された大多喜藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大多喜藩 【説明】 天正18年(1590年)、豊臣秀吉による「小田原征伐」後、関東に入部した「徳川家康」は「徳川四天王」の一人「本多忠勝」に上総国に10万石を与えた。忠勝は当初は「万喜城」に入城したが…詳細を見る -
飯野藩/保科家2万石:保科正益 戊辰戦争勃発時に徳川慶喜の助命を求めた飯野藩主 保科正益【幕末維新写真館】
【藩名】 飯野藩 【説明】 飯野藩最後の藩主「保科正益」は大坂定番を務め、慶応2年(1866年)5月26日には「若年寄」にまで栄進し、「第二次長州征伐」では征長軍の指揮をとった。慶応4年(1868年)、「戊辰戦…詳細を見る -
江戸崎藩/丹羽家2万石:丹羽長重 陸奥棚倉藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 江戸崎藩 【説明】 慶長8年(1603年)、本多正信や内藤清成らと並んで関東総奉行を務めた徳川氏譜代の家臣「青山忠成」が1万石で入ったことにより江戸崎藩が立藩する。なお、忠成の嫡子「青山忠俊」は父とは…詳細を見る -
片野藩/滝川家2万石:滝川正利 病弱の為1万8千石を幕府へ返納し廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 片野藩 【説明】 戦国武将「滝川雄利」は織田信長に仕え、信長没後はその次男「信雄」の家臣となった。信雄が改易されると豊臣秀吉の家臣として伊勢国神戸に2万石を与えられた。慶長5年(1600年)の「関ヶ原…詳細を見る -
保内藩/松平家2万石:松平頼隆 常陸府中藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 保内藩 【説明】 寛文元年(1661年)9月、水戸藩主「徳川頼房」の五男「松平頼隆」は、兄で水戸藩2代藩主「徳川光圀」から2万石の領地を分与され、保内藩が立藩した。元禄13年(1700年)9月、幕府に…詳細を見る -
松川藩/松平家2万石:松平頼之 守山藩から松川藩へ藩庁を移転し立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松川藩 【説明】 明治3年(1870年)、守山藩は藩庁を守山から常陸国松川に移したため、ここに「松川藩」が立藩し守山藩は廃藩となる。翌明治4年(1871年)、陣屋の物置から出火し、強い北風に煽られて藩…詳細を見る -
額田藩/松平家2万石:松平頼貞 磐城守山藩へ藩庁を移転したため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 額田藩 【説明】 寛文元年(1661年)9月、水戸藩主「徳川頼房」の四男「松平頼元」が、水戸藩領のうち那珂郡内2万石を分与され額田藩が立藩した。当初は領地がなく、水戸藩から2万石分の年貢を与えられるだ…詳細を見る -
常陸府中藩(水戸藩支藩)/松平家2万石:松平頼策 幕末時は目立った動きもなかった常陸府中藩【幕末維新写真館】
【藩名】 常陸府中藩(水戸藩支藩) 【説明】 元禄13年(1700年)、「徳川頼房」の五男「松平頼隆(保内藩主)」が幕府から新たに常陸・陸奥国内において2万石を加増されたため、府中に陣屋を築き府中藩を立藩する。…詳細を見る -
下館藩/石川家2万:石川総管 天誅組の乱を治めるも新政府軍よりの態度から旧幕府軍に城を攻撃された下館藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下館藩 【説明】 最後の藩主「石川総管」は幕末期の幕府の中で若年寄・陸軍奉行を務め、「天誅組の反乱」鎮圧にも貢献した。しかし総管は新政府寄りの態度を示したため、慶応4年(1868年)4月の「戊辰戦争」…詳細を見る -
大宮藩/堀田家2万石:堀田正虎 福島藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大宮藩 【説明】 下総古河藩主で、将軍「徳川綱吉」擁立で貢献した大老「堀田正俊」が貞享元年(1684年)に暗殺された。死後、その遺領13万石の内、家督と所領の大半は長男「堀田正仲」が継ぎ、正俊の次男「…詳細を見る -
烏山藩/大久保家2万石:大久保忠順 幕末時は特にめだったこともなく新政府軍に恭順した烏山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 烏山藩 【説明】 幕末期の烏山藩は領内が荒廃していたこともあり、特に目立ったことはなかった。特に何ら処罰も受けていないので早くから新政府軍に恭順していたものと考えられる。明治2年(1869年)の「版籍…詳細を見る -
篠塚藩/松平家2万石:松平忠恒 上里見藩へ移封のため短期間のうちに廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 篠塚藩 【説明】 延享4年(1747年)7月、陸奥桑折藩主であった「松平忠恒」が陸奥伊達郡など1万2250石の所領を上野国に移され、邑楽郡篠塚村に陣屋を構えたことから篠塚藩を立藩した。表高は2万石であ…詳細を見る
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