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土佐新田藩(土佐藩支藩)/山内家1万3千石:山内豊誠 本藩とともに戊辰戦争を戦ったため恩賞を下賜された土佐新田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 土佐新田藩(土佐藩支藩) 【説明】 土佐新田藩は土佐藩の支藩で、江戸時代後期の安永9年(1780年)に中村藩系の「山内豊産」が1万3000石を本藩より分与され立藩した。藩主は参勤交代を行わない定府大名…詳細を見る -
清富藩/宮城家1万3千石:宮城豊嗣 無嗣断絶のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 清富藩 【説明】 「宮城豊盛」は豊臣秀吉のもとで豊後国日田郡の代官を務めていたが、「関ヶ原の戦い」で西軍についたため改易される。しかし、養嗣子の頼久が実兄の「山崎家盛」から二方郡内に6000石を分知さ…詳細を見る -
峰山藩/京極家1万3千石:京極高陳 戊辰戦争ではいち早く新政府に恭順して許された峰山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 峰山藩 【説明】 初代藩主「京極高通」は朽木宣綱の次男として生まれたが、母方の叔父である「京極高知」の婿養子となった。丹後国主であった高知は自らの遺領を実子2人と高通に3分割して与え、高通には峰山地方…詳細を見る -
御牧藩/津田家1万3千石:津田信成 織田信長の一族で乱暴狼藉を家康に咎められ改易廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 御牧藩 【説明】 藩主家は織田氏庶流の津田氏である。「津田信成」は「織田信長」の一族で、信長没後は豊臣秀吉に仕えて山城御牧に1万3000石を領していた。秀吉没後は豊臣秀頼に仕えていたが、「関ヶ原の戦い…詳細を見る -
山上藩/稲垣家1万3千石:稲垣太祥 当初佐幕派だったが途中から新政府に属した山上藩【幕末維新写真館】
【藩名】 山上藩 【説明】 元禄11年(1698年)3月7日、若年寄であった「稲垣重定」が常陸国から山上1万3000石にて移封され山上藩が立藩された。歴代藩主の多くが若年寄や大坂加番、大番頭や奏者番などの要職を…詳細を見る -
堅田藩/堀田家1万3千石:堀田正敦 藩政や城下町の整備に力を注いだが下野佐野へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 堅田藩 【説明】 戦国時代、堅田は堅田水軍と呼ばれる水軍衆が存在し、安土城を本拠とする織田信長にとって堅田は重要な拠点だった。徳川家康が天下を統一すると、元禄11年(1698年)3月7日、下野国佐野藩…詳細を見る -
近江宮川藩/堀田家1万3千石:堀田正養 近江国内の諸藩が新政府に従ったためやむなく恭順した宮川藩【幕末維新写真館】
【藩名】 近江宮川藩 【説明】 万治3年(1660年)、堀田正信は老中「松平信綱」と対立したため所領を没収され改易となった。正信の嫡男「堀田正休」が父の罪を許されて天和2年(1682年)3月に1万石の大名として…詳細を見る -
八田藩/加納家1万3千石:加納久儔 飛地である上総国一宮へ陣屋移転のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 八田藩 【説明】 三河国出身の「加納久直」が徳川家康に仕えて紀州藩に属するのが始まりである。久直の孫「加納久通」は紀州藩主「徳川吉宗」の将軍就任に従って江戸城に入り、延享2年(1745年)に吉宗が隠居…詳細を見る -
野村藩/戸田家1万3千石:戸田氏良 版籍奉還後に大垣新田藩から野村藩に改名【幕末維新写真館】
【藩名】 野村藩(大垣新田藩) 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で、織田長孝(織田有楽斎長益の長男)は東軍に与して戦功を挙げたため、大野などに1万石を与えられて野村藩を立藩した。だが、寛永8年…詳細を見る -
掛塚藩/加々爪家1万3千石:加々爪直清 旗本成瀬正章と争い所領没収の上改易【幕末維新写真館】
【藩名】 掛塚藩 【説明】 「加々爪忠澄」は「関ヶ原の戦い」「大坂の陣」で武功を挙げたため、加増を受けて、寛永10年(1633年)に9500石を与えられた。忠澄の後を継いだ「加々爪直澄」は「徳川家光」のもとで御…詳細を見る -
松長藩/大久保家1万3千石:大久保教翅 荻野山中藩へ陣屋を移したため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松長藩 【説明】 小田原藩主「大久保忠朝」の次男の「大久保教寛」が元禄11年(1698年)に相模愛甲郡・足柄上郡・高座郡に6000石の分与を受けた。さらに、宝永3年(1706年)10月に若年寄に就任し…詳細を見る -
荻野山中藩(小田原藩支藩)/大久保家1万3千石:大久保教義 倒幕派浪士隊により陣屋を襲撃された山中藩【幕末維新写真館】
【藩名】 荻野山中藩(小田原藩支藩) 【説明】 荻野山中藩は小田原藩大久保家の支藩である。天明3年(1783年)に駿河国松長藩主「大久保教翅」が陣屋を山中に移し立藩した。 慶応4年(1868年)「徳川家達…詳細を見る -
一宮藩/加納家1万3千石:加納久宜 幕末時は新政府軍に恭順した一宮藩【幕末維新写真館】
【藩名】 上総一宮藩 【説明】 第4代藩主「加納久宜」は「戊辰戦争」のとき、新政府側に与した。当初は鳥羽伏見の戦いに参戦するため海路京都へと向かったが、途中大時化にあい断念した。明治2年(1869年)の「版籍奉…詳細を見る -
武蔵小室藩/伊奈家1万3千石:伊奈忠勝 忠勝が夭折したため無嗣断絶にて廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 武蔵小室藩 【説明】 豊臣秀吉による「小田原征伐」後、関東に入封した「徳川家康」は、譜代の家臣「伊奈忠次」に小室1万3000石を与えた。これが小室藩の立藩である。(現在の伊奈氏館跡) 忠…詳細を見る -
高坂藩(掛塚藩)/加賀爪家1万3千石:加賀爪直清 成瀬家との領地争いにより廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高坂藩(掛塚藩) 【説明】 「加々爪忠澄」は「関ヶ原の戦い」、「大坂の陣」で武功を挙げたため、加増を受けて寛永10年(1633年)に9500石を与えられた。忠澄の後を継いだ「加々爪直澄」は「徳川家光」…詳細を見る -
一宮藩/加納家1万3千石:加納久宜 真忠組の乱を鎮圧し戊辰戦争では新政府軍に与した一宮藩【幕末維新写真館】
【藩名】 一宮藩 【説明】 戦国時代にはこの地に一宮城が存在していた。一宮城は北条氏と里見氏の勢力圏の境目にあり、しばしば支配者が変わったが、戦国時代も終盤になると、豊臣秀吉による「小田原征伐」の際に徳川家康の…詳細を見る -
常陸北条藩/堀田家1万3千石:堀田正英 継嗣届け出不備により改易【幕末維新写真館】
【藩名】 常陸北条藩 【説明】 下総国佐倉藩主「堀田正盛」の四男「堀田正英」は、父が将軍に殉死した後その遺領のうち5000石を分与された。その後は「徳川家綱」に仕えて御小姓組番頭、書院番頭、大番頭と次第に累進し…詳細を見る -
佐野藩/堀田家1万3千石:堀田正頌 幕末時には新政府軍に武器を献上し恭順した佐野藩【幕末維新写真館】
【藩名】 佐野藩 【説明】 唐沢山城を統治していた「佐野房綱」は豊臣秀吉に仕えていたが、ほどなく死去し、その跡を養子の「佐野信吉」が継いだ。しかし、信吉の代に佐野氏は徳川幕府より改易されてしまう。堅城を誇る唐沢…詳細を見る
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