タグ:駿河
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沼津藩/水野家5万8千石:水野忠敬 徳川家達の駿河移封により上総菊間藩へ移されて廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 沼津藩 【説明】 安永6年(1777年)11月6日、水野忠友が三河大浜藩より2万石で転封してきたことによる。第2代藩主「水野忠成」は「徳川家斉」の時代に老中となり、「賄賂政治」を行なった人物として有名…詳細を見る -
大浜藩/水野家1万4千石:水野忠友 駿河沼津藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大浜藩 【説明】 明和5年(1768年)、信濃国佐久郡に9000石を領していた「水野忠友」が若年寄、そして奥勤兼側衆となって5000石を新たに加増されたため、1万4000石の大名として大浜藩を立藩した…詳細を見る -
田中藩/本多家4万石:本多正訥 徳川家達の駿河入封のため安房長尾藩へ移封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 田中藩 【説明】 享保15年(1730年)7月11日に田中藩主「土岐頼稔」が大坂城代として転出した。土岐家の転出直後の7月28日、上野沼田藩から「本多正矩」が4万石で入封する。 本多氏は…詳細を見る -
舟戸藩/本多家1万5千石:本多正永 沼田藩・駿河田中藩へ移封のため飛地となる【幕末維新写真館】
【藩名】 舟戸藩 【説明】 元禄元年(1688年)、本多正貫の孫の正永が寺社奉行になり1万石に加増されて大名となった。そして「舟戸藩」が立藩された。正永は元禄14年(1701年)に上総・下総国内において5000…詳細を見る -
鶴舞藩/井上家6万石:井上正直 徳川家の駿河・遠江入封に伴い浜松藩から移封の上で立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鶴舞藩 【説明】 明治維新により徳川幕府が敗れ新政府が樹立されると、徳川家は江戸や全国の天領を没収された代わりに、駿河・遠江70万石を安堵された。これのより駿河・遠江の大名は上総に移封され、浜松藩は上…詳細を見る -
小久保藩/田沼家1万1270石:田沼意尊 徳川宗家の駿河・遠江移封に伴う替地として立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小久保藩 【説明】 明治元年(1868年)9月、遠州相良藩主「田沼意尊」が徳川宗家の駿河・遠江移封による替地として上総国天羽郡小久保を与えられたことで立藩された。意尊は、第10代将軍「徳川家治」のもと…詳細を見る -
久能城(久能山城):家康の死去東照宮になるまでは駿河の重要な拠点だった久能城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 久能城(久能山城) 【久能城(久能山城)の説明】 久能城は現在の静岡市駿河区根古屋「久能山東照宮」にあった平山城である。 築城時期は南北朝時代にまで遡り、足利尊氏と弟直義の戦い「観応の擾乱」で直義方…詳細を見る
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