タグ:酒井家
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姫路藩/酒井家15万石:酒井忠邦 最後まで徳川家に忠節を貫いたことで朝敵とされ追討軍まで編成された姫路藩【幕末維新写真館】
【藩名】 姫路藩 【説明】 幕末には藩主「酒井忠績」が大老となり勤王派の制圧に力を振るったほどなく蟄居した。弟で次の藩主になった「酒井忠惇」は老中となるが、「鳥羽・伏見の戦い」で「徳川慶喜」に随行して大坂退去に…詳細を見る -
敦賀藩(小浜藩支藩)/酒井家1万石:酒井忠経 本家小浜藩と違い一貫して新政府軍に与した敦賀藩【幕末維新写真館】
【藩名】 敦賀藩(小浜藩支藩) 【説明】 敦賀藩は天和2年(1682年)、小浜藩の第2代藩主「酒井忠直」の次男の「酒井忠稠」が父の遺領のうち越前敦賀郡・近江高島郡において1万石を分与されたことに始まる藩である。…詳細を見る -
姫路新田藩/酒井家1万石:酒井忠全 幼年で死去し嗣子がないため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 姫路新田藩 【説明】 元和3年(1617年)に姫路藩に入った「本多忠政(本多忠勝の嫡子)」は、その所領は15万石ほどであったが、忠政の子「本多忠刻」に父とは別に10万石が与えられた。忠刻の妻が「徳川秀…詳細を見る -
小浜藩/酒井家10万3千石:酒井忠義 鳥羽・伏見の戦いの敗戦以降新政府軍に恭順した小浜藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小浜藩 【説明】 幕末期、最後の小浜藩主となった「酒井忠義」は京都所司代として活躍した。井伊直弼に協力して「安政の大獄」を積極的に推し進め、和宮降嫁や公武合体、武田耕雲斎(藤田小四郎)率いる「天狗党の…詳細を見る -
安房勝山藩/酒井家1万2千石:酒井忠美 戊辰戦争では一部の藩士が人見勝太郎の旧幕府軍遊撃隊に参加した安房勝山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 安房勝山藩 【説明】 安房勝山藩は現在の千葉県安房郡鋸南町勝山に藩庁を置いた藩である。いくつかの大名家を経て酒井氏(若狭小浜藩分家)が藩主となり、明治維新まで9代にわたって存続した。安房勝山藩の石高は…詳細を見る -
深谷藩/酒井家5万石:酒井忠勝 川越藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 深谷藩 【説明】 元和8年(1622年)、「酒井忠勝」が1万石で入封し「深谷藩」が立藩される。忠勝は寛永元年(1624年)8月、上総・武蔵・下総国内に2万石を加増され、老中に列せられる。 …詳細を見る -
臼井藩/酒井家3万石:酒井家次 上野国高崎藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 臼井藩 【説明】 戦国時代、臼井の地は千葉氏の家臣「原氏」が治めていた。豊臣秀吉の「小田原征伐」で原氏が滅亡した後、徳川家康が関東に入封し、三河国吉田城主「酒井家次」が3万石で臼井に入り、臼井藩を立藩…詳細を見る -
板鼻藩/酒井家2万石:酒井忠行 本家の姫路移封に伴い支藩も廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 板鼻藩 【説明】 寛永2年(1625年)9月2日に、上野厩橋藩主「酒井忠世」の長男「酒井忠行」が板鼻に2万石の所領を与えられ板鼻藩を立藩した。忠行は部屋住み身分ながら父とともに「徳川秀忠」の側近として…詳細を見る -
那波藩/酒井家2万2千5百石:酒井忠能 小諸藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 那波藩 【説明】 豊臣秀吉の「北条征伐」後、関東に入封した「徳川家康」は「松平家乗」に上野国那波郡内1万石を与えた。これが那波藩の立藩である。家乗は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で三河吉田城…詳細を見る -
伊勢崎藩/酒井家2万石:酒井忠彰 自ら謹慎して新政府に恭順した伊勢崎藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢崎藩 【説明】 幕末には本家の「姫路藩」が佐幕派だったため新政府から警戒されたが、8代藩主「酒井忠強」は自ら謹慎することで恭順の意を示した。早くから恭順したことで無事に戊辰戦争を生き抜いた。その後…詳細を見る -
左沢藩(左沢楯山城)/酒井家1万2千石:酒井直次 幕末前に出羽松山藩へ併呑【幕末維新写真館】
【藩名】 左沢藩 【説明】 元和8年(1622年)山形の最上氏の改易によって、庄内藩成立と同時に「酒井忠勝」の弟「酒井直次」が村山郡左沢で1万2,000石を与えられ左沢藩が成立した。左沢藩主「直次」は当初居城を…詳細を見る -
大山藩(庄内藩支藩)/酒井家1万石:酒井忠解 嗣子がなく幕末前に廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大山藩(庄内藩支藩) 【説明】 庄内藩初代藩主「酒井忠勝」の死去に際し、2代藩主「酒井忠当」への遺言に基づき、忠勝の七男「酒井忠解」が、正保4年(1647年)庄内藩領のうち田川郡内の大山(鶴岡市)で新…詳細を見る -
出羽松山藩(庄内藩支藩)/酒井家2万5千石:酒井忠良 本藩の庄内藩と共に奥羽越列藩同盟に加盟して参戦した出羽松山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 出羽松山藩(庄内藩支藩) 【説明】 庄内藩初代藩主「酒井忠勝」の三男「酒井忠恒」が、正保4年(1647年)庄内藩領のうち新田など2万石を分与されたことに始まる。3代「忠休」は奏者番を経て若年寄に累進し…詳細を見る -
庄内藩(鶴岡藩・大泉藩)/酒井家17万石:酒井忠篤 奥羽越列藩同盟軍で最後まで新政府軍と戦い連戦連勝した庄内藩【幕末維新写真館】
【藩名】 庄内藩(鶴岡藩・大泉藩) 【説明】 慶応3年12月(1868年1月)、「上山藩」などとともに江戸薩摩藩邸への討ち入りを命ぜられて実行する。戊辰戦争の口火を切るとともに、この焼き打ちが新政府軍による徳川家武力討…詳細を見る
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