タグ:西軍
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岐阜藩/織田家13万3千石:織田秀信 織田信長の嫡孫であり関ヶ原の前哨戦で西軍に与したため落城・廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岐阜藩 【説明】 天正20年(1592年)に「織田信長」の嫡孫「織田秀信」が「豊臣秀吉」の計らいによって13万石で岐阜城へ入封した。岐阜の地は信長の時代から天下布武の重要な拠点であったが、本拠地を安土…詳細を見る -
七尾藩/前田家21万5千石:前田利政 関ヶ原の戦いで西軍に与したため改易 兄利長に吸収された七尾城【幕末維新写真館】
【藩名】 七尾藩 【説明】 「織田信長」や「豊臣秀吉」に仕えていた「前田利家」は加賀藩100万石を築き上げた。利家は長男「前田利長」に家督と加賀の所領を与え、次男「前田利政」に能登七尾21万5000石を分与していた。利…詳細を見る -
宇土城:関ヶ原の戦いで敗れた西軍の将小西行長の居城 宇土城【日本の歴史 お城特集】
【城名】 宇土城 【宇土城の説明】 宇土城は、熊本県宇土市に存在した城である。小西行長によって宇土古城の東に位置する丘に築かれた平山城であり、3重の天守などが建てられた。しかし「小西行長」が関ヶ原の戦いに敗れ、…詳細を見る -
大垣城:美濃三人衆氏家卜全の居城にて関ヶ原の戦いでは西軍(石田三成)の拠点となった大垣城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 大垣城 【大垣城の説明】 大垣城の歴史は古く、はっきりとした築城者が誰なのか明確にはわかっていない。しかし、戦国時代に入ると「織田信長」の父にあたる「織田信秀」の侵攻により大垣城は落城する。その後、織…詳細を見る
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