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桑名藩/松平家11万3千石:松平定敬 函館戦争まで新政府軍に抵抗した桑名藩主松平定敬【幕末維新写真館】
【藩名】 桑名藩 【説明】 幕末の藩主「松平定敬」は将軍「徳川家茂」から厚い信任を受けていたという。元治元年(1864年)には「京都所司代」に任命され、実の兄の会津藩主「松平容保」がと共に京都の治安維持に努めた…詳細を見る -
大垣藩/戸田家10万石:戸田氏共 鳥羽伏見の戦い後に恭順し戊辰戦争では新政府軍として参戦した大垣藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大垣藩 【説明】 第11代藩主「戸田氏共」は第2次長州征伐に参加し、慶応2年(1866年)からは藩政改革を断行している。慶応4年(1868年)に勃発した「鳥羽・伏見の戦い」では大垣藩兵も旧幕府軍と共に…詳細を見る -
苗木藩/遠山家1万500石:遠山友禄 幕府の要職を歴任後いち早く帰国し恭順した苗木藩【幕末維新写真館】
【藩名】 苗木藩 【説明】 苗木藩の藩祖は「遠山友政」である。友政は美濃の豪族で、父の友忠とともに「織田信長」に従っていたが、信長の死後は小牧長久手の戦いなどで「徳川家康」に与したため豊臣秀吉から所領を没収され…詳細を見る -
尾張藩(名古屋藩)/徳川家61万9千500石:徳川慶勝 御三家でありながら鳥羽・伏見の戦いでは新政府軍に味方した尾張藩【幕末維新写真館】
【藩名】 尾張藩(名古屋藩) 【説明】 幕末の第14代藩主「徳川慶勝」は、養子藩主時代の人事を一新し、財政改革にも一応の成功を収めた。安政5年(1858年)の将軍後継者問題や条約勅許問題などから一橋派に与して「…詳細を見る -
岩村藩/松平家3万石:松平乗命 新政府軍に恭順し函館奉行所にも藩士を派遣した岩村藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岩村藩 【説明】 元禄15年(1702年)9月7日、信濃小諸藩より「松平乗寿」の孫「松平乗紀」が2万石で入封する。歴代藩主の多くが奏者番・寺社奉行など幕府の要職を歴任しており、そのために第4代藩主「松…詳細を見る -
加納藩/永井家3万2千石:永井尚服 戊辰戦争では東山道鎮撫総督府軍「岩倉具定」に帰順した加納藩【幕末維新写真館】
【藩名】 加納藩 【説明】 宝暦6年(1756年)、陸奥磐城平藩へ移された「安藤信成」に代わって武蔵岩槻藩主「永井直陳」が3万2,000石で入封する。第4代藩主「永井尚佐」は若年寄に昇進し、第5代藩主「永井尚典…詳細を見る -
飛騨高山藩(高山藩)/金森家3万3千石:金森頼時 出羽国上山藩へ移封のため廃藩し天領となった高山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 飛騨高山藩(高山藩) 【説明】 天正14年(1586年)、三木氏や姉小路氏ら旧飛騨国国司の攻略に成功した信長家臣の「金森長近」が飛騨国を与えられて入封する。天正16年(1588年)から高山城の築城を行…詳細を見る -
上田藩/松平家5万3千石:松平忠礼 新政府軍に与して北越戦争や会津戦争に参戦した上田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 上田藩 【説明】 安政6年(1859年)、「松平忠固」が死去するとその嫡子「松平忠礼」が跡を継いだ。ところが父「忠固」が幕政に参与して藩政を顧みなかったために藩財政は悪化し、藩内では藩政の主導権をめぐ…詳細を見る -
清洲藩/松平家47万2千344石:松平義直 関ヶ原の戦いで井伊直政と抜け駆けをした松平忠吉の異母弟義直が跡を継いだ清洲藩【幕末維新写真館】
【藩名】 清洲藩 【説明】 「福島正則」は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で東軍に与して大きな戦功を挙げた。この戦功により、正則は「徳川家康」より安芸広島藩49万8200石に加増移封された。代わって尾張…詳細を見る -
田原藩/三宅家1万2千石:三宅康保 家老の渡辺崋山が数々の改革を行った田原藩【幕末維新写真館】
【藩名】 田原藩 【説明】 第11代藩主「三宅康直」の時代である天保3年(1832年)、家老に登用された「渡辺崋山」は有能な人材登用のために各高分合制の給与改革、備蓄制度の義倉制度の整備などを行ない、天保の大飢…詳細を見る -
西尾藩/松平家6万石:松平乗秩 尾州尾張藩に従い新政府軍に恭順した西尾藩【幕末維新写真館】
【藩名】 西尾藩 【説明】 第3代藩主「松平乗寛」は「松平定信」の「寛政の改革」に参与し、幕政改革に従って藩政改革などを行った。第4代藩主「松平乗全」は「井伊直弼」の「安政の大獄」で井伊派として一橋派の処分に務…詳細を見る -
浜松藩/井上家6万石:井上正直 徳川家達が駿府70万石で移封となり上総鶴舞藩へ替地を賜った浜松藩【幕末維新写真館】
【藩名】 浜松藩 【説明】 天保5年(1834年)、「水野忠邦」は老中となったことから1万石の加増を受けて浜松7万石の大名となる。しかし、「天保の改革」に失敗したことから弘化2年(1845年)9月に2万石を減封…詳細を見る -
小諸藩(越後国長岡藩支藩)/牧野家1万5千石:牧野康済 赤報隊と戦闘し新政府に罰せられた小諸藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小諸藩(越後国長岡藩支藩) 【説明】 元禄15年(1702年)に越後国与板藩より「牧野康重」が1万5千石で入封する。慶応2年(1866年)、幕末最後の藩主となった「牧野康済」の時に「小諸騒動」が起こる…詳細を見る -
松本藩/松平家6万石:松平光則 天狗党の乱・北越戦争・会津戦争へ参戦した松本藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松本藩 【説明】 幕末の松本藩は、安政2年(1855年)藩主「松平光則」によって財政・軍制を中心とした藩政改革が行なわれた。「天狗党の乱」では元治元年(1864年)11月に諏訪藩兵と共に中山道の和田峠…詳細を見る -
飯田藩/堀家1万5千石:堀親義 佐幕派の家臣を新政府に差し出し恭順した飯田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 飯田藩 【説明】 第10代藩主「堀親寚」は水野忠邦の「天保の改革」で幕閣の一人となり、奏者番・寺社奉行・若年寄・老中などを歴任して7千石を加増された。しかし、水野失脚に伴い7千石は没収の上、本高3千石…詳細を見る -
高遠藩/内藤家3万3千石:内藤頼直 新政府軍に与して北越戦争・会津戦争に参戦した高遠藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高遠藩 【説明】 鳥居家が改易となり、高遠藩領はしばらく幕府直轄地となっていた。元禄4年(1691年)、河内富田林藩より「内藤清枚」が3万3千石で入封し再び高遠藩が立藩された。第2代藩主「頼卿」の時代…詳細を見る -
敦賀藩(小浜藩支藩)/酒井家1万石:酒井忠経 本家小浜藩と違い一貫して新政府軍に与した敦賀藩【幕末維新写真館】
【藩名】 敦賀藩(小浜藩支藩) 【説明】 敦賀藩は天和2年(1682年)、小浜藩の第2代藩主「酒井忠直」の次男の「酒井忠稠」が父の遺領のうち越前敦賀郡・近江高島郡において1万石を分与されたことに始まる藩である。…詳細を見る -
丸岡藩/有馬家5万石:有馬道純 いち早く新政府軍に恭順して家名を保った丸岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 丸岡藩 【説明】 丸岡城は戦国時代には「織田信長」の武将「柴田勝家」の養子「柴田勝豊」が治めていた。元禄8年(1695年)に譜代大名の本多家が幕命により改易されると、代わって戦国時代にキリシタン大名で…詳細を見る -
加賀藩(金沢藩)/前田家102万5千石:前田慶寧 鳥羽・伏見の戦い以降方針を新政府側へ決めた加賀藩【幕末維新写真館】
【藩名】 加賀藩 【説明】 幕末時の加賀藩は藩父「前田斉泰」と世子「前田慶寧」が佐幕派と尊皇派に分かれて対立した。斉泰は「禁門の変」に兵を送ったが、士気も上がらずなすすべもなく兵を退いた世子「前田慶寧」を叱責の…詳細を見る -
松前藩(館藩)/松前家1万石:松前修広 正義隊の藩政掌握により新政府軍へ寝返った松前藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松前藩(館藩) 【説明】 明治2年(1869年)6月、14代藩主「松前修広」は「版籍奉還」にて館藩知事に任じられた。明治4年(1871年)7月14日には「廃藩置県」で館藩は廃藩となり館県となる。政庁は…詳細を見る
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