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亀田藩/岩城家2万石:岩城隆邦 庄内藩と共に新政府軍と戦った亀田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 亀田藩 【説明】 慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」では、東北諸藩が結んだ「奥羽越列藩同盟」に加盟した。しかし、12代藩主の「岩城隆邦」は同盟締結前に新政府の上洛命令に東北諸藩で唯一応じて明治天皇に…詳細を見る -
岩崎藩(久保田藩支藩)/佐竹家2万石:佐竹義諶 戊辰戦争では本藩とともに新政府軍側で戦った岩崎藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岩崎藩(久保田藩支藩) 【説明】 幕末「王政復古の大号令」により江戸定府の必要がなくなると、8代藩主「佐竹義諶」は国入りし、慶応4年(1868年)3月、河辺郡椿台に「椿台陣屋」を構えることになった。…詳細を見る -
中津山藩(仙台藩支藩)/伊達家3万石:伊達邦賢 江戸城登城中に旗本を斬ったため改易となった中津山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 中津山藩(仙台藩支藩) 【説明】 翌元禄9年(1696年)1月11日に六本木に藩邸が落成し、10月28日に中津山を藩庁とすることが公的に確認されると、次第に中津山藩は藩としての体裁を整えていった。 …詳細を見る -
仙台藩/伊達家62万石:伊達義邦 戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の盟主となった仙台藩【幕末維新写真館】
【藩名】 仙台藩 【説明】 「戊辰戦争」では「奥羽越列藩同盟」を結成し、盟主となった。仙台藩は当時、日本有数の兵力を有していたものの、イギリスから大量に最新型の銃器を購入していた薩長軍と比べると、銃器の保有数や…詳細を見る -
一関藩(仙台藩支藩)/田村家3万石:田村崇顕 戊辰戦争では仙台藩と共に奥羽越列藩同盟に加盟したため減封された一関藩【幕末維新写真館】
【藩名】 一関藩(仙台藩支藩) 【説明】 明治元年(1868年)の「戊辰戦争」では、一関藩は仙台藩に従い「奥羽列藩同盟」に参加したが後に仙台藩とともに新政府にへ降伏した。戊辰戦争後の明治2年(1869年)、3千…詳細を見る -
盛岡藩(南部藩)/南部家20万石:南部利恭 戊辰戦争では久保田藩を攻撃し終戦と共に白石藩へ減転封となった南部藩【幕末維新写真館】
【藩名】 盛岡藩 【説明】 明治元年(1868年)、藩内は「新政府派」と「旧幕府派」に対立していたが、最終的に家老「楢山佐渡」が「奥羽越列藩同盟」への参加で藩論を一致させた。そして、新政府軍についた久保田藩(秋…詳細を見る -
八戸藩/南部家2万石:南部信順 奥羽越列藩同盟に加わるも藩主が薩摩藩からの養子のため改易を逃れた八戸藩【幕末維新写真館】
【藩名】 八戸藩 【説明】 寛文4年(1664年)、南部盛岡藩3代藩主「南部重直」が嗣子を定めずに病没したため、幕府の命により遺領10万石を、重直の2人の弟「七戸重信」の本藩8万石と、「中里数馬」の「八戸藩」2…詳細を見る -
黒石藩(弘前藩支藩)/津軽家1万石:津軽承叙 幕末時は本藩と同様に新政府軍に与した黒石藩【幕末維新写真館】
【藩名】 黒石藩(弘前藩支藩) 【説明】 弘前藩の支藩に、陸奥国津軽郡黒石(現在の青森県黒石市)に政庁が置かれた「黒石藩」がある。黒石藩は明暦2年(1656年)黒石津軽家の「津軽信政」が本藩宗家を継ぐと同時に弘…詳細を見る -
斗南藩/松平家3万石:松平容大 会津戦争の敗戦後に家名存続を許され移封し立藩した斗南藩【幕末維新写真館】
【藩名】 斗南藩 【説明】 斗南藩(となみはん)は、明治2年(1869年)11月3日に松平容保の嫡男・容大に家名存続が許されて成立した、七戸藩を挟む形で現青森県の東部にあった藩である。 斗南藩の表高は3万…詳細を見る -
飯山藩/本多家2万石:本多助寵 旧幕府軍の衝鋒隊に城下を席捲された飯山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 飯山藩 【説明】 慶長8年(1603年)、「松平忠輝」が北信濃4郡を支配したとき、その付属大名である「皆川広照」が4万石で飯山に入ったことが、飯山藩の始まりである。享保2年(1717年)に「青山幸秀」…詳細を見る -
西谷藩/水野家1万石:水野勝岑 藩主早世のため無嗣断絶した西谷藩【幕末維新写真館】
【藩名】 西谷藩 【説明】 元禄11年(1698年)、備後福山藩主「水野勝岑」が2歳で早世した。当然幼児に嗣子はおらず福山藩は無嗣断絶により改易となった。しかし、水野氏は譜代の名門であるという経緯から一族の「水…詳細を見る
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