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備中松山藩/板倉家5万石:板倉勝静 老中主座を務めた藩主自ら函館五稜郭まで転戦した備中松山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 備中松山藩 【説明】 元禄8年(1695年)、上野国高崎藩より「安藤重博」が6万5千石で入封する。子の信友は寺社奉行に任ぜられ、正徳元年(1711年)、美濃国加納藩に転封となった。同年、代わって山城国…詳細を見る -
大溝藩/分部家2万石:分部光謙 幕末時は藩主が中風のため目立つことがなかった大溝藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大溝藩 【説明】 大溝城は戦国時代に浅井長政の旧臣で「織田信長」に降っていた「磯野員昌」や一族の「津田信澄(信長の甥)」が治めていた。しかし、元和5年(1619年)8月27日、伊勢上野藩から「分部光信…詳細を見る -
刈谷藩/土井家2万3千石:土井利教 藩主が上洛して明治天皇に拝謁し駿府城守備を命じられた刈谷藩【幕末維新写真館】
【藩名】 刈谷藩 【説明】 刈谷藩主「稲垣重富」は元禄15年(1702年)9月7日に上総大多喜藩へ移封される。その後、「阿部正春」が1万6000石で入封するが、第2代藩主「阿部正鎮」の時に上総佐貫藩へ移封される…詳細を見る -
富山藩(加賀藩支藩)/前田家10万石:前田利同 加賀藩宗家から迎えられた最後の藩主前田利同【幕末維新写真館】
【藩名】 富山藩(加賀藩支藩) 【説明】 寛永16年(1639年)、加賀藩第3代藩主「前田利常(前田利長の弟)」が隠居するとき、次男の「前田利次」に富山10万石を、三男の「前田利治」に大聖寺7万石の分与し、富山…詳細を見る -
佐伯藩/毛利家2万石:毛利高謙 早くから藩主が勤王派で鳥羽伏見の戦い後に恭順した佐伯藩【幕末維新写真館】
【藩名】 佐伯藩 【説明】 文禄3年(1594年)「毛利高政」が、蔵入地の代官として治めていた豊後国玖珠郡角牟礼城と、「宮城豊盛」が治めていた同国日田郡日隈城の2万石を与えられて入封する。 幕末、…詳細を見る -
園部藩/小出家2万4千石:小出英尚 藩主不在の中西園寺公望指揮する山陰道鎮撫軍に従った園部藩【幕末維新写真館】
【藩名】 園部藩 【説明】 園部藩は、元和5年(1619年)12月、但馬国出石藩主であった「小出吉親」が新たに入封してきたことにより立藩された。所領はおよそ2万9800石である。初代藩主吉親は園部城築城や検地、…詳細を見る -
丹波柏原藩/織田家1万8千石:織田信親 藩主自ら尊皇攘夷の考えから鳥羽・伏見の戦いで新政府軍に属した柏原藩【幕末維新写真館】
【藩名】 丹波柏原藩 【説明】 織田信長の弟「織田信包」は慶長3年(1598年)6月、伊勢国安濃津から柏原3万6000石に移封された。これが柏原藩の立藩である。信包は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」では…詳細を見る -
高須藩(尾張藩支藩)/松平家3万石:松平義勇 幕末に活躍した藩主を多く養子に出した高須藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高須藩(尾張藩支藩) 【説明】 信濃伊那郡・高井郡・水内郡内に3万石の所領を得ていた尾張藩第2代藩主「徳川光友」の次男「松平義行」は元禄13年(1700年)3月25日、所領の半分である1万5000石を…詳細を見る -
半原藩/安部家2万2250千石:安部信発 武蔵岡部陣屋から半原陣屋へと藩庁を移した幕末の藩主 安部信発【幕末維新写真館】
【藩名】 半原藩 【説明】 半原藩は岡部藩が慶応4年(1868年)4月に藩庁所在地を三河国八名郡半原村(現在の愛知県新城市富岡)に移転したことによって成立した藩である。岡部藩安部氏は元々、武蔵国岡部に陣屋を置く…詳細を見る -
村松藩/堀家3万石:堀直弘 藩主は奥羽越列藩同盟に殉じた村松藩【幕末維新写真館】
【藩名】 村松藩 【説明】 幕末期の村松藩内では尊王論が台頭し、尊王攘夷と軍制改革を主張する一派と対立し、慶応2年(1866年)11月に「村松七士事件(尊王攘夷派7名を保守派が処刑した事件)」が起こるなど、藩内…詳細を見る -
徳美藩/伊丹家3万5千石:伊丹勝守 藩主自刃のため領地没収の上改易・廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 徳美藩 【説明】 寛永10年(1633年)2月、武田遺臣でもある幕臣「伊丹康勝」は下総国相馬郡の内にあった9,000石の所領から甲斐山梨郡3,000石を加増されて1万2,000石を領する大名となり、甲…詳細を見る -
佐倉藩/堀田家11万石:堀田正倫 藩主不在の中新政府軍に恭順し改易を逃れた佐倉藩【幕末維新写真館】
【藩名】 佐倉藩 【説明】 現在の印旛郡酒々井町には下総守護千葉氏の家系に連なる佐倉千葉氏の居城「本佐倉城」があるが、江戸時代の佐倉城とは別である。現在の佐倉城は幕府重臣だった「土井利勝」が江戸時代に入ってから…詳細を見る -
小見川藩/内田家1万石:内田正学 西南戦争にも参戦した小見川藩最期の藩主 内田正学【幕末維新写真館】
【藩名】 小見川藩 【説明】 幕末期の小見川藩では慶応4年(1868年)3月、脱藩藩士による蜂起が起こるなどして藩内は混乱した。小見川藩としては佐幕派として芝増上寺の警護を務めていたが、慶応4年(1868年)の…詳細を見る -
飯野藩/保科家2万石:保科正益 戊辰戦争勃発時に徳川慶喜の助命を求めた飯野藩主 保科正益【幕末維新写真館】
【藩名】 飯野藩 【説明】 飯野藩最後の藩主「保科正益」は大坂定番を務め、慶応2年(1866年)5月26日には「若年寄」にまで栄進し、「第二次長州征伐」では征長軍の指揮をとった。慶応4年(1868年)、「戊辰戦…詳細を見る -
牛久藩/山口家1万石:山口弘達 戊辰戦争では恭順を示し藩主が上洛した牛久藩【幕末維新写真館】
【藩名】 牛久藩 【説明】 牛久藩の藩祖「山口重政」は織田信長の次男「織田信雄」に仕え、その後に「徳川家康」に仕えた。そして慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」における戦功により、上総国5000石、武蔵国5…詳細を見る -
西谷藩/水野家1万石:水野勝岑 藩主早世のため無嗣断絶した西谷藩【幕末維新写真館】
【藩名】 西谷藩 【説明】 元禄11年(1698年)、備後福山藩主「水野勝岑」が2歳で早世した。当然幼児に嗣子はおらず福山藩は無嗣断絶により改易となった。しかし、水野氏は譜代の名門であるという経緯から一族の「水…詳細を見る -
小松城:2代藩主前田利常の隠居城として大々的に再建された加賀藩の支城 小松城 【お城特集 日本の歴史】
【城名】 小松城 【小松城の説明】 小松城は石川県小松市丸の内町にあった城である。 天正4年(1576年)加賀一向一揆(本願寺)の「若林長門守」により築城されたと伝えられている。 同年、織田信長の家臣「…詳細を見る -
真武根陣屋:幕末時は藩主林忠崇自ら遊撃隊として戊辰戦争に参加した請西藩陣屋跡【お城特集 日本の歴史】
【城名】 真武根陣屋(請西藩) 【城の説明】 真武根陣屋は現在の千葉県木更津市にあった請西藩1万石(林家)の陣屋跡である。林家は「徳川家斉」が11代将軍に就任すると、時の当主「林忠英」が小姓として出仕する。忠英…詳細を見る
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