タグ:美濃
-
美濃脇坂藩/脇坂家1万石:脇坂安信 池田家の世継ぎ分与問題の不始末により改易の上で廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 美濃脇坂藩 【説明】 「加藤清正」や「福島正則」と並ぶ賤ヶ岳の七本槍の一人として知られる「脇坂安治」の三男「脇坂安信」は「徳川家康」に仕えていた。大坂の陣では、「酒井忠世」と協力して多くの武功を挙げた…詳細を見る -
美濃長谷川藩/長谷川家1万石:長谷川守知 弟の守勝に分与したため旗本となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 美濃長谷川藩 【説明】 「長谷川宗仁」の子「長谷川守知」は織田信長、豊臣秀吉に仕えた。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」では西軍に与して石田三成の居城である佐和山城に籠もっていたが、9月15日の…詳細を見る -
曽根藩/西尾家2万石:西尾光教 美濃揖斐藩に加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 曽根藩 【説明】 戦国時代、曽根城は斎藤道三、織田信長に仕えた西美濃三人衆の一人「稲葉良通(一鉄)」が治めていた。しかし良通の孫「稲葉典通」は天正15年(1587年)の九州征伐において不手際があったこ…詳細を見る -
騎西藩(私市藩)/大久保家2万石:大久保忠職 美濃加納藩へ加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 騎西藩(私市藩) 【説明】 豊臣秀吉の「北条征伐」後、関東に入った「徳川家康」は松井松平家の「松平康重」に騎西2万石を与えて騎西藩(私市藩)が立藩された。慶長6年(1601年)11月、康重は常陸国笠間…詳細を見る -
兼山城(美濃金山城):織田信長の重臣森可成の居城で蘭丸・坊丸・力丸が生まれた兼山城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 兼山城(美濃金山城) 【兼山城(美濃金山城)の説明】 兼山城(美濃金山城)は現在の岐阜県可児市兼山に存在した山城である。 天文6年(1537年)、尾張国の備えとして「斎藤道三」の命で養子(京都近衛家…詳細を見る -
小牧山城:美濃の斎藤龍興攻略(稲葉山城)のため織田信長が拠点とした小牧山城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 小牧山城 【城の説明】 小牧山城はかつて織田信長が本拠としていた城である。 東の今川義元を討った信長は松平元康(徳川家康)と同盟を結ぶことにより、西への進撃を開始。 まずは美濃を制圧することに…詳細を見る -
岐阜城:織田信長が天下布武の足がかりにした美濃の岐阜城(旧名:稲葉山城)前編【お城特集 日本の歴史】
【城名】 岐阜城(旧名:稲葉山城) 【城の説明】 岐阜城は岐阜県岐阜市の金華山にあった山城である。現在の金華山は旧名では美濃国井之口稲葉山と呼称されていた。織田信長が、斎藤龍興(斎藤道三の孫)から奪取した稲葉山…詳細を見る
最近のコメント