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小倉藩/小笠原家15万石:小笠原忠忱 幕長戦争(四境戦争)では小倉口を担当した高杉晋作に惨敗し落城 藩庁を移転した小倉藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小倉藩 【説明】 慶長5年(1600年)、「関ヶ原の戦い」で「細川忠興」は「徳川家康」率いる東軍に与して戦い、丹後国田辺城では父「細川幽斎」が勅命により講和するまで西軍に頑強に抵抗した(田辺城の戦い)…詳細を見る -
土佐新田藩(土佐藩支藩)/山内家1万3千石:山内豊誠 本藩とともに戊辰戦争を戦ったため恩賞を下賜された土佐新田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 土佐新田藩(土佐藩支藩) 【説明】 土佐新田藩は土佐藩の支藩で、江戸時代後期の安永9年(1780年)に中村藩系の「山内豊産」が1万3000石を本藩より分与され立藩した。藩主は参勤交代を行わない定府大名…詳細を見る -
伊予吉田藩(宇和島藩支藩)/伊達家3万石:伊達宗敬 幕末時は本家宗城と不仲だったため佐幕派だった吉田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊予吉田藩(宇和島藩支藩) 【説明】 明暦3年(1657年)7月21日、宇和島藩の初代藩主「伊達秀宗」の五男「宗純」が本藩より3万石を分知されて立藩した支藩である。三河国の吉田藩と区別するため伊予吉田…詳細を見る -
新谷藩(大洲藩支藩)/加藤家1万石:加藤泰令 幕末には中江藤樹が農兵隊を組織し「郷組」として戊辰戦争へ参戦した新谷藩【幕末維新写真館】
【藩名】 新谷藩(大洲藩支藩) 【説明】 新谷藩は大洲藩の支藩として新谷(大洲市内)に新谷陣屋が置かれた。元和9年(1623年)、大洲藩2代藩主「加藤泰興」の弟「直泰」が幕府より1万石分与の内諾を得て成立した。…詳細を見る -
大洲藩/加藤家6万石:加藤泰秋 早くから勤王の藩として鳥羽伏見の戦いにも参戦した大洲藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大洲藩 【説明】 江戸時代初期の大洲は「藤堂高虎」の所領であり、大洲城主として丹羽長秀の子で高虎の養子の「藤堂高吉」が在城した。慶長13年(1608年)、高虎は伊勢国津藩に転封となったが、大洲の地は高…詳細を見る -
松山新田藩(伊予松山藩支藩)/松平家1万石:松平定静 宗家伊予松山藩を継いだため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松山新田藩(伊予松山藩支藩) 【説明】 松山新田藩は、江戸時代中期に存した松山藩の支藩である。石高は1万石で松平家4代「松平定直」の子「定章」が享保5年(1720年)に桑村郡・越智郡の一部を新田分知さ…詳細を見る -
小松藩/一柳家1万石:一柳頼明 戊辰戦争では新政府軍に加わり北越戦争を戦った小松藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小松藩 【説明】 伊予国東部には、西から小松藩・西条藩・川之江藩(小野藩)と一柳家の兄弟の所領が連なることとなったが、寛永19年(1642年)に小野藩の直家が没すると伊予国内の所領1万8600石が幕府…詳細を見る -
阿波富田藩(徳島藩支藩)/蜂須賀家5万石:蜂須賀正員 本藩の養子となったため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 阿波富田藩(徳島藩支藩) 【説明】 富田藩は、徳島藩の支藩として江戸時代中期に存在した藩である。延宝6年(1678年)に「蜂須賀隆重」が徳島藩5代藩主「蜂須賀綱矩」より5万石の分与を得て、名東郡富田(…詳細を見る -
多度津藩(丸亀藩支藩)/京極家1万石:京極高典 本藩丸亀藩と共に新政府軍として高松藩へ進軍した多度津藩【幕末維新写真館】
【藩名】 多度津藩(丸亀藩支藩) 【説明】 多度津藩は丸亀藩の支藩である。多度津周辺(香川県仲多度郡多度津町)で1万石を領し、多度津に陣屋を構えていた。丸亀藩3代藩主「京極高或」が3歳で藩主となったため、庶兄で…詳細を見る -
丸亀藩/京極家5万1千石:京極朗徹 鳥羽伏見の戦いでは隣藩の高松藩追討軍に加わった丸亀藩【幕末維新写真館】
【藩名】 丸亀藩 【説明】 万治元年(1658年)、山崎氏は3代で断絶し改易となり代わって「京極高和」が播磨龍野より入封する。丸亀藩は、讃岐国(香川県)の西部を領し丸亀城を本城とした藩である。江戸期を通じて京極…詳細を見る -
高松藩/松平家12万石:松平頼聰 幕末の動乱では鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍として戦い朝敵にされた高松藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高松藩 【説明】 寛永19年(1642年)、東讃地域に常陸国下館藩より御三家の水戸徳川家初代藩主「徳川頼房」の長男「松平頼重」が12万石で入封し、東讃地域に高松藩が成立した。頼重は入封にあたり、幕府よ…詳細を見る -
清末藩(長府藩支藩)/毛利家1万石:毛利元純 石州口指揮官として大村益次郎と共に幕府軍を撃破した清末藩【幕末維新写真館】
【藩名】 清末藩(長府藩支藩) 【説明】 長府藩初代藩主「毛利秀元(毛利元就の孫)」の三男「毛利元知」である。長府藩と領地が入り混じっているが石高は1万石であった。承応2年(1653年)、毛利元知が、甥に当たる…詳細を見る -
長府藩(長州藩支藩)/毛利家5万石:毛利元敏 下関戦争や戊辰戦争を本藩と共に戦った長府藩【幕末維新写真館】
【藩名】 長府藩(長州藩支藩) 【説明】 「関ヶ原の戦い」の後に「毛利輝元」が112万石から周防・長門の2か国29万8千石に減封された際に、輝元は東の守りとして岩国に「吉川広家」を置き、西の守りとして改めて長門…詳細を見る -
徳山藩(下松藩、長州藩支藩)/毛利家4万石:毛利元蕃 鳥羽・伏見の戦いから奥羽戦争 函館戦争にも参戦した徳山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 徳山藩(下松藩、長州藩支藩) 【説明】 慶安3年(1650年)6月、もともと下松に藩政庁があったが、藩主「毛利就隆」が交通の要路である徳山に藩庁を移した。この地は野上と言われていたが徳山と改称した。天…詳細を見る -
広島新田藩(広島藩支藩)/浅野家3万石:浅野長厚 戊辰戦争では広島藩宗家と行動をともにした広島新田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 広島新田藩(広島藩支藩) 【説明】 広島新田藩は、享保15年(1730年)より広島藩の蔵米3万石を与えられ広島藩4代藩主「綱長」の三男「長賢」により立藩された。藩主は参勤交代を行わず江戸定府の大名であ…詳細を見る -
三次藩(広島藩支藩)/浅野家5万石:浅野長寔 幼年で没したため継嗣断絶し廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 三次藩(広島藩支藩) 【説明】 三次藩は、江戸時代中期まで備後北部を領有した藩である。藩庁として三次に「三次城」が置かれ、知行高は5万石。寛永9年(1632年)、初代広島藩主「浅野長晟」の庶子で長男の…詳細を見る -
西江原藩/森家2万石:森長直 赤穂藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 西江原藩 【説明】 西江原藩は江戸中期の10年間存在した藩である。元禄10年(1697年)、森成利(蘭丸)の弟「忠政」を藩祖に持つ美作国津山藩の断絶にともない、津山藩2代藩主だった隠居中の「長継」が2…詳細を見る -
鴨方藩(岡山藩支藩)/池田家2万5千石:池田政保 岡山藩宗家と行動をともにした鴨方藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鴨方藩(岡山藩支藩) 【説明】 鴨方藩は備中国の浅口郡・小田郡・窪屋郡を領有し藩庁は鴨方陣屋にあった。石高は2万5000石である。寛文12年(1672年)、「池田光政」の次男「政言」が立藩した。藩主は…詳細を見る -
生坂藩(岡山藩支藩)/池田家1万5千石:池田政礼 新政府軍に従い大津警備や尾張藩への進軍で功をあげた生坂藩【幕末維新写真館】
【藩名】 生坂藩(岡山藩支藩) 【説明】 生坂藩は備中国窪屋郡生坂(岡山県倉敷市)周辺を領有した藩で、石高は1万5000石であった。寛文12年(1672年)、池田光政の三男「輝録」が立藩し藩主は岡山城下に居住し…詳細を見る -
岡田藩/伊東家1万343千石:伊東長寿 いち早く新政府に帰順し備中松山藩の討伐にも加わった岡田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岡田藩 【説明】 藩主家の伊東氏は日向国飫肥藩主の伊東氏と同族である。藩祖「伊東長実」は豊臣秀吉・秀頼に仕えて「大坂の陣」まで豊臣氏の家臣であった。関ヶ原の戦いに際し、上方での石田三成挙兵の報をいち早…詳細を見る
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