タグ:紀州藩
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西条藩(紀州藩支藩)/松平家3万石:松平頼英 御親藩支藩にも関わらず早くから新政府軍に属し戊辰戦争に参戦した西条藩【幕末維新写真館】
【藩名】 西条藩(紀州藩支藩) 【説明】 寛文5年(1665年)、「一柳直興」は職務怠慢や失政などを理由に改易処分を受け西条藩は一時天領となった。寛文10年(1670年)、紀伊国紀州藩初代藩主「徳川頼宣」の三男…詳細を見る -
田辺藩(紀州藩附家老)/安藤家3万8千石:安藤直裕 幕末に新政府から独立した藩として認められた紀伊田辺藩【幕末維新写真館】
【藩名】 田辺藩(紀州藩附家老) 【説明】 「浅野幸長」が紀伊を支配していた頃は、一族の「浅野知近」が田辺城を領していた。元和5年(1619年)7月、徳川家康の十男「徳川頼宣」が紀州藩主に封じられたとき、その付…詳細を見る -
紀州藩(和歌山藩)/徳川家55万5千石:徳川茂承 鳥羽・伏見の戦いの敗戦で旧幕軍を受け入れて新政府の攻撃対象とされかけた紀州藩【幕末維新写真館】
【藩名】 紀州藩(和歌山藩) 【説明】 紀伊国は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」の後、甲斐国主であった「浅野幸長」に与えられ、外様の浅野家が治める紀州藩が成立した。元和5年(1619年)の「福島正則」の…詳細を見る -
新宮藩(紀州藩附家老)/水野家3万5千石:水野忠幹 第二次長州征伐では獅子奮迅の戦いを展開した新宮藩【幕末維新写真館】
【藩名】 新宮藩(紀州藩附家老) 【説明】 新宮の地は戦国時代、豊臣秀吉の家臣「堀内氏善」が領していたが、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で石田三成率いる西軍に与したために没落する。その後、紀伊国に封じ…詳細を見る -
伊勢上野藩/分部家2万石:分部光信 近江大溝藩へ加増転封のため紀州藩領になり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢上野藩 【説明】 分部氏は戦国時代、伊勢国中部を領していた「長野豊藤」の五男「分部祐成」から始まる一族である。分部光嘉のとき、尾張の「織田信長」による伊勢侵攻が始まり光嘉は信長に恭順したため分部氏…詳細を見る -
田丸藩/久野家1万石:久野純固 紀州藩付家老として幕末を無事に乗り切った田丸藩【幕末維新写真館】
【藩名】 田丸藩 【説明】 田丸藩は伊勢国に存在した藩で藩庁は田丸城にあった。遠江久野城城主であった「久野宗成」は駿府藩主であった「徳川頼宣」に付属させられ、頼宣の紀州転封に際し紀州へ移ってきた。頼宣は宗成に1…詳細を見る -
西条陣屋(西条藩):一柳氏が3代で改易され紀州藩の支藩として松平氏が治めた西条陣屋【お城特集 日本の歴史】
【城名】 西条陣屋(西条藩) 【西条陣屋(西条藩)の説明】 西条陣屋は、愛媛県西条市明屋敷にあった西条藩の藩庁である。寛永13年(1636年)、伊勢国神戸藩5万石から1万8千石の加増をうけ6万8千石で「一柳直盛…詳細を見る -
新宮城:紀州藩主徳川頼宜の付家老として入封した水野重央の居城 新宮城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 新宮城 【新宮城の説明】 新宮城は和歌山県新宮市にあった平山城である。 城は現在の位置に「浅野忠吉」が築城した新宮城と、戦国大名としてこの地を支配した「堀内氏善」が居城としていた堀内新宮城(堀内屋敷…詳細を見る
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