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上総八幡藩/堀家1万石:堀直宥 越後椎谷藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 上総八幡藩 【説明】 上総苅谷藩主であった譜代大名の「堀直良」は寛文8年(1668年)12月に陣屋を苅谷から市原郡八幡に移し、上総八幡藩が立藩した。直良は元禄4年(1691年)2月に49歳で死去。後を…詳細を見る -
高滝藩(信濃国坂木藩支藩)/板倉家2万石:板倉重高 備中庭瀬藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高滝藩(信濃国坂木藩支藩) 【説明】 天和3年(1683年)、信濃坂木藩5万石の藩主「板倉重種」の甥である「板倉重宣」が重種から2万石を分与され「高滝藩」が立藩した。所領は上総市原郡のほか、信濃伊那郡…詳細を見る -
鶴舞藩/井上家6万石:井上正直 徳川家の駿河・遠江入封に伴い浜松藩から移封の上で立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鶴舞藩 【説明】 明治維新により徳川幕府が敗れ新政府が樹立されると、徳川家は江戸や全国の天領を没収された代わりに、駿河・遠江70万石を安堵された。これのより駿河・遠江の大名は上総に移封され、浜松藩は上…詳細を見る -
菊間藩/水野家5万石:水野忠敬 沼津藩からの移封により立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 菊間藩 【説明】 明治元年(1868年)5月、徳川家達が駿府藩(70万石)に移ったことにより、それまで「沼津藩主」だった「水野忠敬」の所領5万石のうち2万3700石が上知となった。その代わりとして上総…詳細を見る -
鶴牧藩(鶴牧陣屋)/水野家1万5千石:水野忠順 安房北条藩からの移封により立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鶴牧藩(鶴牧陣屋) 【説明】 安房国北条藩主であった「水野忠韶」は文政10年(1827年)5月19日、上総国市原・望陀両郡に移封されたことから「鶴牧藩」が立藩された。忠韶は市原郡椎津村1万7000坪の…詳細を見る -
小久保藩/田沼家1万1270石:田沼意尊 徳川宗家の駿河・遠江移封に伴う替地として立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小久保藩 【説明】 明治元年(1868年)9月、遠州相良藩主「田沼意尊」が徳川宗家の駿河・遠江移封による替地として上総国天羽郡小久保を与えられたことで立藩された。意尊は、第10代将軍「徳川家治」のもと…詳細を見る -
大網藩/米津家1万石:米津政敏 出羽長瀞より移封にて立藩し龍ヶ崎藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大網藩 【説明】 出羽国長瀞藩知事であった「米津政敏」は、明治2年(1869年)11月1日、長瀞から上総国山辺郡大網村の蓮照寺に陣屋を移し、大網藩が立藩した。明治4年(1871年)3月、政敏は「龍ヶ崎…詳細を見る -
五井藩/有馬家1万石:有馬氏郁 下野吹上藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 五井藩 【説明】 天明元年(1781年)11月28日、西条藩第5代藩主有馬氏恕は上総国市原郡五井に本拠を移し、有馬家は五井藩となった。有馬家は定府が解かれて参勤交代が命じられ、翌天明2年(1782年)…詳細を見る -
龍ヶ崎藩/米津家1万1千石:米津政敏 出羽長瀞藩から大網藩・龍ヶ崎藩へと移封した米津家【幕末維新写真館】
【藩名】 龍ヶ崎藩 【説明】 龍ヶ崎藩の前身は長瀞藩で出羽国に本拠を置いたため、後の戊辰戦争(奥羽戦争)では戦場となり、戦火によって「長瀞陣屋」と町を失った。明治2年(1869年)に版籍を奉還して長瀞藩知事に就…詳細を見る -
小張藩/松平家1万5千石:松平乗政 信濃小諸藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小張藩 【説明】 延宝7年(1679年)、「松平乗政」が1万石を領したことから小張藩が立藩される。乗政は「徳川家綱」の小姓で5,000石を領していたが、延宝7年に若年寄に栄進したことから常陸国河内郡や…詳細を見る -
保内藩/松平家2万石:松平頼隆 常陸府中藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 保内藩 【説明】 寛文元年(1661年)9月、水戸藩主「徳川頼房」の五男「松平頼隆」は、兄で水戸藩2代藩主「徳川光圀」から2万石の領地を分与され、保内藩が立藩した。元禄13年(1700年)9月、幕府に…詳細を見る -
大宮藩/堀田家2万石:堀田正虎 福島藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大宮藩 【説明】 下総古河藩主で、将軍「徳川綱吉」擁立で貢献した大老「堀田正俊」が貞享元年(1684年)に暗殺された。死後、その遺領13万石の内、家督と所領の大半は長男「堀田正仲」が継ぎ、正俊の次男「…詳細を見る -
下総山川藩/水野家3万5千石:水野忠善 駿河国田中藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下総山川藩 【説明】 慶長9年(1604年)に「松平定勝」の三男「松平定綱」は山川に5000石を与えられる。慶長14年(1609年)には1万石を加増され、1万5000石の大名となり「山川藩」を立藩した…詳細を見る -
真岡藩/稲葉家4万石:稲葉正勝 小田原へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 真岡藩 【説明】 寛永4年(1627年)、「堀親良」が下野烏山藩に加増移封された後、「稲葉正成」が2万石で入封した。正成は「小早川秀秋」の家老だったが、秀秋没後は徳川家の家臣となって福井藩主「松平忠昌…詳細を見る -
茂木藩/細川家1万6千2百石:細川興貫 谷田部藩の移封により立藩された茂木藩【幕末維新写真館】
【藩名】 茂木藩 【説明】 藩祖は「細川藤孝(幽斎)」の二男で、「細川忠興」の弟である「細川興元」である。慶長15年(1610年)の茂木氏の秋田転封の後をうけ、27ヶ村1万54石で入封した。元和2年(1616年)、興元…詳細を見る -
鹿沼藩/内田家1万5千石:内田正親 下総国小見川藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鹿沼藩 【説明】 正保4年(1647年)、小姓組番頭であった「朽木稙綱」は、鹿沼において5千石を加増され、2万5000石の大名として鹿沼藩を立藩した。しかし慶安2年(1649年)に稙綱は常陸国土浦藩に…詳細を見る -
板橋藩/大給松平家1万石:松平成重 三河西尾藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 板橋藩 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」の前哨戦「伏見城攻防戦」で「松平近正」は戦死した。家督は嫡子の「松平一生」が継ぎ、父の武功を賞されて5千石を加増され1万石の大名として諸侯に列…詳細を見る -
石川藩/本多家1万石:本多忠利 三河国挙母藩への移封にて廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 石川藩 【説明】 石川藩は寛文2年(1662年)、「本多忠勝」の曾孫「本多忠平(白河藩主)」が襲封にあたり次弟の「本多忠利」に陸奥石川郡のうち16か村1万石を分与して成立した白河藩の支藩である。天和元…詳細を見る -
陸奥下村藩/田沼家1万石:田沼意正 幕末前に相良へ移封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 陸奥下村藩 【説明】 文政6年(1823年)、老中「水野忠成」や将軍「徳川家斉」の計らいもあって、「田沼意正」は意次時代の旧領の相良へ再び移されることとなり、下村藩は廃藩となった。ちなみに、田沼氏が再…詳細を見る -
福島藩/板倉家3万石:板倉勝達 奥羽越列藩同盟に加盟したため減封の上三河国重原藩へ移封となった板倉氏【幕末維新写真館】
【藩名】 福島藩 【説明】 元禄15年(1702年)に板倉氏が3万石にて福島藩へ入封した。明治元年(1868年)、12代藩主「板倉勝達」は「奥羽越列藩同盟」に与したため、領土を奥羽内に移された。これに伴い元々飛…詳細を見る
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