タグ:水野家
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新宮藩(紀州藩附家老)/水野家3万5千石:水野忠幹 第二次長州征伐では獅子奮迅の戦いを展開した新宮藩【幕末維新写真館】
【藩名】 新宮藩(紀州藩附家老) 【説明】 新宮の地は戦国時代、豊臣秀吉の家臣「堀内氏善」が領していたが、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で石田三成率いる西軍に与したために没落する。その後、紀伊国に封じ…詳細を見る -
沼津藩/水野家5万8千石:水野忠敬 徳川家達の駿河移封により上総菊間藩へ移されて廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 沼津藩 【説明】 安永6年(1777年)11月6日、水野忠友が三河大浜藩より2万石で転封してきたことによる。第2代藩主「水野忠成」は「徳川家斉」の時代に老中となり、「賄賂政治」を行なった人物として有名…詳細を見る -
朝日山藩/水野家5万石:水野忠弘 奥羽越列藩同盟で敗れた山形藩が移封されて立藩した朝日山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 朝日山藩 【説明】 朝日山藩は現在の滋賀県長浜市に存在した藩である。明治3年7月17日(1870年8月13日)から明治4年7月14日(1871年8月29日)の「廃藩置県」までの約1年間存在した。奥羽越…詳細を見る -
緒川藩/水野家9千820石:水野分長 徳川家康の従兄弟でもあり重宝された水野氏 三河新城藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 緒川藩 【説明】 緒川の地は、戦国時代初期から中期にかけての水野氏の本拠地であった。第4代当主「水野忠政」の次男「水野信元」、三男「水野忠守」、九男「水野忠重」が領主を歴任しながら、徳川家康の旗下とし…詳細を見る -
三河水野藩/水野家1万石:水野忠胤 与力武将の刃傷沙汰と職務不手際の罪で切腹となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 三河水野藩 【説明】 「水野勝成」の弟「水野忠胤」は「関ヶ原の戦い」において戦功を挙げ、なおかつ「徳川家康」の従弟に当たるということから、戦後に三河国内に1万石を与えられ、大名となった。 しかし…詳細を見る -
大浜藩/水野家1万4千石:水野忠友 駿河沼津藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大浜藩 【説明】 明和5年(1768年)、信濃国佐久郡に9000石を領していた「水野忠友」が若年寄、そして奥勤兼側衆となって5000石を新たに加増されたため、1万4000石の大名として大浜藩を立藩した…詳細を見る -
北条藩/水野家1万5千石:水野忠見 上総国鶴牧藩に移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 北条藩 【説明】 享保10年(1725年)10月、「水野忠定」が信濃国から安房北条に1万2000石で移封され北条藩が立藩される。享保20年(1735年)6月、丹波国内にて3000石を加増され、都合1万…詳細を見る -
結城藩/水野家1万8千石:水野勝知 幕末時は佐幕派と勤皇派に分裂した混乱を極めた結城藩【幕末維新写真館】
【藩名】 結城藩 【説明】 慶応4年(1868年)3月1日、旧幕府から「彰義隊」の指揮を任される。当時、藩内は佐幕派と恭順派に分裂しており、藩主の勝知は佐幕派に与し、恭順派は第8代藩主勝進の子の勝寛を新藩主とし…詳細を見る -
菊間藩/水野家5万石:水野忠敬 沼津藩からの移封により立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 菊間藩 【説明】 明治元年(1868年)5月、徳川家達が駿府藩(70万石)に移ったことにより、それまで「沼津藩主」だった「水野忠敬」の所領5万石のうち2万3700石が上知となった。その代わりとして上総…詳細を見る -
鶴牧藩(鶴牧陣屋)/水野家1万5千石:水野忠順 安房北条藩からの移封により立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鶴牧藩(鶴牧陣屋) 【説明】 安房国北条藩主であった「水野忠韶」は文政10年(1827年)5月19日、上総国市原・望陀両郡に移封されたことから「鶴牧藩」が立藩された。忠韶は市原郡椎津村1万7000坪の…詳細を見る -
下総山川藩/水野家3万5千石:水野忠善 駿河国田中藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下総山川藩 【説明】 慶長9年(1604年)に「松平定勝」の三男「松平定綱」は山川に5000石を与えられる。慶長14年(1609年)には1万石を加増され、1万5000石の大名となり「山川藩」を立藩した…詳細を見る -
山形藩/水野家5万石:水野忠弘 奥羽越列藩同盟に加わるも米沢藩・仙台藩の降伏とともに恭順した山形藩【幕末維新写真館】
【藩名】 山形藩 【説明】 幕末時の山形藩は周辺の「米沢藩」「仙台藩」とともに「奥羽越列藩同盟」に加わったが、同盟の主要な藩(米沢藩・仙台藩)が降伏すると山形藩も慶応4年9月17日(1868年11月1日)に新政…詳細を見る -
西谷藩/水野家1万石:水野勝岑 藩主早世のため無嗣断絶した西谷藩【幕末維新写真館】
【藩名】 西谷藩 【説明】 元禄11年(1698年)、備後福山藩主「水野勝岑」が2歳で早世した。当然幼児に嗣子はおらず福山藩は無嗣断絶により改易となった。しかし、水野氏は譜代の名門であるという経緯から一族の「水…詳細を見る
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