タグ:松平家
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高井藩(尾張藩支藩)/松平家3万石:松平義行 領地換えにより高須藩が立藩されて廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高井藩(尾張藩支藩) 【説明】 尾張徳川家の第2代当主徳川光友の次男「松平義行」は、天和元年(1681年)8月13日に信濃国伊那郡・高井郡・水内郡内において父より3万石を分与され、高井藩を立藩した。義…詳細を見る -
葛野藩/松平家4万石:松平頼方 頼方(徳川吉宗)が紀州本家の跡を継いだため廃藩 【幕末維新写真館】
【藩名】 葛野藩 【説明】宇 元禄10年(1697年)3月、紀州藩2代藩主「徳川光貞」の四男「松平頼方(後の8代将軍徳川吉宗)」は5代将軍「徳川綱吉」に江戸城内にて御目見し、綱吉から越前国丹生郡3万石を与えられ…詳細を見る -
木本藩/松平家2万5千石:松平直良 越前勝山藩へ加増転封となったため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 木本藩 【説明】 元和9年(1623年)に越前福井藩主「松平忠直(結城秀康の子)」が改易された翌年、その弟である「松平忠昌」が福井藩主となる。このとき、忠直の弟たちに所領が分与されて「勝山藩」「大野藩…詳細を見る -
越前松岡藩/松平家5万石:松平昌勝 昌勝が福井本家を継いだため廃藩 【幕末維新写真館】
【藩名】 越前松岡藩 【説明】 正保2年(1645年)、福井藩主「松平忠昌(結城秀康の子)」が死去し、跡を次男の「松平光通」が継いだ。このとき、光通は弟の「松平昌親」に吉江藩2万5000石を分与し、兄である「松…詳細を見る -
吉江藩/松平家2万5千石:松平昌明 昌明が福井藩本家を継ぐことで廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 吉江藩 【説明】 正保2年(1645年)、結城秀康の子で第3代福井藩主の「松平忠昌」が死去し「松平光通」が跡を継いだ。このとき、光通は異母兄の「松平昌勝」に松岡藩5万石を分与し、同じく異母弟の「松平昌…詳細を見る -
高森藩/松平家2万石:松平宗胡 無嗣断絶のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高森藩 【説明】 元禄10年(1697年)3月、紀州藩主「徳川光貞」の三男の「松平頼職」が3万石を分与されて高森藩が立藩された。しかし宝永2年(1705年)6月、本家を継いだ「徳川綱教」が嗣子なく死去…詳細を見る -
福井藩(越前藩)/松平家32万石:松平慶永 大政奉還・鳥羽・伏見の戦い後は新政府軍に与した越前藩【幕末維新写真館】
【藩名】 福井藩(越前藩) 【説明】 慶長6年(1601年)に「関ヶ原の戦い」の功により、徳川家康の次男「結城秀康」が越前一国67万石を与えられ、柴田勝家の築いた「北ノ庄城」を約6年かけて大改修し居城とする。そ…詳細を見る -
糸魚川藩/松平家1万石:松平直静 越前福井藩の支藩【幕末維新写真館】
【藩名】 糸魚川藩 【説明】 第7代藩「松平直廉」は「安政の大獄」で家督を追われた「松平慶永」に代わって越前松平家(宗家)を継ぐこととなる。このため、糸魚川藩には播磨明石藩から「松平直静」が第6代藩主「松平直春…詳細を見る -
玉縄藩/松平家2万5千石:松平正久 上総国大多喜藩へ転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 玉縄藩 【説明】 玉縄城は小田原北条氏の支城であったが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉の「小田原征伐」で落城する。 「徳川家康」が関東に入封し、家康の参謀「本多正信」の所領となったが…詳細を見る -
武蔵松山藩/松平家3万石:松平忠頼 遠江国浜松藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 武蔵松山藩 【説明】 「豊臣秀吉」の「北条征伐」後に「徳川家康」が関東入国すると、天正18年(1590年)に「松平家広」が武蔵松山1万石を与えられて武州松山藩を立藩した。のちに3万石に加増された。しか…詳細を見る -
八幡山藩/松平家1万石:松平家清 三河国吉田に加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 八幡山藩 【説明】 豊臣秀吉の北条征伐後に「徳川家康」が関東に入封し、江戸城に本拠を構えると、「松平家清」に児玉郡八幡山1万石を与え、八幡山藩を立藩させた。藩政は父「松平清宗」が専任し、家清は天正19…詳細を見る -
忍藩/松平家10万石:松平忠誠 戊辰戦争では新政府軍についた忍藩【幕末維新写真館】
【藩名】 忍藩 【説明】 忍藩3代藩主「松平忠国」は所領10万石のうち5万石を上総・安房に移されたため、異国船の警備を任じられた。嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊が来航して幕府に開国要求が迫ると、幕府は短期間…詳細を見る -
川越藩/松平家8万4千石:松平康載 老中の座を辞して新政府軍に恭順した川越藩【幕末維新写真館】
【藩名】 川越藩 【説明】 幕末の藩主「松平康英」は慶応4年(1868年)、新政府軍に恭順することで藩論をまとめ、老中を辞する。その後恭順の意を示そうと上洛するが、新政府軍に近江国の飛地領2万石を没収の上で謹慎…詳細を見る -
桜井藩(貝淵藩)/松平家1万8千石:松平信敏 徳川宗家の駿河転封による替地として立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 桜井藩(貝淵藩) 【説明】 明治元年(1868年)7月13日、徳川宗家の駿河・遠江への転封に伴い、駿河国小島藩から1万石で「松平信敏」が上総国に替地として移転した。当初は上総国周准郡南子安村金ヶ崎(君…詳細を見る -
姉崎藩/松平家2万石:松平直政 越前大野5万石へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 姉崎藩 【説明】 慶長12年(1607年)11月、「徳川家康」の次男「結城秀康」の次男「松平忠昌」が姉ヶ崎に1万石を与えられたことにより姉ヶ崎藩が立藩した。忠昌は元和元年(1615年)11月、下妻藩主…詳細を見る -
大多喜藩/松平家2万石:松平正質 遊撃隊や請西藩の誘いを退けたことで新政府より赦免された大多喜藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大多喜藩 【説明】 天正18年(1590年)、豊臣秀吉による「小田原征伐」後、関東に入部した「徳川家康」は「徳川四天王」の一人「本多忠勝」に上総国に10万石を与えた。忠勝は当初は「万喜城」に入城したが…詳細を見る -
小張藩/松平家1万5千石:松平乗政 信濃小諸藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小張藩 【説明】 延宝7年(1679年)、「松平乗政」が1万石を領したことから小張藩が立藩される。乗政は「徳川家綱」の小姓で5,000石を領していたが、延宝7年に若年寄に栄進したことから常陸国河内郡や…詳細を見る -
保内藩/松平家2万石:松平頼隆 常陸府中藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 保内藩 【説明】 寛文元年(1661年)9月、水戸藩主「徳川頼房」の五男「松平頼隆」は、兄で水戸藩2代藩主「徳川光圀」から2万石の領地を分与され、保内藩が立藩した。元禄13年(1700年)9月、幕府に…詳細を見る -
松川藩/松平家2万石:松平頼之 守山藩から松川藩へ藩庁を移転し立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松川藩 【説明】 明治3年(1870年)、守山藩は藩庁を守山から常陸国松川に移したため、ここに「松川藩」が立藩し守山藩は廃藩となる。翌明治4年(1871年)、陣屋の物置から出火し、強い北風に煽られて藩…詳細を見る -
額田藩/松平家2万石:松平頼貞 磐城守山藩へ藩庁を移転したため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 額田藩 【説明】 寛文元年(1661年)9月、水戸藩主「徳川頼房」の四男「松平頼元」が、水戸藩領のうち那珂郡内2万石を分与され額田藩が立藩した。当初は領地がなく、水戸藩から2万石分の年貢を与えられるだ…詳細を見る
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