タグ:松平家
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上山藩/松平家3万石:松平信庸 奥羽越列藩同盟に与して久保田藩を攻めた上山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 上山藩 【説明】 上山藩は慶応4年(1868年)、戊辰戦争が始まると「奥羽越列藩同盟」に参加し総督「山村求馬」率いる洋式軍隊を出羽久保田藩に派兵する。しかし、山村求馬は出羽新庄藩の裏切りにより戦死して…詳細を見る -
常陸宍戸藩(水戸藩支藩)松平家1万石:松平頼徳 天狗党の乱鎮圧に失敗して切腹 改易された宍戸藩【幕末維新写真館】
【藩名】 常陸宍戸藩 【説明】 元々は「秋田実季」が5万石で入封したが陸奥三春藩へ転封のため、水戸藩の支藩として宍戸藩が立藩された。8代藩主「松平頼位」は水戸藩主「徳川斉昭」に同調して、軍事改革などを積極的に行…詳細を見る -
百首藩(造海城)/松平家1万500石:松平重則 下野皆川へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 百首藩(別名:造海城) 【説明】 寛永10年(1633年)4月、「松平重則」が4000石を加増され1万500石を領する大名とし列すると「百首藩」を立藩した。しかし、寛永17年(1640年)、所領を下野…詳細を見る -
松山新田藩(伊予松山藩支藩)/松平家1万石:松平定静 宗家伊予松山藩を継いだため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松山新田藩(伊予松山藩支藩) 【説明】 松山新田藩は、江戸時代中期に存した松山藩の支藩である。石高は1万石で松平家4代「松平定直」の子「定章」が享保5年(1720年)に桑村郡・越智郡の一部を新田分知さ…詳細を見る -
高松藩/松平家12万石:松平頼聰 幕末の動乱では鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍として戦い朝敵にされた高松藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高松藩 【説明】 寛永19年(1642年)、東讃地域に常陸国下館藩より御三家の水戸徳川家初代藩主「徳川頼房」の長男「松平頼重」が12万石で入封し、東讃地域に高松藩が成立した。頼重は入封にあたり、幕府よ…詳細を見る -
鶴田藩/松平家2万8千石:松平武聰 旧浜田藩主松平武聰が長州藩に追われ飛地まで撤退して立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鶴田藩 【説明】 鶴田藩は幕末から明治初頭まで存在した藩で藩庁は鶴田陣屋に置かれた。慶応2年(1866年)の第二次長州征伐の際、長州藩の「大村益次郎」引きいる南園隊を中心とした長州軍に完敗して松江城に…詳細を見る -
母里藩(松江藩支藩)/松平家1万石:松平直哉 第一次長州征伐では消極的な態度に終始した母里藩【幕末維新写真館】
【藩名】 母里藩(松江藩支藩) 【説明】 母里藩は江戸時代中期までは神戸藩と呼ばれたが安来市伯太町西母里の母里陣屋に藩庁が置かれたことから母里藩と呼ばれた。寛文6年(1666年)4月29日、松平家松江藩初代藩主…詳細を見る -
広瀬藩(松江藩支藩)/松平家3万石:松平直巳 幕末では佐幕派と勤皇派で混乱した広瀬藩【幕末維新写真館】
【藩名】 広瀬藩(松江藩支藩) 【説明】 広瀬藩はかつての出雲国の中心地で現在の安来市広瀬地区に広瀬陣屋に藩庁が置かれていた。寛文6年(1666年)、松平家松江藩初代藩主「直政」の次男「近栄」が3万石を分与され…詳細を見る -
松江新田藩(松江藩支藩)/松平家1万石:松平近憲 本藩を継いだため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松江新田藩(松江藩支藩) 【説明】 松江新田藩は、江戸時代中期にあった松江藩の新田分知による支藩である。元禄14年(1701年)松平家松江藩2代藩主「綱隆」の次男「近憲」が1万石を分与され立藩した。近…詳細を見る -
大坂藩/松平家10万石:松平忠明 大和郡山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大坂藩 【説明】 大坂城は天正11年(1583年)に豊臣秀吉によって築城されて以来、秀吉による天下統一、その後のいわゆる「豊臣政権」の中心として機能してきたが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い以後…詳細を見る -
尼崎藩/松平家4万5千石:松平忠興 戊辰戦争ではいち早く新政府軍に従った尼崎藩【幕末維新写真館】
【藩名】 尼崎藩 【説明】 青山氏4代「青山幸秀」は、正徳元年(1711年)に信濃国飯山藩へ転封となり、代わって「松平忠喬」が遠江国掛川藩から入封し、青山氏の体制を引き継いだ。しかし、武庫郡・菟原郡・八部郡内が…詳細を見る -
興留藩/松平家1万石:松平信通 本家の家督相続の上備中庭瀬藩へ転封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 興留藩 【説明】 延宝7年(1679年)、「松平信之」は大和郡山藩主となり8万石の所領を得た。貞享2年(1685年)に信之は老中に栄進したことから1万石加増の上で下総国古河藩へ移されたが翌年に死去した…詳細を見る -
金山藩/松平家2万5千石:松平忠頼 遠州浜松藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 金山藩 【説明】 天正10年(1582年)3月の「甲州討伐」で武功を挙げたため、「鬼武蔵」と称された「森長可」は金山と北信濃4郡、あわせて20万9700石を与えられた。同年6月、信長が「本能寺の変」に…詳細を見る -
高須藩(尾張藩支藩)/松平家3万石:松平義勇 幕末に活躍した藩主を多く養子に出した高須藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高須藩(尾張藩支藩) 【説明】 信濃伊那郡・高井郡・水内郡内に3万石の所領を得ていた尾張藩第2代藩主「徳川光友」の次男「松平義行」は元禄13年(1700年)3月25日、所領の半分である1万5000石を…詳細を見る -
形原藩/松平家1万石:松平家信 摂津高槻藩へ加増転封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 形原藩 【説明】 「松平家信」は徳川家康に仕えて度々功を挙げたことから、三河形原に5000石を与えられた。元和4年(1618年)9月に安房国内において5000石を加増されて1万石の大名となり、形原藩を…詳細を見る -
奥殿藩/松平家1万6千石:松平乗謨 信濃国佐久郡田野口へ移転し龍岡五稜郭建造のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 奥殿藩 【説明】 第7代藩主となった奥殿藩主「松平乗利」は有能な名君で、文武を奨励して演武場、藩校・明徳館などを創設している。天保4年(1833年)の凶作時には、窮民に対する救済も万全に行なうなど、他…詳細を見る -
作手藩/松平家1万7千石:松平忠明 伊勢亀山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 作手藩 【説明】 「奥平信昌」と「徳川家康」の長女「亀姫」との間に生まれた四男の「松平忠明」は、外祖父家康の養子となって松平姓を名乗ること、兄である「松平家治」の遺領、上野国長根に7000石を領した。…詳細を見る -
吉田藩(豊橋藩)/松平家7万石:松平信古 尾張藩の斡旋にて新政府軍に恭順し伊予吉田藩と同名のため豊橋藩へ改名【幕末維新写真館】
【藩名】 吉田藩(豊橋藩) 【説明】 寛延2年(1749年)、「松平信復(信祝の子)」が7万石で入封し藩主家が定着する。第5代藩主「松平信順」は大坂城代・京都所司代を歴任した後の天保8年(1837年)5月16日…詳細を見る -
大給藩/松平家1万2千石:松平乗真 藩庁が手狭となったため奥殿へ移転した大給藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大給藩 【説明】 大給松平家は「徳川家康」の5代前の松平家当主「松平親忠」の次男「松平乗元」より始まり代々松平宗家に譜代の家臣として仕えた。第5代当主「松平真乗」の次男で「徳川秀忠」に仕えた「松平真次…詳細を見る -
小島藩/松平家1万石:松平信敏 徳川宗家の家名存続と駿府移封に伴い上総国金ヶ崎藩へ転封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小島藩 【説明】 元禄2年(1689年)5月、「松平信孝」が4000石を加増を受けて1万石の大名となり小島藩を立藩した。幕末最後の藩主「松平信敏」は慶応3年(1867年)に新政府側に与する。明治維新後…詳細を見る
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