タグ:日本の歴史
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日和佐城:長宗我部元親の重臣(弟)香宗我部親泰の侵攻で降伏した日和佐氏の日和佐城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 日和佐城 【日和佐城の説明】 日和佐城は阿波国、現在の徳島県海部郡にあった城である。城の築城に関しては室町時代に「日和佐肥前守」が築城したという説がある以外あまり資料が残っていない。 1577年…詳細を見る -
筒井城:興福寺の僧兵を束ねる地位から戦国大名へ 筒井順慶の居城 筒井城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 筒井城 【筒井城の説明】 筒井城は奈良県大和郡山市筒井町にあった城で、筒井家は興福寺の僧兵を束ねる地位にあった。 筒井家は順慶の父、「筒井順昭」の時に勢力を拡大し大和一国をほぼ統一した。 しか…詳細を見る -
棚倉城:戦国時代は伊達政宗や佐竹義重が争った地で戦国後期に丹羽長重が築城した城 棚倉城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 棚倉城 【棚倉城の説明】 棚倉城は福島県東白川郡棚倉町にあった平城である。 戦国時代には伊達政宗や佐竹義重、白川の結城義親などがこの地を巡って激しく争った。 戦国時代も終わりに近づくと…詳細を見る -
柳川城:大友家の重臣立花道雪の婿養子立花宗茂が治めた柳川城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 柳川城 【柳川城の説明】 柳川城は福岡県柳川市にあった平城である。戦国時代初期に蒲池治久が蒲池城の支城として柳川城を築いたがのちに本城を柳川城に移している。 戦国時代中期、蒲池鎮漣が城主の時には…詳細を見る -
浜松城:三方ヶ原の戦いはここから出撃 駿河国配領前の徳川家康の本城 浜松城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 浜松城 【浜松城の説明】 浜松城は静岡県浜松市にあった平山城である。 元々は今川義元の家臣「飯尾氏」が城主をつとめており、この時は「曳馬城」と呼ばれていた。 今川義元が桶狭間の戦いで討ち死にす…詳細を見る -
大槻沢玄:杉田玄白・前野良沢の弟子にして一関藩の蘭学者 大槻沢玄【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 大槻沢玄:杉田玄白・前野良沢の弟子にして一関藩の蘭学者 大槻沢玄 大槻玄沢三賢人像 大槻玄沢は一関藩の蘭学者である。 江戸時代の代表的西洋学者「杉田玄白」「前野良沢」から一文字ずつも…詳細を見る -
織田信長:相反する二つの顔を持つ織田信長の素顔【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 織田信長:相反する二つの顔を持つ織田信長の素顔 『冷酷残忍にして厚情寛大な二面性を持つ信長』 残忍で冷酷な暴君として描かれることが多い信長は、自ら「第六天魔王」と書状にしたためるなど、ダー…詳細を見る -
福島城:伊達政宗の祖父晴宗の隠居城だった杉目城から秀吉の腹心木村吉清が改名 福島城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 福島城 【福島城の説明】 福島城は現在の福島県福島市杉妻にあった平城で現在の県庁所在地がその場所である。 もともとは杉目城や杉妻城と呼ばれており、伊達晴宗が政宗の父「輝宗」に家督を譲る際、自身の隠居…詳細を見る -
久留米城:毛利秀包・田中忠政が改易となり有馬豊氏が21万石にて入封した久留米城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 久留米城 【久留米城の説明】 久留米城は福岡県久留米市篠山町にあった平丘城である。 戦国時代前期には篠原城という砦ほどの城があり、筑前・筑後の大友宗麟と肥前の竜造寺隆信が互いに争っていた。やがて…詳細を見る -
雑賀城:鈴木佐大夫・雑賀孫一が織田信長や豊臣秀吉に激しく抵抗した鉄砲集団の雑賀城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 雑賀城 【雑賀城の説明】 雑賀城は和歌山県和歌山市和歌浦付近にあったお城で別名「妙見山城」とも呼ばれている。 鉄砲衆で有名な雑賀孫一の父「鈴木佐大夫(雑賀重意)」が妙見山山頂付近の千畳敷(台状地)に…詳細を見る -
七尾城:能登守護職畠山氏が治め戦国時代には織田家と上杉氏が激しく激突した七尾城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 七尾城 【城の説明】 七尾城は室町時代に能登守護職の「畠山満慶」が築いた山城と伝えられている。築城当初は砦程度の規模と予想され、政庁も七尾市府中に置かれていた。 戦国時代に入ると群雄割拠となり城…詳細を見る -
加藤清正:羽柴秀吉の小姓から一躍肥後一国の大大名へとのし上がった熊本城主 加藤清正【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 加藤清正:羽柴秀吉の小姓から一躍肥後一国の大大名へとのし上がった加藤清正 加藤清正は羽柴秀吉が長浜城主だった頃に召抱えられ、その後「賤ヶ岳の戦い」では「七本槍」の一人に数えられ、さらに数々の…詳細を見る -
宇都宮城:下野の国の名門宇都宮家が治め関東七名城にも数えられる宇都宮城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 宇都宮城 【城の説明】 宇都宮城は栃木県宇都宮市にあった城で関東七名城の一つに数えられている。 前九年の役の際に「藤原円宗」が源義家に従い奥州遠征に赴き、その武功により現宇都宮市内及び鬼怒川周辺の土…詳細を見る -
魚津城:椎名康胤が上杉謙信に離反して落城した松倉城の支城 魚津城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 魚津城 【城の説明】 魚津城は富山県魚津市にあった平城で戦国時代には椎名康胤の治めていた城である。 椎名氏は上杉氏に従っており魚津城は松倉城という山城の支城であった。 ところが「椎名康胤」は甲…詳細を見る -
徳島城:豊臣秀吉の四国征伐の恩賞として蜂須賀家政が配領した阿波徳島城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 徳島城 【徳島城の説明】 徳島城は吉野川の中州とその周辺からなる城郭跡である。鎌倉時代に伊予の国河野家の支配の及ぶ地であったが、室町時代になると細川頼之が勢力をもつようになり現在の位置に徳島城の基礎を…詳細を見る -
伊達政宗:関ヶ原の戦いから大阪の陣そして晩年(後編) 【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 伊達政宗:関ヶ原の戦いから大阪の陣そして晩年(後編) 関ヶ原の合戦が始まると政宗は上杉景勝の抑えとして背後を任されることになる。家康が西下する際に上杉軍が追撃出来ないよう牽制する大役を課せら…詳細を見る -
伊達政宗:摺上原の戦いから関ヶ原の戦いまで(中編) 【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 伊達政宗:摺上原の戦いから関ヶ原の戦いまで(中編) 政宗は奥羽最大の大名へと上り詰めていた。しかし、中央では豊臣秀吉が織田信長の覇権を継承しており、関東の北条氏政・氏直親子征伐のため準備を進…詳細を見る -
伊達政宗:出生から家督相続 摺上原の戦いまで(前編) 【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 伊達政宗:出生から家督相続 摺上原の戦いまで(前編) 伊達政宗は永禄10年8月(1567年)に出羽国米沢城内で伊達輝宗の嫡男として生まれた。幼名は梵天丸。 伊達家では元服する際に名前の…詳細を見る -
最上義光:戦国時代に山形城を拠点に出羽国を統一した戦国武将 最上義光【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 戦国時代に山形城を拠点に出羽国を統一した戦国武将 最上義光 最上義光(もがみ よしあき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての出羽国を統一した戦国大名である。最上家の第11代当主にあたる。関…詳細を見る -
高山右近:最後はマニラにて死去 高槻城主でキリシタン大名 高山右近(ジュスト右近)後編【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 最後はマニラにて死去 高槻城主でキリシタン大名 高山右近(ジュスト右近)後編 天正6年(1578年)高山右近が与力として従っていた「荒木村重」が主君「織田信長」に反旗を翻した。村重の離反を知…詳細を見る
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