タグ:新政府軍
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下手渡藩/立花家1万石:立花種恭 奥羽戦争では新政府軍側で仙台藩と戦った下手度藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下手渡藩 【説明】 幕末の藩主「立花種恭」は慶応4年(1866年)1月10日に老中格の会計総裁となったが、すでに「戊辰戦争」が始まっており、「鳥羽伏見の戦い」において敗北を喫した直後であった。この混乱…詳細を見る -
泉藩/本多家2万石:本多忠紀 奥羽越列藩同盟に加盟し新政府軍と交戦した泉藩【幕末維新写真館】
【藩名】 泉藩 【説明】 第6代藩主「本多忠紀」は幕末に寺社奉行・奏者番として参与する。そして「戊辰戦争」では旧幕府軍に与して新政府軍と戦ったため、官位剥奪の上、2000石を召し上げられて強制隠居を余儀なくされ…詳細を見る -
湯長谷藩/内藤家1万5千石:内藤政養 奥羽越列藩同盟に加盟各地に転戦したため新政府軍に攻められ落城した湯長谷藩【幕末維新写真館】
【藩名】 湯長谷藩 【説明】 本藩にあたる「磐城平藩」内藤家は、延享4年(1747年)に「日向延岡」に転封されるが、湯長谷藩の内藤家はそのまま領地を保ち、幕末まで存続する。歴代藩主はほとんどが養子を迎えていた。…詳細を見る -
棚倉藩/阿部家10万石:阿部正静 奥羽越列藩同盟に加わり新政府軍の攻撃で落城した棚倉藩【幕末維新写真館】
【藩名】 棚倉藩 【説明】 戊辰戦争では、藩主「阿部正静」が藩兵を率いて「奥羽越列藩同盟」に参加、白河口において新政府軍と対峙した。慶応4年(1868年)6月24日、棚倉城は新政府軍の攻撃を受けて落城し正静は降…詳細を見る -
三春藩/秋田家5万石:秋田映季 新政府軍へ寝返り奥羽越列藩同盟軍へ攻撃を加えた三春藩【幕末維新写真館】
【藩名】 三春藩 【説明】 戊辰戦争の際には他の東北諸藩同様に新政府側であったが、奥羽鎮撫総督参謀の世良修蔵暗殺と会津・旧幕府軍による白河城攻略による白石会議が「奥羽越列藩同盟」に変貌した為これに加わる。 …詳細を見る -
相馬中村藩/相馬家6万石:相馬誠胤 奥羽越列藩同盟に参加し仙台藩・米沢藩と共に新政府軍と交戦したが早々に恭順した相馬中村藩【幕末維新写真館】
【藩名】 相馬中村藩 【説明】 慶応4年(1868年)の戊辰戦争では南境の「磐城平藩」や北境の「仙台藩」とともに「奥羽越列藩同盟」に参加し、浜街道を北上してきた新政府軍に対して「仙台藩」や「米沢藩」と共に応戦(…詳細を見る -
米沢新田藩(米沢藩支藩)/上杉家1万石:上杉勝道 米沢宗家が新政府軍に交戦したため減封のため吸収された米沢新田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 米沢新田藩(米沢藩支藩) 【説明】 米沢新田藩は享保4年(1719年)に5代藩主「上杉吉憲」が弟「上杉勝周」に領内の新田分1万石を分与して成立した。米沢城内二の丸に藩庁を置き、居所としていた。武鑑では…詳細を見る -
庄内藩(鶴岡藩・大泉藩)/酒井家17万石:酒井忠篤 奥羽越列藩同盟軍で最後まで新政府軍と戦い連戦連勝した庄内藩【幕末維新写真館】
【藩名】 庄内藩(鶴岡藩・大泉藩) 【説明】 慶応3年12月(1868年1月)、「上山藩」などとともに江戸薩摩藩邸への討ち入りを命ぜられて実行する。戊辰戦争の口火を切るとともに、この焼き打ちが新政府軍による徳川家武力討…詳細を見る -
矢島藩/生駒家1万石:生駒親敬 戊辰戦争では新政府軍に与したため庄内藩の攻撃を受け陣屋を自焼した矢島藩【幕末維新写真館】
【藩名】 矢島藩 【説明】 慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」において、新政府軍に対抗すべく「奥羽越列藩同盟」が結成される。矢島藩12代当主「生駒親敬」は当初同盟軍に加盟したが、久保田藩からの誘いを受け、家中…詳細を見る -
亀田藩/岩城家2万石:岩城隆邦 庄内藩と共に新政府軍と戦った亀田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 亀田藩 【説明】 慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」では、東北諸藩が結んだ「奥羽越列藩同盟」に加盟した。しかし、12代藩主の「岩城隆邦」は同盟締結前に新政府の上洛命令に東北諸藩で唯一応じて明治天皇に…詳細を見る -
岩崎藩(久保田藩支藩)/佐竹家2万石:佐竹義諶 戊辰戦争では本藩とともに新政府軍側で戦った岩崎藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岩崎藩(久保田藩支藩) 【説明】 幕末「王政復古の大号令」により江戸定府の必要がなくなると、8代藩主「佐竹義諶」は国入りし、慶応4年(1868年)3月、河辺郡椿台に「椿台陣屋」を構えることになった。…詳細を見る -
黒石藩(弘前藩支藩)/津軽家1万石:津軽承叙 幕末時は本藩と同様に新政府軍に与した黒石藩【幕末維新写真館】
【藩名】 黒石藩(弘前藩支藩) 【説明】 弘前藩の支藩に、陸奥国津軽郡黒石(現在の青森県黒石市)に政庁が置かれた「黒石藩」がある。黒石藩は明暦2年(1656年)黒石津軽家の「津軽信政」が本藩宗家を継ぐと同時に弘…詳細を見る -
岩城平城:岩城氏改易後に鳥居忠政が入封 幕末では安藤氏が新政府軍へ徹底抗戦し落城した平城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 岩城平城 【岩城平城の説明】 岩城平城は現在の福島県いわき市にあった平城である。 慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの後、陸奥国磐前郡磐城平の飯野平城主「岩城貞隆(佐竹義重の三男)」は実の兄である…詳細を見る -
鶴ヶ岡城(大宝寺城):戊辰戦争では新政府軍に連戦連勝した庄内藩の居城 鶴ヶ岡城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 鶴ヶ岡城(大宝寺城) 【鶴ヶ岡城(大宝寺城)の説明】 鶴ヶ岡城は山形県鶴岡市馬場町にあった庄内藩17万石の城である。 鎌倉時代に鶴ヶ岡城の前進となる大宝寺城が武藤氏(大宝寺氏)によって築かれた。 …詳細を見る -
長岡城:河井継之助率いる長岡藩が新政府軍と死闘を繰り広げた牧野家7万4千石 長岡城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 長岡城 【長岡城の説明】 長岡城は新潟県長岡市にあった平城である。 戦国時代前期に越後国守護の長尾氏の一族が「蔵王堂城」を築いたことに始まる。 長尾景信が「御館の乱(謙信の後継者争い)…詳細を見る -
弁天台場跡:新政府軍からの函館湾防衛に用いられた旧幕府軍の弁天台場【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 弁天台場跡 【説明】 弁天台場は箱館港の防衛拠点として1863年(文久3年)に完成した砲台である。 洋式城郭五稜郭を手掛けた「武田斐三郎」の設計により、徳川幕府が約8年の歳月をかけて建造した。 …詳細を見る -
凌霜隊 悲しい小藩の定め?新政府軍と旧幕府軍に二股をかけざるを得なかった郡上藩【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 悲しい小藩の定め?新政府軍と旧幕府軍に二股をかけざるを得なかった郡上藩【日本の歴史ブログ】 郡上藩は幕末時には青山家が治める領地でした。 2万4千石という小藩の悲しさなのか、戊辰戦争時は新…詳細を見る -
盛岡城:幕末時は奥羽越列藩同盟に加盟 新政府軍と戦火を交えた藩祖南部信直の盛岡城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 盛岡城 【城の説明】 盛岡城は岩手県盛岡市にあった南部藩の居城である。関東・東北地方では珍しい総石垣の城であり、天守台は建造されたものの天守自体は幕府への遠慮から造られなかった。城の位置は北上川と中津…詳細を見る -
白河小峰城:戊辰戦争では奥羽諸藩と新政府軍との間で激戦の城 白河小峰城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 白河小峰城 【城の説明】 白河小峰城は福島県白河市あった城である。白河城とも小峰城とも呼称されている。この城は南北朝時代に「結城親朝」が築いたのが始まりとされている。室町時代と鎌倉時代をたくみに生き抜…詳細を見る
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