タグ:新政府軍
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古河藩/土井家8万石:土井利与 大政奉還後はいち早く新政府軍に恭順した古河藩【幕末維新写真館】
【藩名】 古河藩 【説明】 幕末の藩主「土井利与」は元治2年(1865年)4月1日、将軍「徳川家茂」に拝謁する。同年12月15日、従五位下内膳正に叙任し、家督相続後「大炊頭」に改める。慶応3年(1867年)4月…詳細を見る -
久留里藩/黒田家3万石:黒田直養 いち早く新政府軍に恭順し家名を守った久留里藩【幕末維新写真館】
【藩名】 久留里藩 【説明】 戊辰戦争のとき、最後の藩主「黒田直養」は新政府軍に帰順し、慶応4年(1868年)2月、15代将軍「徳川慶喜」が上野寛永寺に謹慎したときには「榊原政敬」と共にその警護を務めた。 …詳細を見る -
一宮藩/加納家1万3千石:加納久宜 真忠組の乱を鎮圧し戊辰戦争では新政府軍に与した一宮藩【幕末維新写真館】
【藩名】 一宮藩 【説明】 戦国時代にはこの地に一宮城が存在していた。一宮城は北条氏と里見氏の勢力圏の境目にあり、しばしば支配者が変わったが、戦国時代も終盤になると、豊臣秀吉による「小田原征伐」の際に徳川家康の…詳細を見る -
麻生藩/新庄家1万石:新庄直敬 戊辰戦争時にはいち早く新政府軍に恭順した麻生藩【幕末維新写真館】
【藩名】 麻生藩 【説明】 「新庄直頼」は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」のとき、西軍に属したため摂津国高槻の所領を没収されていたが、後に許されて「徳川家康」に召し出された慶長9年(1604年)、常陸国…詳細を見る -
谷田部藩/細川家1万6千2百石:細川興貫 新政府軍に与して会津へも派兵した谷田部藩【幕末維新写真館】
【藩名】 谷田部藩 【説明】 細川幽斎(細川藤孝)の次男「細川興元」は、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」の後、兄「細川忠興」と不仲になって出奔する。その後、慶長15年(1610年)7月27日、将軍「徳川…詳細を見る -
下館藩/石川家2万:石川総管 天誅組の乱を治めるも新政府軍よりの態度から旧幕府軍に城を攻撃された下館藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下館藩 【説明】 最後の藩主「石川総管」は幕末期の幕府の中で若年寄・陸軍奉行を務め、「天誅組の反乱」鎮圧にも貢献した。しかし総管は新政府寄りの態度を示したため、慶応4年(1868年)4月の「戊辰戦争」…詳細を見る -
吹上藩/有馬家1万石:有馬氏弘 天狗党の乱の鎮圧や戊辰戦争では新政府軍に与した吹上藩【幕末維新写真館】
【藩名】 吹上藩 【説明】 天保13年(1842年)、五井藩主だった「有馬氏郁」が下野吹上に移封され「吹上藩」が立藩された。2代氏弘は「天狗党の乱」の鎮圧にあたり、「戊辰戦争」で新政府側に与して北関東や奥州に出…詳細を見る -
足利藩/戸田家1万1千石:戸田忠行 大政奉還後は新政府軍に恭順した足利藩【幕末維新写真館】
【藩名】 足利藩 【説明】 宝永2年(1705年)1月、将軍世子である「徳川家宣」の御側役を務めていた「戸田忠時」が1万1000石を領することとなったため、大名に列して足利藩を立藩した。歴代藩主は藩政改革を行ない大坂定…詳細を見る -
高徳藩/戸田家1万石:戸田忠綱 幕末の宇都宮城攻防戦では新政府軍側で参戦した高徳藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高徳藩 【説明】 慶応2年(1866年)3月、「戸田忠至」は「天狗党の乱」で改易の危機に立たされた宇都宮藩を救い、山陵奉行として功績を挙げたことから、本家である宇都宮藩戸田家から1万石を分与され、大名…詳細を見る -
高徳藩/戸田家1万石:戸田忠綱 旧幕府軍と新政府軍の戦場にもなった高徳藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高徳藩 【説明】 慶応2年(1866年)3月、「戸田忠至」は「天狗党の乱」で改易の危機に立たされた宇都宮藩を救い、山陵奉行として功績を挙げたことから、本家である宇都宮藩戸田家から1万石を分与され、大名…詳細を見る -
佐野藩/堀田家1万3千石:堀田正頌 幕末時には新政府軍に武器を献上し恭順した佐野藩【幕末維新写真館】
【藩名】 佐野藩 【説明】 唐沢山城を統治していた「佐野房綱」は豊臣秀吉に仕えていたが、ほどなく死去し、その跡を養子の「佐野信吉」が継いだ。しかし、信吉の代に佐野氏は徳川幕府より改易されてしまう。堅城を誇る唐沢…詳細を見る -
壬生藩/鳥居家3万石:鳥居忠宝 土壇場で新政府軍に恭順した壬生藩【幕末維新写真館】
【藩名】 壬生藩 【説明】 幕末期、壬生藩では尊皇攘夷をめぐっての争いが絶えず、文久2年(1862年)には勤王派が主導権を握って保守派の江戸家老「鳥居志摩」が失脚の上、自刃させられた。元治元年(1864年)に水…詳細を見る -
宇都宮藩/戸田家7万7千石:戸田忠友 戊辰戦争では旧幕府軍と新政府軍との間で激戦となった宇都宮城【幕末維新写真館】
【藩名】 宇都宮藩 【説明】 元治元年(1864年)、常陸国筑波山にて「天狗党の乱」が起こり天狗党の一軍が宇都宮城にやって来た。この時、宇都宮藩兵は日光の守備、山陵の家臣派遣などで藩内に兵が少なかった。天狗党幹…詳細を見る -
烏山藩/大久保家2万石:大久保忠順 幕末時は特にめだったこともなく新政府軍に恭順した烏山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 烏山藩 【説明】 幕末期の烏山藩は領内が荒廃していたこともあり、特に目立ったことはなかった。特に何ら処罰も受けていないので早くから新政府軍に恭順していたものと考えられる。明治2年(1869年)の「版籍…詳細を見る -
喜連川藩/喜連川家5千石:喜連川縄氏 いち早く新政府軍に恭順し白河小峰城の攻防戦にも参戦した喜連川藩【幕末維新写真館】
【藩名】 喜連川藩 【説明】 喜連川藩主は「足利国朝(正室は古河公方 足利氏姫)」を藩祖とする足利一門である。喜連川氏は「足利尊氏」の次男「足利基氏」の後裔であり、名族足利氏のなかで唯一「明治維新」まで存続した…詳細を見る -
大田原藩/大田原家1万1千石:大田原一清 新政府軍についたため会津藩や旧幕府軍から攻撃を受けた大田原藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大田原藩 【説明】 第3代大田原藩主「大田原高清」は弟の「為清」に1000石を分知し、表高は1万1000石となった。大田原氏は小藩ながら外様大名として江戸期・幕末・明治時代まで存続した。幕末の嘉永3年…詳細を見る -
館林藩/秋元家6万石:秋元礼朝 新政府軍に恭順し奥羽戦線に派兵した館林藩【幕末維新写真館】
【藩名】 館林藩 【説明】 館林藩は長州藩と縁戚関係にあったため、常陸水戸藩と共に関東における尊皇攘夷派の急先鋒となった。ところがこの親戚関係が幕府からの嫌疑を招き、元治元年(1864年)7月の「禁門の変」の後…詳細を見る -
小幡藩/奥平松平家2万石:松平忠恕 戊辰戦争では早くから新政府軍に恭順して家名を保った小幡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小幡藩 【説明】 上野上里見藩より、若年寄の「松平忠恒」が2万石で入封する。奥平松平家の歴代藩主4人は若年寄、寺社奉行、奏者番などを歴任した。小幡藩は毎年財政難となり藩の借金は、天保15年(1844年…詳細を見る -
七日市藩/前田家1万石:前田利昭 早くから新政府軍に恭順し会津戦争へ加わった七日市藩【幕末維新写真館】
【藩名】 七日市藩 【説明】 慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」では新政府側に与し、会津藩の討伐に参加した。翌年の「版籍奉還」で最後の藩主の利昭は七日市藩知事となる。利昭は成器館を文武学校と改称し、さらに軍務…詳細を見る -
沼田藩/土岐家3万5千石:土岐頼知 新政府軍に恭順し三国峠の戦いで会津藩と交戦した沼田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 沼田藩 【説明】 第11代沼田藩主となった「土岐頼之」は、寛政の改革で有名な「松平定信」の孫であったが、徳川幕府とはあまり深く関わらずにいた。慶応3年(1867年)4月に家督を「土岐頼知」に譲って隠居…詳細を見る
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