タグ:新政府軍
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高富藩/本庄家1万石:本庄道美 幕末時には藩財政が破綻し新政府軍にいち早く恭順した高富藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高富藩 【説明】 第10代藩主「本庄道美」が当主の時に藩財政は完全に破綻し、慶応4年(1868年)には藩内で打ちこわし、百姓一揆が起こった。この頃、高富藩は20万7400両もの借財を抱えていた。藩内の…詳細を見る -
大垣新田藩(大垣藩支藩)/戸田家1万石:戸田氏良 戊辰戦争では新政府軍に恭順し北越戦争に従軍した別名野村藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大垣新田藩(大垣藩支藩) 【説明】 明暦元年(1655年)、戸田氏鉄の次男「戸田氏経」は兄の「戸田氏信」から美濃国大野郡内の新田4,000石を加増されて6,200石の知行を得た。その後、「戸田氏利」が…詳細を見る -
吉田藩(豊橋藩)/松平家7万石:松平信古 尾張藩の斡旋にて新政府軍に恭順し伊予吉田藩と同名のため豊橋藩へ改名【幕末維新写真館】
【藩名】 吉田藩(豊橋藩) 【説明】 寛延2年(1749年)、「松平信復(信祝の子)」が7万石で入封し藩主家が定着する。第5代藩主「松平信順」は大坂城代・京都所司代を歴任した後の天保8年(1837年)5月16日…詳細を見る -
西端藩/本多家1万500石:本多忠鵬 いち早く新政府軍に与して陣屋を官軍へ提供した西瑞藩【幕末維新写真館】
【藩名】 西端藩 【説明】 元治元年(1864年)、第10代領主「本多忠寛」が江戸警備の功績などにより1万500石への高直しを許され、ここに本多氏は大名となり西端藩を立藩した。慶応3年(1867年)5月20日に…詳細を見る -
西大平藩/大岡家1万石:大岡忠敬 鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が敗れると新政府軍に恭順した西大平藩【幕末維新写真館】
【藩名】 西大平藩 【説明】 将軍「徳川吉宗」の信任を受け江戸南町奉行として「享保の改革」を実行した「大岡忠相」が寛延元年(1748年)、奏者番に就任し、それまでの功績により4000石の加増を受けて西大平藩1万…詳細を見る -
挙母藩/内藤家2万石:内藤文成 戊辰戦争では新政府軍に駿府警護のため一小隊を派遣した挙母藩【幕末維新写真館】
【藩名】 挙母藩 【説明】 嘉永4年(1851年)、「井伊政優」に嗣子なく死去すると、井伊家から「井伊政文」が養子として迎えられ第6代藩主となった。安政6年(1859年)、洋式の軍政(英式銃陣法)が取り入れられ…詳細を見る -
岩村田藩/内藤家1万5千石:内藤正誠 新政府軍に与して宇都宮城の戦いや北越戦争に参戦した岩村田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岩村田藩 【説明】 元禄16年(1703年)8月、「内藤正友」が武蔵国赤沼藩から移封して岩村田藩が立藩された。第6代藩主「内藤正縄」は老中「水野忠邦」の実弟であったため、伏見奉行となりその功績により城…詳細を見る -
須坂藩/堀家1万石:堀直明 戊辰戦争直前に新政府軍へ方針転換し北関東の戦いや北越、会津戦争に出兵した須坂藩【幕末維新写真館】
【藩名】 須坂藩 【説明】 幕末の藩主・第13代「堀直虎」は家老ら41人を粛清し藩政を大きく改革し、洋式軍制を導入する。幕政にあっては、維新の中にあり大番頭等を経て若年寄兼外国総奉行に任じられた。慶応4年(18…詳細を見る -
小浜藩/酒井家10万3千石:酒井忠義 鳥羽・伏見の戦いの敗戦以降新政府軍に恭順した小浜藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小浜藩 【説明】 幕末期、最後の小浜藩主となった「酒井忠義」は京都所司代として活躍した。井伊直弼に協力して「安政の大獄」を積極的に推し進め、和宮降嫁や公武合体、武田耕雲斎(藤田小四郎)率いる「天狗党の…詳細を見る -
福井藩(越前藩)/松平家32万石:松平慶永 大政奉還・鳥羽・伏見の戦い後は新政府軍に与した越前藩【幕末維新写真館】
【藩名】 福井藩(越前藩) 【説明】 慶長6年(1601年)に「関ヶ原の戦い」の功により、徳川家康の次男「結城秀康」が越前一国67万石を与えられ、柴田勝家の築いた「北ノ庄城」を約6年かけて大改修し居城とする。そ…詳細を見る -
越後高田藩/榊原家15万石:榊原政敬 新政府軍に恭順するも一部の藩士は神木隊を結成し脱藩【幕末維新写真館】
【藩名】 越後高田藩 【説明】 越後高田藩は榊原氏6代の支配を経て明治維新を迎える。戊辰戦争では当初、態度を曖昧にしていたが、官軍が迫ると隣接の天領にいた幕府側の歩兵隊(衝鋒隊:古屋佐久左衛門)を追放し恭順の姿…詳細を見る -
長岡藩/牧野家7万4千石:牧野忠訓 河井継之助が新政府軍に徹底抗戦した長岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 長岡藩 【説明】 幕末時に長岡藩筆頭家老に就任した「河井継之助」は最期まで中立の立場で武装講和を望んでいた。しかし、新政府軍参謀の「岩村精一郎(土佐藩)」との間で「小千谷会談」にて河井の提案は一蹴され…詳細を見る -
新発田藩/溝口家10万石:溝口直正 北越戦争では同盟軍を裏切り新政府軍へ身を投じた新発田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 新発田藩 【説明】 「戊辰戦争」が勃発すると新発田藩では新政府軍よりの立場をとろうとするも、近隣諸藩が「奥羽越列藩同盟」に加盟したため、やむなくこれに加盟する。同盟側は「新発田藩」を参戦させようと謀り…詳細を見る -
三日市藩(郡山藩支藩)/柳沢家1万石:柳沢徳忠 新発田藩と共に新政府軍へ協力した三日市藩【幕末維新写真館】
【藩名】 三日市藩(郡山藩支藩) 【説明】 幕末期、三日市藩は外国船の到来に備えて「軍備増強」に多額の経費を投入した上、幕府から新潟港や青山海岸、江戸飛鳥山近辺の警備を命じられた。さらに第8代藩主「柳沢徳忠」の…詳細を見る -
村上藩/内藤家5万石:内藤信美 庄内藩と共に新政府軍に抗戦するも降伏【幕末維新写真館】
【藩名】 村上藩 【説明】 内藤氏は「徳川家康」の異母弟「内藤信成」の家系である。村上藩7代藩主「信思」の養嗣子で第8代藩主となった「内藤信民」は、幕末の混乱期に藩内における佐幕派・尊皇派の対立に苦しみながら、…詳細を見る -
六浦藩(武州金沢藩)/米倉家1万2千石:米倉昌言 戊辰戦争ではいち早く新政府軍に恭順【幕末維新写真館】
【藩名】 六浦藩(武州金沢藩) 【説明】 金沢文庫で知られる久良岐郡金沢付近の六浦に陣屋を置いたため「武州金沢藩」や「武蔵金沢藩」とも呼ばれる。藩庁は六浦陣屋に置かれた。慶応3年(1867年)末、横須賀製鉄所の…詳細を見る -
一宮藩/加納家1万3千石:加納久宜 幕末時は新政府軍に恭順した一宮藩【幕末維新写真館】
【藩名】 上総一宮藩 【説明】 第4代藩主「加納久宜」は「戊辰戦争」のとき、新政府側に与した。当初は鳥羽伏見の戦いに参戦するため海路京都へと向かったが、途中大時化にあい断念した。明治2年(1869年)の「版籍奉…詳細を見る -
忍藩/松平家10万石:松平忠誠 戊辰戦争では新政府軍についた忍藩【幕末維新写真館】
【藩名】 忍藩 【説明】 忍藩3代藩主「松平忠国」は所領10万石のうち5万石を上総・安房に移されたため、異国船の警備を任じられた。嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊が来航して幕府に開国要求が迫ると、幕府は短期間…詳細を見る -
川越藩/松平家8万4千石:松平康載 老中の座を辞して新政府軍に恭順した川越藩【幕末維新写真館】
【藩名】 川越藩 【説明】 幕末の藩主「松平康英」は慶応4年(1868年)、新政府軍に恭順することで藩論をまとめ、老中を辞する。その後恭順の意を示そうと上洛するが、新政府軍に近江国の飛地領2万石を没収の上で謹慎…詳細を見る -
佐倉藩/堀田家11万石:堀田正倫 藩主不在の中新政府軍に恭順し改易を逃れた佐倉藩【幕末維新写真館】
【藩名】 佐倉藩 【説明】 現在の印旛郡酒々井町には下総守護千葉氏の家系に連なる佐倉千葉氏の居城「本佐倉城」があるが、江戸時代の佐倉城とは別である。現在の佐倉城は幕府重臣だった「土井利勝」が江戸時代に入ってから…詳細を見る
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