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飫肥藩/伊東家5万1千石:伊東祐相 新政府軍に与して二条城や甲府城の守備を務めた飫肥藩【幕末維新写真館】
【藩名】 飫肥藩 【説明】 慶長5年(1600年)、「関ヶ原の戦い」では「伊東祐兵」が大坂で病を得ていた為、成り行きで西軍につくも、密かに「黒田如水」を通じて東軍に味方をし、嫡男「祐慶」を下向させて宮崎城を攻撃…詳細を見る -
宇土藩(熊本藩支藩)/細川家3万石:細川行真 高瀬藩と共に本藩に従い新政府軍として従軍した宇土藩【幕末維新写真館】
【藩名】 宇土藩(熊本藩支藩) 【説明】 宇土藩は熊本藩の支藩で藩庁は宇土(宇土市)に陣屋が置かれた。 正保3年(1646年)熊本藩2代藩主「細川光尚」の従兄弟「行孝(初代忠利の弟・立孝の子)」が宇土郡・下益城…詳細を見る -
福江藩(五島藩)/五島家1万5千石:五島盛徳 上洛要請により上京し新政府軍に従った五島藩【幕末維新写真館】
【藩名】 福江藩(五島藩) 【説明】 江戸時代初期の慶長8年(1603年)に、初代藩主「五島玄雅(五島純玄の嗣子)」が「徳川家康」に謁し、1万5千余石の所領を認める朱印状を下賜されたことに福江藩が創設される。 嘉…詳細を見る -
島原藩/松平家6万5千石:松平忠和 島原の乱を経て幕末には新政府軍に属し秋田や盛岡まで参戦した島原藩【幕末維新写真館】
【藩名】 島原藩 【説明】 島原は戦国時代、有馬氏が治めていた領地である。キリシタン大名の「有馬晴信」は「関ヶ原の戦い」で「徳川家康」率いる東軍に与して本領を安堵された。しかし慶長17年(1612年)、「岡本大…詳細を見る -
蓮池藩(佐賀藩支藩)/鍋島家5万2千石:鍋島直紀 戊辰戦争では新政府軍に属して秋田戦争に参戦した蓮池藩【幕末維新写真館】
【藩名】 蓮池藩(佐賀藩支藩) 【説明】 蓮池藩は立藩の時期は諸説ありはっきりしないが、江戸時代初期に初代佐賀藩主「鍋島勝茂」の五男「直澄」が佐賀藩領内の佐嘉郡・神埼郡・杵島郡・松浦郡・藤津郡において5万200…詳細を見る -
小城藩(佐賀藩支藩)/鍋島家7万3千石:鍋島直虎 新政府軍に与して秋田戦争まで参戦した小城藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小城藩 【説明】 小城藩は立藩の時期は諸説ありはっきりしないが、江戸時代初期に初代佐賀藩主「鍋島勝茂」の長男「元茂」が肥前藩領内の佐嘉郡・小城郡・松浦郡において7万3000石を与えられたことに始まると…詳細を見る -
平戸藩/松浦家6万1700石:松浦詮 鳥羽・伏見の戦い直後に新政府軍に加わった平戸藩【幕末維新写真館】
【藩名】 平戸藩 【説明】 慶長5年(1600年)、「関ヶ原の戦い」で「徳川家康」率いる東軍に与した「松浦鎮信」は6万3千石の所領を安堵され平戸藩が確立した。江戸期を通じて平戸の地を統治し続け、12代「松浦詮」…詳細を見る -
秋月藩(福岡藩支藩)/黒田家5万石:黒田長徳 宗家福岡藩とともに新政府軍に加わった秋月藩【幕末維新写真館】
【藩名】 秋月藩(福岡藩支藩) 【説明】 秋月藩は福岡藩の支藩で、元和9年(1623年)黒田長政の三男「黒田長興」が福岡藩より5万石を分与され立藩した。藩庁は秋月陣屋(福岡県朝倉市)である。無城大名ではあるが城…詳細を見る -
杵築藩/松平家3万2千石:松平親貴 親子で藩論が割れたが新政府軍に従い会津戦争にも加わった杵築藩【幕末維新写真館】
【藩名】 杵築藩 【説明】 文禄2年(1593年)、「大友義統」が「豊臣秀吉」の勘気に触れ除封になると杵築城の木付氏も同時に滅びた。後に、杉原長房、早川長政が入封し、次いで「細川忠興」が慶長4年(1599年)、…詳細を見る -
西条藩(紀州藩支藩)/松平家3万石:松平頼英 御親藩支藩にも関わらず早くから新政府軍に属し戊辰戦争に参戦した西条藩【幕末維新写真館】
【藩名】 西条藩(紀州藩支藩) 【説明】 寛文5年(1665年)、「一柳直興」は職務怠慢や失政などを理由に改易処分を受け西条藩は一時天領となった。寛文10年(1670年)、紀伊国紀州藩初代藩主「徳川頼宣」の三男…詳細を見る -
岡山藩/池田家31万5千石:池田章政 新政府軍に与し関東・東北・函館戦争まで藩兵を派遣した岡山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岡山藩 【説明】 寛永9年(1632年)、「池田忠雄」の没後、嫡子「光仲」は幼少のため山陽筋の重要な拠点である岡山を任せるには荷が重いとして鳥取に国替えとなった。代わって従兄弟の「池田光政」が鳥取より…詳細を見る -
松江藩/松平家18万6千石:松平定安 ご親藩のため藩論が割れたが結局は新政府軍に従った松江藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松江藩 【説明】 寛永15年(1638年)、結城秀康の三男「松平直政」が18万6000石で信濃松本藩より転封した。以後、出雲一国は越前松平家の領するところとなった。また松平家は隠岐1万4000石も預か…詳細を見る -
阿波徳島藩/蜂須賀家25万7千石:蜂須賀茂韶 佐幕派と尊皇派で藩論が割れて新政府軍への協力が縮小された徳島藩【幕末維新写真館】
【藩名】 阿波徳島藩 【説明】 「豊臣秀吉」股肱の臣で播磨国龍野を領していた「蜂須賀正勝」は、天正13年(1585年)の「四国征伐」の後に阿波国を与えられたが、高齢を理由に嗣子の「蜂須賀家政」に家督を譲り家政が…詳細を見る -
淡路洲本藩/稲田家1万4千石:稲田邦植 幕末には徳島藩とは別に新政府軍に従い一層溝が深まった淡路洲本城代稲田家【幕末維新写真館】
【藩名】 淡路洲本藩 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」においては、「脇坂安治」は石田三成率いる西軍に与したが、早くから「藤堂高虎」と内通しており、「小早川秀秋」が寝返ったのに乗じて東軍に寝返り…詳細を見る -
出石藩/仙石家3万石:仙石政固 幕府から家老を押し付けられたがこれを切腹 新政府軍に属した出石藩【幕末維新写真館】
【藩名】 出石藩 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」のとき、「小出吉政」は父の「小出秀政」と共に西軍に与して丹後国田辺城を攻撃したが、吉政の弟「小出秀家」が「徳川家康」率いる東軍に属して関ヶ原本…詳細を見る -
丹後田辺藩(舞鶴藩)/牧野家3万5千石:牧野弼成 戊辰戦争では新政府軍として参戦した田辺藩【幕末維新写真館】
【藩名】 丹後田辺藩 【説明】 寛文8年(1668年)、京極家に代わり「牧野親成」が摂津国より3万5000石で入城する。田辺牧野家の藩祖は「牧野康成」である。康成は初名を正勝、通称を半右衛門といい、その父は牛久…詳細を見る -
丹波亀山藩/松平家1万8千石:松平信正 戊辰戦争では新政府の山陰鎮撫使に降伏しその後新政府軍に従った亀山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 丹波亀山藩 【説明】 慶長14年(1609年)、徳川氏譜代の家臣である「岡部長盛」が下総山崎藩から移封され丹波亀山藩が再度立藩された。長盛が亀山藩に入ったのは、大坂城の「豊臣秀頼」への抑えの役割もあっ…詳細を見る -
篠山藩/青山家6万石:青山忠敏 藩論が佐幕・尊皇に割れたが西園寺公望引きいる新政府軍が城下に迫ると恭順した篠山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 篠山藩 【説明】 寛延元年(1748年)8月、青山忠朝が5万石で丹波亀山藩へ移封となった。以降、江戸期を通じて青山氏による篠山統治時代が幕末まで続いた。譜代大名である青山氏は文久3年(1863年)8月…詳細を見る -
狭山藩/北条家1万石:北条氏恭 天誅組の乱に出兵したが早々に新政府軍に従った北条早雲の末裔 狭山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 狭山藩 【説明】 第5代当主「北条氏直」は「徳川家康」の娘婿であり、北条氏規(北条氏康の五男)は「北条征伐」の和平に尽力し、豊臣秀吉とも会見していたという経緯から特別に許され、高野山での蟄居を命じられ…詳細を見る -
岸和田藩/岡部家5万3千石:岡部長職 幕末期は尊皇・佐幕両派に藩論が割れたが戊辰戦争では新政府軍に従った岸和田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岸和田藩 【説明】 岸和田藩は「松平康映」の妻の父である「岡部宣勝」が摂津国高槻藩より6万石で入封し、明治維新まで岡部氏の所領となった。歴代藩主は財政再建のため様々な藩政改革を行ったが、目立った効果も…詳細を見る
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