タグ:戊辰戦争
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越前勝山藩/小笠原家2万2千石:小笠原長守 オランダ式軍制を採用して戊辰戦争に挑んだ勝山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 越前勝山藩 【説明】 越前勝山藩は元々福井藩の支藩だったが、元禄4年(1691年)、美濃国高須藩より「小笠原貞信」が2万2千石で入封し新たに勝山藩を立藩する。貞信は検地などを行なって藩政基盤を固めた。…詳細を見る -
椎谷藩/堀家1万石:堀之美 戊辰戦争では北越戦争の激戦の地となった椎谷藩【幕末維新写真館】
【藩名】 椎谷藩 【説明】 明治元年(1868年)の「戊辰戦争」において、椎谷藩領内は「北越戦争」における激戦の舞台となり、甚大な被害を受けた。最新式装備を誇る長岡藩兵と薩摩藩・長州藩を中心とした新政府軍による…詳細を見る -
安房勝山藩/酒井家1万2千石:酒井忠美 戊辰戦争では一部の藩士が人見勝太郎の旧幕府軍遊撃隊に参加した安房勝山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 安房勝山藩 【説明】 安房勝山藩は現在の千葉県安房郡鋸南町勝山に藩庁を置いた藩である。いくつかの大名家を経て酒井氏(若狭小浜藩分家)が藩主となり、明治維新まで9代にわたって存続した。安房勝山藩の石高は…詳細を見る -
六浦藩(武州金沢藩)/米倉家1万2千石:米倉昌言 戊辰戦争ではいち早く新政府軍に恭順【幕末維新写真館】
【藩名】 六浦藩(武州金沢藩) 【説明】 金沢文庫で知られる久良岐郡金沢付近の六浦に陣屋を置いたため「武州金沢藩」や「武蔵金沢藩」とも呼ばれる。藩庁は六浦陣屋に置かれた。慶応3年(1867年)末、横須賀製鉄所の…詳細を見る -
忍藩/松平家10万石:松平忠誠 戊辰戦争では新政府軍についた忍藩【幕末維新写真館】
【藩名】 忍藩 【説明】 忍藩3代藩主「松平忠国」は所領10万石のうち5万石を上総・安房に移されたため、異国船の警備を任じられた。嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊が来航して幕府に開国要求が迫ると、幕府は短期間…詳細を見る -
生実藩/森川家1万石:森川俊方 戊辰戦争ではいち早く新政府に恭順した生実藩【幕末維新写真館】
【藩名】 生実藩 【説明】 「生実」は元々「小弓」と書かれ、戦国時代初期に古河公方の後継者争いに敗れた「足利義明」が千葉氏の重臣原氏の居城だった「小弓城」を奪って主城とし「小弓公方」を名乗った。 …詳細を見る -
一宮藩/加納家1万3千石:加納久宜 真忠組の乱を鎮圧し戊辰戦争では新政府軍に与した一宮藩【幕末維新写真館】
【藩名】 一宮藩 【説明】 戦国時代にはこの地に一宮城が存在していた。一宮城は北条氏と里見氏の勢力圏の境目にあり、しばしば支配者が変わったが、戦国時代も終盤になると、豊臣秀吉による「小田原征伐」の際に徳川家康の…詳細を見る -
飯野藩/保科家2万石:保科正益 戊辰戦争勃発時に徳川慶喜の助命を求めた飯野藩主 保科正益【幕末維新写真館】
【藩名】 飯野藩 【説明】 飯野藩最後の藩主「保科正益」は大坂定番を務め、慶応2年(1866年)5月26日には「若年寄」にまで栄進し、「第二次長州征伐」では征長軍の指揮をとった。慶応4年(1868年)、「戊辰戦…詳細を見る -
麻生藩/新庄家1万石:新庄直敬 戊辰戦争時にはいち早く新政府軍に恭順した麻生藩【幕末維新写真館】
【藩名】 麻生藩 【説明】 「新庄直頼」は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」のとき、西軍に属したため摂津国高槻の所領を没収されていたが、後に許されて「徳川家康」に召し出された慶長9年(1604年)、常陸国…詳細を見る -
牛久藩/山口家1万石:山口弘達 戊辰戦争では恭順を示し藩主が上洛した牛久藩【幕末維新写真館】
【藩名】 牛久藩 【説明】 牛久藩の藩祖「山口重政」は織田信長の次男「織田信雄」に仕え、その後に「徳川家康」に仕えた。そして慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」における戦功により、上総国5000石、武蔵国5…詳細を見る -
吹上藩/有馬家1万石:有馬氏弘 天狗党の乱の鎮圧や戊辰戦争では新政府軍に与した吹上藩【幕末維新写真館】
【藩名】 吹上藩 【説明】 天保13年(1842年)、五井藩主だった「有馬氏郁」が下野吹上に移封され「吹上藩」が立藩された。2代氏弘は「天狗党の乱」の鎮圧にあたり、「戊辰戦争」で新政府側に与して北関東や奥州に出…詳細を見る -
宇都宮藩/戸田家7万7千石:戸田忠友 戊辰戦争では旧幕府軍と新政府軍との間で激戦となった宇都宮城【幕末維新写真館】
【藩名】 宇都宮藩 【説明】 元治元年(1864年)、常陸国筑波山にて「天狗党の乱」が起こり天狗党の一軍が宇都宮城にやって来た。この時、宇都宮藩兵は日光の守備、山陵の家臣派遣などで藩内に兵が少なかった。天狗党幹…詳細を見る -
黒羽藩/大関家1万8千石:大関増勤 戊辰戦争では新式装備にて三斗小屋攻略や会津戦争へ参戦した黒羽藩【幕末維新写真館】
【藩名】 黒羽藩 【説明】 第15代黒羽藩主「大関増裕」は外様の小藩ながら幕末には「海軍奉行」や「若年寄」などの幕府要職を歴任する。藩政では「作新館」を開校し藩兵の洋式化を目指し当時最先端のスペンサー銃の標準装…詳細を見る -
小幡藩/奥平松平家2万石:松平忠恕 戊辰戦争では早くから新政府軍に恭順して家名を保った小幡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小幡藩 【説明】 上野上里見藩より、若年寄の「松平忠恒」が2万石で入封する。奥平松平家の歴代藩主4人は若年寄、寺社奉行、奏者番などを歴任した。小幡藩は毎年財政難となり藩の借金は、天保15年(1844年…詳細を見る -
前橋藩/松平家17万石:松平直克 大政奉還後の戊辰戦争ではいち早く新政府に恭順した前橋藩【幕末維新写真館】
【藩名】 前橋藩 【説明】 幕末になって時の川越藩主「松平直克」に念願の前橋帰城が許された。足掛け4年におよぶ大規模な築城を経て、慶応3年(1867年)新「前橋城」が完成し、川越藩の石高17万石をもって前橋藩が…詳細を見る -
会津藩/松平家23万石:松平容保 戊辰戦争最大の激戦地で白虎隊の悲劇が起こった会津藩【幕末維新写真館】
【藩名】 会津藩 【説明】 慶応4年(1868年)に鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)が勃発する。会津藩は、桑名藩や幕府軍とともに新政府軍と戦ったが敗北した。この戦の結果、朝廷は会津藩を「朝敵」とした。その後の奥羽戦…詳細を見る -
二本松藩/丹羽家10万7千石:丹羽長国 戊辰戦争では二本松少年隊の悲劇で知られる二本松藩【幕末維新写真館】
【藩名】 二本松藩 【説明】 幕末期、第10代二本松藩主「丹羽長国」は江戸湾警備、京都警衛、天狗党の乱鎮圧などで活躍した。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と戦ったが、各地で敗戦を重ねて明治元年(18…詳細を見る -
守山藩(水戸藩支藩)/松平家2万石:松平頼升 戊辰戦争では戦うことなく恭順した守山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 守山藩(水戸藩支藩) 【説明】 幕末期の元治元年(1864年)、「武田耕雲斎」「藤田小四郎」らの「天狗党の乱」が勃発し、守山藩でもこの乱に加わった者が多数いたため、多くの藩士が処罰された。戊辰戦争が勃…詳細を見る -
矢島藩/生駒家1万石:生駒親敬 戊辰戦争では新政府軍に与したため庄内藩の攻撃を受け陣屋を自焼した矢島藩【幕末維新写真館】
【藩名】 矢島藩 【説明】 慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」において、新政府軍に対抗すべく「奥羽越列藩同盟」が結成される。矢島藩12代当主「生駒親敬」は当初同盟軍に加盟したが、久保田藩からの誘いを受け、家中…詳細を見る -
岩崎藩(久保田藩支藩)/佐竹家2万石:佐竹義諶 戊辰戦争では本藩とともに新政府軍側で戦った岩崎藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岩崎藩(久保田藩支藩) 【説明】 幕末「王政復古の大号令」により江戸定府の必要がなくなると、8代藩主「佐竹義諶」は国入りし、慶応4年(1868年)3月、河辺郡椿台に「椿台陣屋」を構えることになった。…詳細を見る
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