タグ:徳川家
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姫路藩/酒井家15万石:酒井忠邦 最後まで徳川家に忠節を貫いたことで朝敵とされ追討軍まで編成された姫路藩【幕末維新写真館】
【藩名】 姫路藩 【説明】 幕末には藩主「酒井忠績」が大老となり勤王派の制圧に力を振るったほどなく蟄居した。弟で次の藩主になった「酒井忠惇」は老中となるが、「鳥羽・伏見の戦い」で「徳川慶喜」に随行して大坂退去に…詳細を見る -
紀州藩(和歌山藩)/徳川家55万5千石:徳川茂承 鳥羽・伏見の戦いの敗戦で旧幕軍を受け入れて新政府の攻撃対象とされかけた紀州藩【幕末維新写真館】
【藩名】 紀州藩(和歌山藩) 【説明】 紀伊国は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」の後、甲斐国主であった「浅野幸長」に与えられ、外様の浅野家が治める紀州藩が成立した。元和5年(1619年)の「福島正則」の…詳細を見る -
尾張藩(名古屋藩)/徳川家61万9千500石:徳川慶勝 御三家でありながら鳥羽・伏見の戦いでは新政府軍に味方した尾張藩【幕末維新写真館】
【藩名】 尾張藩(名古屋藩) 【説明】 幕末の第14代藩主「徳川慶勝」は、養子藩主時代の人事を一新し、財政改革にも一応の成功を収めた。安政5年(1858年)の将軍後継者問題や条約勅許問題などから一橋派に与して「…詳細を見る -
駿府藩(静岡藩)/徳川家70万石:徳川家達 徳川宗家の存続が認められ江戸城から駿河国へ移封され立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 駿府藩(静岡藩) 【説明】 慶応3年(1867年)の「大政奉還」により、江戸幕府は滅亡した。慶応4年(1868年)1月の「鳥羽・伏見の戦い」で徳川幕府は新政府軍に敗れ、第15代将軍「徳川慶喜」は朝敵と…詳細を見る -
長尾藩/本多家4万石:本多正訥 徳川家の駿河転封に伴い国替えにて立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 長尾藩 【説明】 慶応4年(1868年)5月、謹慎した「徳川慶喜」の跡を継いだ徳川宗家「徳川家達」は新政府から駿府藩主として存続を認められ、70万石の領主として駿河・遠江に入封する。この移封に伴い、駿…詳細を見る -
鶴舞藩/井上家6万石:井上正直 徳川家の駿河・遠江入封に伴い浜松藩から移封の上で立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鶴舞藩 【説明】 明治維新により徳川幕府が敗れ新政府が樹立されると、徳川家は江戸や全国の天領を没収された代わりに、駿河・遠江70万石を安堵された。これのより駿河・遠江の大名は上総に移封され、浜松藩は上…詳細を見る -
松本城(深志城):国宝天守 徳川家重臣だった石川数正築城の日本四大国宝 松本城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 松本城(旧深志城) 【松本城(旧深志城)の説明】 松本城は戦国時代には「深志城」と呼ばれていた。築城者は元「徳川家康」重臣であった「石川数正」とされている。しかし、深志城と呼ばれていた時代から信濃守護…詳細を見る -
駿府城:室町幕府より今川家が拝領し戦国時代以降は今川義元・徳川家が領した駿府城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 駿府城 【城の説明】 駿府城は室町時代に今川家が駿河の国を拝領し、今川館を築城したことから始まる。 その後、守護大名から戦国大名へと移行した今川家では今川義元の代で織田信長の奇襲攻撃(桶狭間の戦い)…詳細を見る -
福山城:徳川家譜代大名水野勝成が10万石で入封 戦国時代最後に築城された福山城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 福山城 【城の説明】 備後福山城は「関ヶ原の戦い」後に徳川幕府が確立され、その後の「大阪の陣」を経て徳川支配が盤石になりつつある時期に築城された城である。元和8年(1622年)に譜代大名の水野勝成が初…詳細を見る -
岡崎城:松平家(徳川家)代々の由緒あるお城 松平元康(徳川家康)の岡崎城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 岡崎城 【城の説明】 岡崎城は松平家代々のお城である。 父、広忠が家臣に惨殺された後、松平家を継ぐが東から今川家の脅威を受けていた松平家で家康(当時:竹千代)は今川家の人質のままであった。そして今川…詳細を見る
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