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竹田藩/赤松家2万2千石:赤松広秀(斎村政広)関ヶ原の戦いの地方戦で鳥取城を攻めるも城下が火災に包まれた責を負い切腹となり廃城【幕末維新写真館】
【藩名】 竹田藩 【説明】 最後の城主である「赤松広秀(斎村政広)」は「関ヶ原の戦い」では石が三成率いる西軍に属し、田辺城(舞鶴城)を攻めるも西軍は本戦で敗戦する。 写真提供:吉田利栄 その後徳…詳細を見る -
伏見藩/内藤家5万石:内藤信正 内藤氏が大坂城代となったため廃城とされ廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伏見藩 【説明】 関ヶ原の戦いの後、徳川家康は豊臣秀頼への牽制と畿内支配の拠点から、焼失した伏見城の再建に乗り出した。そして慶長8年(1603年)、家康は伏見城にて将軍宣下を受け江戸幕府を開いた。その…詳細を見る -
大津藩/戸田家3万石:戸田一西 関ヶ原の合戦後戸田一西が入封するも膳所城を普請したため大津城は廃城となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大津藩 【説明】 文禄4年(1595年)、豊臣秀吉の家臣である「京極高次」が6万石で入封した。高次は「浅井長政」に仕えていたが、天正元年(1573年)に「織田信長」によって浅井氏が滅亡したため、信長の…詳細を見る -
騎西城(私市城):大久保忠隣の孫忠職が加納城へ移封され廃城となった騎西城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 騎西城(私市城) 【騎西城(私市城)の説明】 騎西城は埼玉県加須市にあった平城で、別名「私市城」とも呼ばれていた。 築城時期は不明だが、康正元年(1455年)に古河公方「足利成氏」が山内上杉氏の家臣…詳細を見る -
岐阜城:関ヶ原の戦い前哨戦にて落城 徳川家康により廃城にされた岐阜城 後編【お城特集 日本の歴史】
【城名】 岐阜城 【城の説明】 慶長5年(1600年)、岐阜城主「織田秀信」は石田三成の挙兵に呼応し西軍につく(関ヶ原の戦い)。そして「関ヶ原の戦い」の前哨戦で岐阜城に立てこもるが「福島正則」や「池田輝政」らの…詳細を見る
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