タグ:幕末
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陸奥下村藩/田沼家1万石:田沼意正 幕末前に相良へ移封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 陸奥下村藩 【説明】 文政6年(1823年)、老中「水野忠成」や将軍「徳川家斉」の計らいもあって、「田沼意正」は意次時代の旧領の相良へ再び移されることとなり、下村藩は廃藩となった。ちなみに、田沼氏が再…詳細を見る -
下手渡藩/立花家1万石:立花種恭 奥羽戦争では新政府軍側で仙台藩と戦った下手度藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下手渡藩 【説明】 幕末の藩主「立花種恭」は慶応4年(1866年)1月10日に老中格の会計総裁となったが、すでに「戊辰戦争」が始まっており、「鳥羽伏見の戦い」において敗北を喫した直後であった。この混乱…詳細を見る -
桑折藩/松平家2万石:松平忠恒 幕末前に上野篠塚へ転封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 桑折藩 【説明】 藩主は奥平氏系の松平家(奥平松平家)で、徳川家康の女婿「奥平信昌」の孫「松平忠弘」の養子となった「松平忠尚」を藩祖とする。家格は帝鑑間詰譜代大名であった。 その後、忠弘に直系の…詳細を見る -
梁川藩/松前家9千石:松前章広 幕末前に蝦夷松前へ再封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 梁川藩 【説明】 蝦夷地は度々幕府の管轄する領地となり梁川に転封された松前氏は、まず財政難に直面した。蝦夷においては商場知行という形で知行地を家臣に与えていたが、梁川では石高制度に切り替える必要があり…詳細を見る -
二本松藩/丹羽家10万7千石:丹羽長国 戊辰戦争では二本松少年隊の悲劇で知られる二本松藩【幕末維新写真館】
【藩名】 二本松藩 【説明】 幕末期、第10代二本松藩主「丹羽長国」は江戸湾警備、京都警衛、天狗党の乱鎮圧などで活躍した。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と戦ったが、各地で敗戦を重ねて明治元年(18…詳細を見る -
福島藩/板倉家3万石:板倉勝達 奥羽越列藩同盟に加盟したため減封の上三河国重原藩へ移封となった板倉氏【幕末維新写真館】
【藩名】 福島藩 【説明】 元禄15年(1702年)に板倉氏が3万石にて福島藩へ入封した。明治元年(1868年)、12代藩主「板倉勝達」は「奥羽越列藩同盟」に与したため、領土を奥羽内に移された。これに伴い元々飛…詳細を見る -
窪田藩/土方家2万石:土方雄隆 跡目相続のお家騒動により幕末前に改易【幕末維新写真館】
【藩名】 窪田藩 【説明】 天和3年(1683年)5月13日に窪田に赴くとき、病を理由に異母弟の「土方貞辰」に家督を譲ろうと幕府に請うた。ところが家臣団の一部から雄信の子の「土方内匠」を擁立する一派が現われ、家…詳細を見る -
浅川藩/本多家1万石:本多忠晴 幕末前に三河国伊保藩への移封により廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 浅川藩 【説明】 浅川藩は寛文2年(1662年)11月、石川藩と同じく、白河藩主「本多忠義」の三男「本多忠以」が1万石を父から分与されたことで成立した藩である。忠以の後を継いだ弟「本多忠晴」が天和元年…詳細を見る -
白河藩/阿部家10万石:阿部正静 幕末時には棚倉へ移封により廃藩 城主不在のまま白河城攻防戦が勃発した【幕末維新写真館】
【藩名】 白河藩 【説明】 江戸時代を通じて様々な大名が統治したが、幕末期は阿部家が城主として治めていた。分家の旗本から本家を相続して第7代藩主となった「阿部正外」は間もなく老中となり、攘夷派の反対を押し切って…詳細を見る -
泉藩/本多家2万石:本多忠紀 奥羽越列藩同盟に加盟し新政府軍と交戦した泉藩【幕末維新写真館】
【藩名】 泉藩 【説明】 第6代藩主「本多忠紀」は幕末に寺社奉行・奏者番として参与する。そして「戊辰戦争」では旧幕府軍に与して新政府軍と戦ったため、官位剥奪の上、2000石を召し上げられて強制隠居を余儀なくされ…詳細を見る -
湯長谷藩/内藤家1万5千石:内藤政養 奥羽越列藩同盟に加盟各地に転戦したため新政府軍に攻められ落城した湯長谷藩【幕末維新写真館】
【藩名】 湯長谷藩 【説明】 本藩にあたる「磐城平藩」内藤家は、延享4年(1747年)に「日向延岡」に転封されるが、湯長谷藩の内藤家はそのまま領地を保ち、幕末まで存続する。歴代藩主はほとんどが養子を迎えていた。…詳細を見る -
棚倉藩/阿部家10万石:阿部正静 奥羽越列藩同盟に加わり新政府軍の攻撃で落城した棚倉藩【幕末維新写真館】
【藩名】 棚倉藩 【説明】 戊辰戦争では、藩主「阿部正静」が藩兵を率いて「奥羽越列藩同盟」に参加、白河口において新政府軍と対峙した。慶応4年(1868年)6月24日、棚倉城は新政府軍の攻撃を受けて落城し正静は降…詳細を見る -
磐城平藩/安藤家4万石:安藤信正 坂下門外の変で浪士に襲撃された安藤信正の磐城平藩【幕末維新写真館】
【藩名】 磐城平藩 【説明】 歴代藩主の中で最も有名な人物は、第5代藩主「安藤信正」である。桜田門外の変の後、老中として幕政を主導したが、文久2年(1862年)の「坂下門外の変」で失脚、強制隠居処分に処されて所…詳細を見る -
守山藩(水戸藩支藩)/松平家2万石:松平頼升 戊辰戦争では戦うことなく恭順した守山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 守山藩(水戸藩支藩) 【説明】 幕末期の元治元年(1864年)、「武田耕雲斎」「藤田小四郎」らの「天狗党の乱」が勃発し、守山藩でもこの乱に加わった者が多数いたため、多くの藩士が処罰された。戊辰戦争が勃…詳細を見る -
三春藩/秋田家5万石:秋田映季 新政府軍へ寝返り奥羽越列藩同盟軍へ攻撃を加えた三春藩【幕末維新写真館】
【藩名】 三春藩 【説明】 戊辰戦争の際には他の東北諸藩同様に新政府側であったが、奥羽鎮撫総督参謀の世良修蔵暗殺と会津・旧幕府軍による白河城攻略による白石会議が「奥羽越列藩同盟」に変貌した為これに加わる。 …詳細を見る -
相馬中村藩/相馬家6万石:相馬誠胤 奥羽越列藩同盟に参加し仙台藩・米沢藩と共に新政府軍と交戦したが早々に恭順した相馬中村藩【幕末維新写真館】
【藩名】 相馬中村藩 【説明】 慶応4年(1868年)の戊辰戦争では南境の「磐城平藩」や北境の「仙台藩」とともに「奥羽越列藩同盟」に参加し、浜街道を北上してきた新政府軍に対して「仙台藩」や「米沢藩」と共に応戦(…詳細を見る -
高畠藩/織田家2万石:織田信美 天童への移封に伴い廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高畠藩 【説明】 江戸中期の高畠藩主「織田信美」は所領の大部分が天童を中心とした村山郡に集中していることを考慮して、居館を「高畠陣屋」から天童に移そうとした。文政11年(1828年)5月に幕府からもそ…詳細を見る -
村山藩/本多家1万石:本多助芳 糸魚川藩への移封にて廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 村山藩 【説明】 天和2年(1682年)2月22日、遠江国横須賀藩5万石の藩主であった「本多利長」は、播磨国明石藩6万石の藩主であった「本多政利」の改易に連座して改易された。その後、政利が陸奥国岩瀬藩…詳細を見る -
出羽丸岡藩/加藤家1万石:加藤忠広 忠広死去と共に廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 出羽丸岡藩 【説明】 寛永9年(1632年)6月、幕命により肥後国熊本藩主「加藤忠広」は改易となり、庄内藩主「酒井忠勝」預かりの身となったが、このとき忠広には1万石が与えられ丸岡藩が成立した。しかし藩…詳細を見る -
仁賀保藩/仁賀保家1万石:仁賀保挙誠 江戸時代に分与旗本となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 仁賀保藩 【説明】 寛永元年2月14日(1624年4月1日)に挙誠が死去すると、その所領は長男・仁賀保良俊に7,000石、次男・仁賀保誠政に2,000石、三男・仁賀保誠次に1,000石とそれぞれ分封さ…詳細を見る
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