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常陸北条藩/堀田家1万3千石:堀田正英 継嗣届け出不備により改易【幕末維新写真館】
【藩名】 常陸北条藩 【説明】 下総国佐倉藩主「堀田正盛」の四男「堀田正英」は、父が将軍に殉死した後その遺領のうち5000石を分与された。その後は「徳川家綱」に仕えて御小姓組番頭、書院番頭、大番頭と次第に累進し…詳細を見る -
柿岡藩/稲葉家1万石:稲葉正勝 真岡藩に吸収されたため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 柿岡藩 【説明】 寛永元年(1624年)、常陸国新治郡柿岡をはじめ、上野国や下野国において5000石の知行を領していた「稲葉正勝」は、常陸国真壁郡にも5000石を加増されて1万石の大名となり、柿岡藩が…詳細を見る -
片野藩/滝川家2万石:滝川正利 病弱の為1万8千石を幕府へ返納し廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 片野藩 【説明】 戦国武将「滝川雄利」は織田信長に仕え、信長没後はその次男「信雄」の家臣となった。信雄が改易されると豊臣秀吉の家臣として伊勢国神戸に2万石を与えられた。慶長5年(1600年)の「関ヶ原…詳細を見る -
真壁藩/浅野家5万石:浅野長重 笠間藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 真壁藩 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で、「浅野幸長」は東軍に与して戦功を挙げたため、甲斐国から紀伊国紀州藩37万6500石に加増移封された。幸長の父「浅野長政」は慶長10年(16…詳細を見る -
保内藩/松平家2万石:松平頼隆 常陸府中藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 保内藩 【説明】 寛文元年(1661年)9月、水戸藩主「徳川頼房」の五男「松平頼隆」は、兄で水戸藩2代藩主「徳川光圀」から2万石の領地を分与され、保内藩が立藩した。元禄13年(1700年)9月、幕府に…詳細を見る -
松川藩/松平家2万石:松平頼之 守山藩から松川藩へ藩庁を移転し立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松川藩 【説明】 明治3年(1870年)、守山藩は藩庁を守山から常陸国松川に移したため、ここに「松川藩」が立藩し守山藩は廃藩となる。翌明治4年(1871年)、陣屋の物置から出火し、強い北風に煽られて藩…詳細を見る -
額田藩/松平家2万石:松平頼貞 磐城守山藩へ藩庁を移転したため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 額田藩 【説明】 寛文元年(1661年)9月、水戸藩主「徳川頼房」の四男「松平頼元」が、水戸藩領のうち那珂郡内2万石を分与され額田藩が立藩した。当初は領地がなく、水戸藩から2万石分の年貢を与えられるだ…詳細を見る -
麻生藩/新庄家1万石:新庄直敬 戊辰戦争時にはいち早く新政府軍に恭順した麻生藩【幕末維新写真館】
【藩名】 麻生藩 【説明】 「新庄直頼」は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」のとき、西軍に属したため摂津国高槻の所領を没収されていたが、後に許されて「徳川家康」に召し出された慶長9年(1604年)、常陸国…詳細を見る -
牛久藩/山口家1万石:山口弘達 戊辰戦争では恭順を示し藩主が上洛した牛久藩【幕末維新写真館】
【藩名】 牛久藩 【説明】 牛久藩の藩祖「山口重政」は織田信長の次男「織田信雄」に仕え、その後に「徳川家康」に仕えた。そして慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」における戦功により、上総国5000石、武蔵国5…詳細を見る -
谷田部藩/細川家1万6千2百石:細川興貫 新政府軍に与して会津へも派兵した谷田部藩【幕末維新写真館】
【藩名】 谷田部藩 【説明】 細川幽斎(細川藤孝)の次男「細川興元」は、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」の後、兄「細川忠興」と不仲になって出奔する。その後、慶長15年(1610年)7月27日、将軍「徳川…詳細を見る -
土浦藩/土屋家9万5千石:土屋寅直 佐幕派と倒幕派に割れたが無事に維新を乗り切った土浦藩【幕末維新写真館】
【藩名】 土浦藩 【説明】 寛文2年(1662年)、徳川家光に仕えて若年寄に栄進した「土屋数直」が1万石で入封する。その後数直は老中に栄進し、所領も4万5000石にまで加増された。数直の死後、第2代藩主「土屋政…詳細を見る -
下妻藩/井上家1万石:井上正巳 一部藩士が会津戦争へ参戦し改易の危機に瀕した下妻藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下妻藩 【説明】 正徳2年(1712年)「井上正長」が1万石で下妻へ入封し下妻藩が立藩する。正長は美濃郡上藩主「井上正任」の三男であったが、父から3000石を分与されて交代寄合となり、「徳川家宣」が甲…詳細を見る -
常陸府中藩(水戸藩支藩)/松平家2万石:松平頼策 幕末時は目立った動きもなかった常陸府中藩【幕末維新写真館】
【藩名】 常陸府中藩(水戸藩支藩) 【説明】 元禄13年(1700年)、「徳川頼房」の五男「松平頼隆(保内藩主)」が幕府から新たに常陸・陸奥国内において2万石を加増されたため、府中に陣屋を築き府中藩を立藩する。…詳細を見る -
下館藩/石川家2万:石川総管 天誅組の乱を治めるも新政府軍よりの態度から旧幕府軍に城を攻撃された下館藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下館藩 【説明】 最後の藩主「石川総管」は幕末期の幕府の中で若年寄・陸軍奉行を務め、「天誅組の反乱」鎮圧にも貢献した。しかし総管は新政府寄りの態度を示したため、慶応4年(1868年)4月の「戊辰戦争」…詳細を見る -
常陸松岡藩(水戸藩支藩)中山家2万5千石:中山信徴 幕末時は水戸藩宗家より独立した松岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 常陸松岡藩 【説明】 江戸時代初期に戸沢氏が常陸松岡に4万石で入封し、約20年間統治した。戸沢氏が転封になると松岡周辺は水戸領となり、水戸藩附家老中山家が居館を築いた。第10代藩主「中山信敬」は水戸藩…詳細を見る -
大宮藩/堀田家2万石:堀田正虎 福島藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大宮藩 【説明】 下総古河藩主で、将軍「徳川綱吉」擁立で貢献した大老「堀田正俊」が貞享元年(1684年)に暗殺された。死後、その遺領13万石の内、家督と所領の大半は長男「堀田正仲」が継ぎ、正俊の次男「…詳細を見る -
西方藩/藤田家1万5千石:藤田信吉 大坂夏の陣の失態にて改易【幕末維新写真館】
【藩名】 西方藩 【説明】 藩祖は「藤田信吉」である。信吉は畠山重忠の子孫と言われ、北条家や「武田勝頼」の家臣として仕えた。武田勝頼が「織田信長」によって滅ぼされると、越後の「上杉景勝」の家臣となった。信吉は慶…詳細を見る -
吹上藩/有馬家1万石:有馬氏弘 天狗党の乱の鎮圧や戊辰戦争では新政府軍に与した吹上藩【幕末維新写真館】
【藩名】 吹上藩 【説明】 天保13年(1842年)、五井藩主だった「有馬氏郁」が下野吹上に移封され「吹上藩」が立藩された。2代氏弘は「天狗党の乱」の鎮圧にあたり、「戊辰戦争」で新政府側に与して北関東や奥州に出…詳細を見る -
小山藩/本多家5万3千石:本多正純 宇都宮藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小山藩 【説明】 「本多正純」は徳川家康の謀臣であった「本多正信」の嫡子で、正純も父に劣らず知略に優れていた。家康が大御所になり「征夷大将軍」を秀忠に譲ると正純は家康側近として権勢を大いに振るった。家…詳細を見る -
皆川藩/米倉家1万5千石:米倉忠仰 武蔵六浦藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 皆川藩 【説明】 元禄12年(1699年)、上野・武蔵・相模などに1万石を領していた若年寄の「米倉昌尹」が5000石加増の1万5000石で入封する。昌尹は同年7月12日に死去し、その跡を継いだ第2代藩…詳細を見る
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