タグ:小笠原家
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唐津藩/小笠原家6万石:小笠原長行 老中や幕府要職を歴任し函館戦争まで戦った小笠原長行【幕末維新写真館】
【藩名】 唐津藩 【説明】 「寺沢広高」は「豊臣秀吉」に仕え、文禄元年(1592年)の文禄の役では肥前名護屋城の普請や後方兵站の責任者を務めて功績を挙げたことにより、秀吉から名護屋を含む上松浦郡一帯およそ8万3…詳細を見る -
千束藩(小倉藩支藩)/小笠原家1万石:小笠原貞正 小倉藩宗家とともに長州藩と戦うも惨敗し熊本藩領まで逃れた千束藩【幕末維新写真館】
【藩名】 千束藩(小倉藩支藩) 【説明】 千束藩は小倉藩の支藩で当初は小倉新田藩と称した。寛文7年(1667年)、小倉藩2代藩主「小笠原忠雄」の藩主就任時、弟の真方が1万石を領内に分与されて立藩した。藩主は参勤…詳細を見る -
小倉藩/小笠原家15万石:小笠原忠忱 幕長戦争(四境戦争)では小倉口を担当した高杉晋作に惨敗し落城 藩庁を移転した小倉藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小倉藩 【説明】 慶長5年(1600年)、「関ヶ原の戦い」で「細川忠興」は「徳川家康」率いる東軍に与して戦い、丹後国田辺城では父「細川幽斎」が勅命により講和するまで西軍に頑強に抵抗した(田辺城の戦い)…詳細を見る -
安志藩/小笠原家1万石:小笠原貞孚 新政府の要請に応じて重臣を上洛させ恭順した安志藩【幕末維新写真館】
【藩名】 安志藩 【説明】 享保元年(1716年)中津藩第5代藩主「小笠原長邕」が5歳で夭逝したが、弟の長興が安志に1万石で立藩を認められた。藩祖「長興」は生来から病弱だったため、わずか19歳で隠居する。しかし…詳細を見る -
越前勝山藩/小笠原家2万2千石:小笠原長守 オランダ式軍制を採用して戊辰戦争に挑んだ勝山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 越前勝山藩 【説明】 越前勝山藩は元々福井藩の支藩だったが、元禄4年(1691年)、美濃国高須藩より「小笠原貞信」が2万2千石で入封し新たに勝山藩を立藩する。貞信は検地などを行なって藩政基盤を固めた。…詳細を見る -
本庄藩/小笠原家1万石:小笠原信之 下総古河藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 本庄藩 【説明】 「小笠原信嶺」が本庄城の新城主として当地を治めたが、入城してから8年目の慶長3年(1598年)に死去し、その家督を継いだ「小笠原信之」が本庄藩初代藩主となった。 信之は徳川四天…詳細を見る -
鈴岡城:信濃守護小笠原家が3家に分裂した一つ鈴岡小笠原家の居城 鈴岡城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 鈴岡城 【鈴岡城の説明】 鈴岡城はは長野県飯田市にあった小笠原氏の城である。 信濃守護の小笠原氏は文安3年(1446年)から惣領家の家督を巡って争い、深志小笠原家(宗家)、松尾小笠原家、鈴岡小笠原家…詳細を見る -
松尾城:唯一戦国期を乗り切った名門信濃小笠原家の一つ小笠原信嶺の居城 松尾城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 松尾城 【松尾城の説明】 松尾城は長野県飯田市松尾代田にあった平城である。 小笠原家は鎌倉時代に阿波国守護であったが、建武時代に信濃国守護となった。 信濃守護となった小笠原家は室町時代…詳細を見る -
明石城:高山右近が船上城に6万石で入封 その後徳川譜代大名小笠原家が築城した明石城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 明石城 【城の説明】 明石城は現在の兵庫県明石市にあった近代城郭平山城である。豊臣政権下ではキリシタン大名として有名な「高山右近」が明石6万石としてこの地を治めていた。しかし、秀吉のバテレン追放令によ…詳細を見る
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