タグ:大名
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朽木藩/朽木家2万石:朽木元綱 関ヶ原の戦いで寝返るも減封され大名の資格を失う朽木家【幕末維新写真館】
【藩名】 朽木藩 【説明】 朽木氏は「朽木谷城」を本拠として代々室町幕府奉公衆を務めていた。戦国時代の当主「朽木元綱」も「足利義輝」「足利義昭」に仕え、外祖父には公卿の飛鳥井雅綱を持つなどの名門だった。織田信長が越前朝…詳細を見る -
関藩/大島家1万8千石:大島光義 家督を継いだ光成が兄弟へ分与したため大名から旗本となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 関藩 【説明】 関藩の藩祖は「大島光義」である。光義は織田信長・豊臣秀吉に仕え、慶長3年(1598年)に1万1200石を与えられて大名となった。 慶長5年(1600年)に勃発した「関ヶ原の戦い」では、…詳細を見る -
足助藩/本多家7千石:本多忠陳 1万石大名となるが勤務怠慢のため減封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 足助藩 【説明】 徳川四天王で有名な「本多忠勝」の孫「本多忠義」の五男である「本多忠周」は加茂郡足助村に陣屋を置き7000石の交代寄合となった。忠周は天和3年(1683年)に寺社奉行となったことから3…詳細を見る -
林城:武田信玄に攻め落とされた信濃守護大名小笠原長時の居城 林城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 林城 【林城の説明】 林城は長野県松本市にあった信濃守護小笠原氏の居城である。 長禄3年(1459年)府中小笠原家の「小笠原清宗」が築城し代々小笠原家の本拠地なった。 戦国時代に入ると…詳細を見る -
加藤清正:羽柴秀吉の小姓から一躍肥後一国の大大名へとのし上がった熊本城主 加藤清正【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 加藤清正:羽柴秀吉の小姓から一躍肥後一国の大大名へとのし上がった加藤清正 加藤清正は羽柴秀吉が長浜城主だった頃に召抱えられ、その後「賤ヶ岳の戦い」では「七本槍」の一人に数えられ、さらに数々の…詳細を見る -
高槻城:キリシタン大名で有名な高山右近重友(ジュスト右近)【日本の歴史 お城特集】
【城名】 高槻城 【城の説明】 高山右近(たかやま うこん)は、戦国時代の武将から大名にまでなった人物であり、キリシタン大名としてもその名を知られている。 洗礼名は「ジュスト」という名でポルトガル語では「…詳細を見る -
徳川家康に散財させられ続けた豊臣恩顧の大名達【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 徳川家康に散財させられ続けた豊臣恩顧の大名達 慶長十五年(1610年)徳川家康は、第九男の義直を尾張名古屋城主として任命する。任命すると同時に名古屋城の築城が開始された。この家康の実子が城主…詳細を見る -
津軽為信 早い者勝ちで見事に独立大名へ【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 津軽為信 早い者勝ちで見事に独立大名へ 津軽為信は陸奥の国を治める南部氏の家臣だった。 しかし、南部家が隣国の秋田家(安東家)と激しい争いをしている間にどんどん津軽地方を統一。 つい…詳細を見る -
弘前城:南部信直からの独立大名津軽為信の城 桜で有名な弘前城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 弘前城 【弘前城の説明】 大浦為信の出自には諸説あり、大浦守信の子とも下久慈城主であった久慈氏の出とも言われている。近年の見方では大浦家が南部氏の一族であるという見解で落ち着いているようだ。 …詳細を見る
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