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多度津藩(丸亀藩支藩)/京極家1万石:京極高典 本藩丸亀藩と共に新政府軍として高松藩へ進軍した多度津藩【幕末維新写真館】
【藩名】 多度津藩(丸亀藩支藩) 【説明】 多度津藩は丸亀藩の支藩である。多度津周辺(香川県仲多度郡多度津町)で1万石を領し、多度津に陣屋を構えていた。丸亀藩3代藩主「京極高或」が3歳で藩主となったため、庶兄で…詳細を見る -
丸亀藩/京極家5万1千石:京極朗徹 鳥羽伏見の戦いでは隣藩の高松藩追討軍に加わった丸亀藩【幕末維新写真館】
【藩名】 丸亀藩 【説明】 万治元年(1658年)、山崎氏は3代で断絶し改易となり代わって「京極高和」が播磨龍野より入封する。丸亀藩は、讃岐国(香川県)の西部を領し丸亀城を本城とした藩である。江戸期を通じて京極…詳細を見る -
高松藩/松平家12万石:松平頼聰 幕末の動乱では鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍として戦い朝敵にされた高松藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高松藩 【説明】 寛永19年(1642年)、東讃地域に常陸国下館藩より御三家の水戸徳川家初代藩主「徳川頼房」の長男「松平頼重」が12万石で入封し、東讃地域に高松藩が成立した。頼重は入封にあたり、幕府よ…詳細を見る -
清末藩(長府藩支藩)/毛利家1万石:毛利元純 石州口指揮官として大村益次郎と共に幕府軍を撃破した清末藩【幕末維新写真館】
【藩名】 清末藩(長府藩支藩) 【説明】 長府藩初代藩主「毛利秀元(毛利元就の孫)」の三男「毛利元知」である。長府藩と領地が入り混じっているが石高は1万石であった。承応2年(1653年)、毛利元知が、甥に当たる…詳細を見る -
長府藩(長州藩支藩)/毛利家5万石:毛利元敏 下関戦争や戊辰戦争を本藩と共に戦った長府藩【幕末維新写真館】
【藩名】 長府藩(長州藩支藩) 【説明】 「関ヶ原の戦い」の後に「毛利輝元」が112万石から周防・長門の2か国29万8千石に減封された際に、輝元は東の守りとして岩国に「吉川広家」を置き、西の守りとして改めて長門…詳細を見る -
徳山藩(下松藩、長州藩支藩)/毛利家4万石:毛利元蕃 鳥羽・伏見の戦いから奥羽戦争 函館戦争にも参戦した徳山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 徳山藩(下松藩、長州藩支藩) 【説明】 慶安3年(1650年)6月、もともと下松に藩政庁があったが、藩主「毛利就隆」が交通の要路である徳山に藩庁を移した。この地は野上と言われていたが徳山と改称した。天…詳細を見る -
広島新田藩(広島藩支藩)/浅野家3万石:浅野長厚 戊辰戦争では広島藩宗家と行動をともにした広島新田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 広島新田藩(広島藩支藩) 【説明】 広島新田藩は、享保15年(1730年)より広島藩の蔵米3万石を与えられ広島藩4代藩主「綱長」の三男「長賢」により立藩された。藩主は参勤交代を行わず江戸定府の大名であ…詳細を見る -
三次藩(広島藩支藩)/浅野家5万石:浅野長寔 幼年で没したため継嗣断絶し廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 三次藩(広島藩支藩) 【説明】 三次藩は、江戸時代中期まで備後北部を領有した藩である。藩庁として三次に「三次城」が置かれ、知行高は5万石。寛永9年(1632年)、初代広島藩主「浅野長晟」の庶子で長男の…詳細を見る -
西江原藩/森家2万石:森長直 赤穂藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 西江原藩 【説明】 西江原藩は江戸中期の10年間存在した藩である。元禄10年(1697年)、森成利(蘭丸)の弟「忠政」を藩祖に持つ美作国津山藩の断絶にともない、津山藩2代藩主だった隠居中の「長継」が2…詳細を見る -
鴨方藩(岡山藩支藩)/池田家2万5千石:池田政保 岡山藩宗家と行動をともにした鴨方藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鴨方藩(岡山藩支藩) 【説明】 鴨方藩は備中国の浅口郡・小田郡・窪屋郡を領有し藩庁は鴨方陣屋にあった。石高は2万5000石である。寛文12年(1672年)、「池田光政」の次男「政言」が立藩した。藩主は…詳細を見る -
生坂藩(岡山藩支藩)/池田家1万5千石:池田政礼 新政府軍に従い大津警備や尾張藩への進軍で功をあげた生坂藩【幕末維新写真館】
【藩名】 生坂藩(岡山藩支藩) 【説明】 生坂藩は備中国窪屋郡生坂(岡山県倉敷市)周辺を領有した藩で、石高は1万5000石であった。寛文12年(1672年)、池田光政の三男「輝録」が立藩し藩主は岡山城下に居住し…詳細を見る -
岡田藩/伊東家1万343千石:伊東長寿 いち早く新政府に帰順し備中松山藩の討伐にも加わった岡田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岡田藩 【説明】 藩主家の伊東氏は日向国飫肥藩主の伊東氏と同族である。藩祖「伊東長実」は豊臣秀吉・秀頼に仕えて「大坂の陣」まで豊臣氏の家臣であった。関ヶ原の戦いに際し、上方での石田三成挙兵の報をいち早…詳細を見る -
浅尾藩/蒔田家1万石:蒔田広孝 京都見廻組役として禁門の変で長州兵を撃退した浅尾藩【幕末維新写真館】
【藩名】 浅尾藩 【説明】 藩祖「蒔田広定」は「関ヶ原の戦い」で石田三成率いる西軍についたため雲出藩を改易されたが後に許されて、慶長8年(1603年)に備中国賀陽・窪屋、河内国大県、山城国久世、摂津国豊島・八部…詳細を見る -
成羽藩/山崎家1万2千石:山崎治敏 幕末に藩領を見直され1万2千石あまりとなり再立藩した成羽藩【幕末維新写真館】
【藩名】 成羽藩 【説明】 元和3年(1617年)、因幡若桜藩より「山崎家治」が3万石にて移封となり成羽藩が立藩される。それまで鶴首城を主城としていたが新たに成羽城を築き周辺の整備も行った。寛永15年(1638…詳細を見る -
新見藩/関家1万8千石:関長克 岡山藩と共に備中松山藩征伐に赴いた新見藩【幕末維新写真館】
【藩名】 新見藩 【説明】 元禄10年(1697年)、宗家の美作津山藩森家の廃藩に伴い、親族である「関長治」が美作宮川藩より移り新見藩を立藩した。初代藩主「長治」は新見の地に陣屋を構えて町を整備し、石高は1万8…詳細を見る -
児島藩/池田家2万石:池田恒元 山﨑藩主が不在のため山﨑へ移封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 児島藩 【説明】 児島藩は岡山藩の支藩で、備前から備中南部に領地を有していた。岡山藩主「池田光政」が、慶安元年(1648年)3月19日に岡山藩領の一部を弟の「池田恒元」に分け与えて児島藩が立藩された。…詳細を見る -
吉永藩/加藤家2万石:加藤明友 加増の上水口藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 吉永藩 【説明】 吉永藩は「加藤明友」が近江水口藩に転封する前に治めていた藩である。島根県大田市周辺で1万石を領有し吉永に陣屋を構えた。寛永20年(1643年)5月、父「加藤明成」が陸奥会津藩40万石…詳細を見る -
鶴田藩/松平家2万8千石:松平武聰 旧浜田藩主松平武聰が長州藩に追われ飛地まで撤退して立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鶴田藩 【説明】 鶴田藩は幕末から明治初頭まで存在した藩で藩庁は鶴田陣屋に置かれた。慶応2年(1866年)の第二次長州征伐の際、長州藩の「大村益次郎」引きいる南園隊を中心とした長州軍に完敗して松江城に…詳細を見る -
美作宮川藩(津山藩支藩)/関家1万8700石:関長治 本藩である津山藩の廃藩に伴い新見藩へ移封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 美作宮川藩(津山藩支藩) 【説明】 宮川藩は津山藩の支藩である。津山藩第2代藩主「森長継」の弟の「関長政」が1万8700石を分知され立藩する。元禄10年(1697年)、津山藩森家の廃藩に伴い、第2代藩…詳細を見る -
津山新田藩(津山藩支藩)/森家1万石:森長基 病と偽り江戸へ参府を怠ったため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 津山新田藩(津山藩支藩) 【説明】 貞享3年(1686年)、津山藩3代藩主「森長武」が甥の「森長成」に藩主を譲った際、蔵米2万俵を与えられて立藩した。元禄9年(1696年)、長武の養嗣子となった「長基…詳細を見る
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