タグ:函館戦争
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唐津藩/小笠原家6万石:小笠原長行 老中や幕府要職を歴任し函館戦争まで戦った小笠原長行【幕末維新写真館】
【藩名】 唐津藩 【説明】 「寺沢広高」は「豊臣秀吉」に仕え、文禄元年(1592年)の文禄の役では肥前名護屋城の普請や後方兵站の責任者を務めて功績を挙げたことにより、秀吉から名護屋を含む上松浦郡一帯およそ8万3…詳細を見る -
岡山藩/池田家31万5千石:池田章政 新政府軍に与し関東・東北・函館戦争まで藩兵を派遣した岡山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岡山藩 【説明】 寛永9年(1632年)、「池田忠雄」の没後、嫡子「光仲」は幼少のため山陽筋の重要な拠点である岡山を任せるには荷が重いとして鳥取に国替えとなった。代わって従兄弟の「池田光政」が鳥取より…詳細を見る -
備後福山藩/阿部家10万石:阿部正桓 函館戦争に参加し榎本脱走軍と戦った福山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 備後福山藩 【説明】 元治元年(1864年)、福山藩は幕府に長州征討への参加を命じられ、藩主「阿部正方」は藩兵6000人を率いて広島に進軍するも幕府と長州藩との間に和睦が成立して軍を引き返した。慶応元…詳細を見る -
桑名藩/松平家11万3千石:松平定敬 函館戦争まで新政府軍に抵抗した桑名藩主松平定敬【幕末維新写真館】
【藩名】 桑名藩 【説明】 幕末の藩主「松平定敬」は将軍「徳川家茂」から厚い信任を受けていたという。元治元年(1864年)には「京都所司代」に任命され、実の兄の会津藩主「松平容保」がと共に京都の治安維持に努めた…詳細を見る -
館城:函館戦争直前に松前藩が築城した城で旧幕府軍に攻撃された館城【お城特集 日本の歴史】
【城名】 館城 【館城の説明】 館城(たてじょう)は、現在の厚沢部町に築城された松前藩の城である。 明治元年(1868年)、函館戦争直前に松前藩が松前城(福山城)から本拠を移すために築城された。その理由の一つ…詳細を見る -
権現台場:五稜郭と四稜郭を結ぶ重要な位置に築かれた権現台場【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 権現台場 【権現台場の説明】 権現台場は函館東照宮を中心に建設された旧幕府軍の台場である。明治2年(1869年)4月、新政府軍の襲撃を予想していた榎本武揚率いる旧幕府軍は各地に台場や陣地を建設した。…詳細を見る -
一本木関門跡:新選組結成から函館戦争の最後まで戦い抜いた新選組土方歳三最期の地碑【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 一本木関門跡(土方歳三最期の地碑) 【一本木関門跡(土方歳三最期の地碑)の説明】 京都で新選組を結成してから鳥羽伏見の戦いで敗れ江戸に帰還し、大鳥圭介ら旧幕府軍と北関東で戦い、さらには会津戦争にも参…詳細を見る -
千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場):函館戦争で壮絶な最期を迎えた中島三郎助終焉の地【史跡 日本の歴史】
【陣屋名】 千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場) 【千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)の説明】 千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)は函館市にある五稜郭の少し南に築かれた陣屋である。文化5年(1808年)、日露関係が緊迫した中、幕府…詳細を見る -
徳山藩(下松藩、長州藩支藩)/毛利家4万石:毛利元蕃 鳥羽・伏見の戦いから奥羽戦争 函館戦争にも参戦した徳山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 徳山藩(下松藩、長州藩支藩) 【説明】 慶安3年(1650年)6月、もともと下松に藩政庁があったが、藩主「毛利就隆」が交通の要路である徳山に藩庁を移した。この地は野上と言われていたが徳山と改称した。天…詳細を見る -
四稜郭:旧幕府軍により築城 あまり知られていない五稜郭と並ぶ西洋城郭 四稜郭【お城特集 日本の歴史】
【城名】 四稜郭 【城の説明】 四稜郭は箱館戦争の際に蝦夷共和国(旧幕府軍)が、明治2年(1869年)に北海道函館市陣川町に築城した堡塁である。空堀に囲まれ、規模は東西約100メートル、南北約70メートル程あり…詳細を見る
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