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近江小室藩/小堀家1万630石:小堀政方 伏見奉行時代に民衆の怒りを買ったことで廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 近江小室藩 【説明】 近江小室藩の藩祖は「小堀遠州」の名で知られた小堀政一である。政一の父の「小堀正次」は浅井長政、豊臣秀吉に仕え、「関ヶ原の戦い」では東軍に与して戦功を挙げたことから、備中松山を中心…詳細を見る -
大津藩/戸田家3万石:戸田一西 関ヶ原の合戦後戸田一西が入封するも膳所城を普請したため大津城は廃城となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大津藩 【説明】 文禄4年(1595年)、豊臣秀吉の家臣である「京極高次」が6万石で入封した。高次は「浅井長政」に仕えていたが、天正元年(1573年)に「織田信長」によって浅井氏が滅亡したため、信長の…詳細を見る -
近江高島藩(大溝陣屋)/佐久間家2万石:佐久間安政 関ヶ原や大坂の陣の戦功で信濃飯山へ加増転封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 近江高島藩(大溝陣屋) 【説明】 佐久間安政は、織田信長のもとで「鬼玄蕃」の異名をとった武将「佐久間盛政」の弟である。盛政は柴田勝家に従い「賤ヶ岳の戦い」で羽柴秀吉に捕えられ首をはねられた。安政は信長…詳細を見る -
水口藩/加藤家2万5千石:加藤明実 鳥羽・伏見の戦い以降新政府軍に属した水口藩【幕末維新写真館】
【藩名】 水口藩 【説明】 天和3年(1682年)、賤ヶ岳の七本槍の1人として知られる「加藤嘉明」の孫で、石見吉永藩主「加藤明友」が祖父と自身の功により1万石の加増を受け、都合2万石にて近江国水口城主となり立藩…詳細を見る -
仁正寺藩(西大路藩)/市橋家1万7千石:市橋長和 鳥羽・伏見の戦い以降新政府に属し西大路藩と改名した仁正寺藩【幕末維新写真館】
【藩名】 仁正寺藩(西大路藩) 【説明】 元和6年(1620年)、「市橋長政」が近江国蒲生、野洲両郡と河内国内に合わせて2万石を与えられたことから仁正寺藩が立藩された。長政は元和8年(1622年)1月、幕命によ…詳細を見る -
三上藩/遠藤家1万2千石:遠藤胤城 徳川慶喜側近のため佐幕派を貫き領地没収となった三上藩【幕末維新写真館】
【藩名】 三上藩 【説明】 嘉永5年12月(1853年)、第5代藩主「遠藤胤統」は江戸城西の丸造営の功績を賞されて2000石の加増を受けた。幕末の万延元年(1860年)には城主格に格上げされている。胤統は文久3…詳細を見る -
山上藩/稲垣家1万3千石:稲垣太祥 当初佐幕派だったが途中から新政府に属した山上藩【幕末維新写真館】
【藩名】 山上藩 【説明】 元禄11年(1698年)3月7日、若年寄であった「稲垣重定」が常陸国から山上1万3000石にて移封され山上藩が立藩された。歴代藩主の多くが若年寄や大坂加番、大番頭や奏者番などの要職を…詳細を見る -
大森藩/最上家1万石:最上義智 出羽山形藩から移封し幼少のため藩地半減により廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大森藩 【説明】 大森藩は滋賀県東近江市に陣屋を構え、江戸時代前期に存在した藩である。元和8年(1622年)、お家騒動により改易された出羽山形藩主「最上義俊」が蒲生郡・愛知郡・甲賀郡、三河国内に1万石…詳細を見る -
堅田藩/堀田家1万3千石:堀田正敦 藩政や城下町の整備に力を注いだが下野佐野へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 堅田藩 【説明】 戦国時代、堅田は堅田水軍と呼ばれる水軍衆が存在し、安土城を本拠とする織田信長にとって堅田は重要な拠点だった。徳川家康が天下を統一すると、元禄11年(1698年)3月7日、下野国佐野藩…詳細を見る -
彦根新田藩(彦根藩支藩)/井伊家1万石:井伊直定 井伊彦根藩宗家を継いだため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 彦根新田藩(彦根藩支藩) 【説明】 彦根新田藩は江戸時代中期の正徳4年(1714年)より享保19年(1734年)まで存した藩である。井伊直興の14男「井伊直定」が1万石を分与され立藩された。享保17年…詳細を見る -
近江宮川藩/堀田家1万3千石:堀田正養 近江国内の諸藩が新政府に従ったためやむなく恭順した宮川藩【幕末維新写真館】
【藩名】 近江宮川藩 【説明】 万治3年(1660年)、堀田正信は老中「松平信綱」と対立したため所領を没収され改易となった。正信の嫡男「堀田正休」が父の罪を許されて天和2年(1682年)3月に1万石の大名として…詳細を見る -
朝日山藩/水野家5万石:水野忠弘 奥羽越列藩同盟で敗れた山形藩が移封されて立藩した朝日山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 朝日山藩 【説明】 朝日山藩は現在の滋賀県長浜市に存在した藩である。明治3年7月17日(1870年8月13日)から明治4年7月14日(1871年8月29日)の「廃藩置県」までの約1年間存在した。奥羽越…詳細を見る -
田丸藩/久野家1万石:久野純固 紀州藩付家老として幕末を無事に乗り切った田丸藩【幕末維新写真館】
【藩名】 田丸藩 【説明】 田丸藩は伊勢国に存在した藩で藩庁は田丸城にあった。遠江久野城城主であった「久野宗成」は駿府藩主であった「徳川頼宣」に付属させられ、頼宣の紀州転封に際し紀州へ移ってきた。頼宣は宗成に1…詳細を見る -
伊勢岩手藩/稲葉家4万5千700石:稲葉道通 関ヶ原の戦いの功により田丸藩へ加増転封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢岩手藩 【説明】 「豊臣秀吉」の家臣で、斎藤道三や織田信長に仕えた西美濃三人衆の一人「稲葉良通(稲葉一鉄)」の孫で、一族の「牧村政倫」の養子となった「牧村利貞」は、小田原征伐後に2万石の所領を与え…詳細を見る -
伊勢林藩/織田家1万石:織田信重 家督相続を巡り改易された藩祖織田信包の林藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢林藩 【説明】 「織田信包」の長男「織田信重」は、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で徳川家康率いる東軍に与したため、林1万石の所領を安堵され、林藩を立藩した。しかし実権は父の信包が握ってい…詳細を見る -
伊勢西条藩(南林崎藩)/有馬家1万石:有馬氏恕 上総国五井に陣屋を移転したため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢西条藩(南林崎藩) 【説明】 伊勢西条藩は、筑後久留米藩主家の分家であり、久留米藩初代藩主「有馬豊氏」の三男「有馬頼次」を藩祖とする。頼次は「徳川忠長」に仕えて1万石を得ていたが、忠長改易に伴って…詳細を見る -
八田藩/加納家1万3千石:加納久儔 飛地である上総国一宮へ陣屋移転のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 八田藩 【説明】 三河国出身の「加納久直」が徳川家康に仕えて紀州藩に属するのが始まりである。久直の孫「加納久通」は紀州藩主「徳川吉宗」の将軍就任に従って江戸城に入り、延享2年(1745年)に吉宗が隠居…詳細を見る -
久居藩(津藩支藩)/藤堂家5万8千700石:藤堂高邦 本藩に従い新政府軍に恭順した久居藩【幕末維新写真館】
【藩名】 久居藩(津藩支藩) 【説明】 寛文9年(1669年)、津藩の第2代藩主「藤堂高次」が隠居して家督を子の「藤堂高久」に譲ったとき、次男の「藤堂高通」に5万石を分与して津藩の支藩である久居藩を立藩した。築…詳細を見る -
菰野藩/土方家1万2千石:土方雄志 幕末では新政府軍に恭順し家名を保った菰野藩【幕末維新写真館】
【藩名】 菰野藩 【説明】 藩祖は「土方雄久」の長男「土方雄氏」である。雄氏は織田信雄、豊臣秀吉に仕えて伊勢菰野に1万石を領していたが、慶長4年(1599年)に徳川家康暗殺事件に巻き込まれて所領を没収され、常陸…詳細を見る -
美濃脇坂藩/脇坂家1万石:脇坂安信 池田家の世継ぎ分与問題の不始末により改易の上で廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 美濃脇坂藩 【説明】 「加藤清正」や「福島正則」と並ぶ賤ヶ岳の七本槍の一人として知られる「脇坂安治」の三男「脇坂安信」は「徳川家康」に仕えていた。大坂の陣では、「酒井忠世」と協力して多くの武功を挙げた…詳細を見る
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