タグ:佐幕派
-
阿波徳島藩/蜂須賀家25万7千石:蜂須賀茂韶 佐幕派と尊皇派で藩論が割れて新政府軍への協力が縮小された徳島藩【幕末維新写真館】
【藩名】 阿波徳島藩 【説明】 「豊臣秀吉」股肱の臣で播磨国龍野を領していた「蜂須賀正勝」は、天正13年(1585年)の「四国征伐」の後に阿波国を与えられたが、高齢を理由に嗣子の「蜂須賀家政」に家督を譲り家政が…詳細を見る -
膳所藩/本多家7万石:本多康穣 佐幕派から尊皇派へ転換し戊辰戦争では新政府に属した膳所藩【幕末維新写真館】
【藩名】 膳所藩 【説明】 最後の藩主である「本多康穣」の時代に藩内では尊皇派と佐幕派が主導権をめぐって争った。このため、将軍「徳川家茂」の膳所宿泊が中止になるほどであったが、やがて佐幕派が力を盛り返し、尊王派…詳細を見る -
伊勢亀山藩/石川家6万石:石川成之 譜代大名のため佐幕派・尊皇派に割れた亀山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢亀山藩 【説明】 享保2年(1717年)11月1日、「松平乗邑」が山城淀藩へ移封となる。その後「板倉重治」が入封するが第2代藩主「板倉勝澄」の時に「石川総慶」と領地交代という形で備中松山藩へ移封と…詳細を見る -
飯田藩/堀家1万5千石:堀親義 佐幕派の家臣を新政府に差し出し恭順した飯田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 飯田藩 【説明】 第10代藩主「堀親寚」は水野忠邦の「天保の改革」で幕閣の一人となり、奏者番・寺社奉行・若年寄・老中などを歴任して7千石を加増された。しかし、水野失脚に伴い7千石は没収の上、本高3千石…詳細を見る -
伊予吉田藩(宇和島藩支藩)/伊達家3万石:伊達宗敬 幕末時は本家宗城と不仲だったため佐幕派だった吉田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊予吉田藩(宇和島藩支藩) 【説明】 明暦3年(1657年)7月21日、宇和島藩の初代藩主「伊達秀宗」の五男「宗純」が本藩より3万石を分知されて立藩した支藩である。三河国の吉田藩と区別するため伊予吉田…詳細を見る -
広瀬藩(松江藩支藩)/松平家3万石:松平直巳 幕末では佐幕派と勤皇派で混乱した広瀬藩【幕末維新写真館】
【藩名】 広瀬藩(松江藩支藩) 【説明】 広瀬藩はかつての出雲国の中心地で現在の安来市広瀬地区に広瀬陣屋に藩庁が置かれていた。寛文6年(1666年)、松平家松江藩初代藩主「直政」の次男「近栄」が3万石を分与され…詳細を見る -
三上藩/遠藤家1万2千石:遠藤胤城 徳川慶喜側近のため佐幕派を貫き領地没収となった三上藩【幕末維新写真館】
【藩名】 三上藩 【説明】 嘉永5年12月(1853年)、第5代藩主「遠藤胤統」は江戸城西の丸造営の功績を賞されて2000石の加増を受けた。幕末の万延元年(1860年)には城主格に格上げされている。胤統は文久3…詳細を見る -
岡崎藩/本多家5万石:本多忠民 幕末時に佐幕派・尊皇派に分裂した岡崎藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岡崎藩 【説明】 岡崎藩第5代藩主「本多忠民」は財政改革を行ない、農村有力者と協力して藩政再建に当たった。一方で忠民は京都所司代・老中として幕末の幕政に参与し、公武合体に尽力した。しかしこのため、藩内…詳細を見る -
結城藩/水野家1万8千石:水野勝知 幕末時は佐幕派と勤皇派に分裂した混乱を極めた結城藩【幕末維新写真館】
【藩名】 結城藩 【説明】 慶応4年(1868年)3月1日、旧幕府から「彰義隊」の指揮を任される。当時、藩内は佐幕派と恭順派に分裂しており、藩主の勝知は佐幕派に与し、恭順派は第8代藩主勝進の子の勝寛を新藩主とし…詳細を見る -
土浦藩/土屋家9万5千石:土屋寅直 佐幕派と倒幕派に割れたが無事に維新を乗り切った土浦藩【幕末維新写真館】
【藩名】 土浦藩 【説明】 寛文2年(1662年)、徳川家光に仕えて若年寄に栄進した「土屋数直」が1万石で入封する。その後数直は老中に栄進し、所領も4万5000石にまで加増された。数直の死後、第2代藩主「土屋政…詳細を見る
最近のコメント