タグ:五稜郭
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田野口藩(竜岡藩五稜郭)/松平家1万5千石:松平乗謨 函館五稜郭と並び龍岡五稜郭を築城した龍岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 田野口藩(竜岡藩五稜郭) 【説明】 文久3年(1863年)、「松平乗謨」は信濃国への陣屋移転と新築許可を徳川幕府から得る。そして以降、田野口藩を名乗ることになる。西洋築城術に関心を寄せていた乗謨は、新…詳細を見る -
権現台場:五稜郭と四稜郭を結ぶ重要な位置に築かれた権現台場【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 権現台場 【権現台場の説明】 権現台場は函館東照宮を中心に建設された旧幕府軍の台場である。明治2年(1869年)4月、新政府軍の襲撃を予想していた榎本武揚率いる旧幕府軍は各地に台場や陣地を建設した。…詳細を見る -
三稜郭跡:五稜郭と四稜郭だけじゃない!!三稜郭の存在が浮上(比遅里神社内)【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 三稜郭跡 【三稜郭跡の説明】 榎本脱走艦隊(蝦夷共和国)では新政府軍の襲撃に備えて各地で砲台や陣屋の建設を急いだ。明治2年(1869年)、旧幕府軍は「弁天台場」の改修をはじめ、千代ヶ岡台場、権現台場…詳細を見る -
一本木関門跡:新選組結成から函館戦争の最後まで戦い抜いた新選組土方歳三最期の地碑【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 一本木関門跡(土方歳三最期の地碑) 【一本木関門跡(土方歳三最期の地碑)の説明】 京都で新選組を結成してから鳥羽伏見の戦いで敗れ江戸に帰還し、大鳥圭介ら旧幕府軍と北関東で戦い、さらには会津戦争にも参…詳細を見る -
千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場):函館戦争で壮絶な最期を迎えた中島三郎助終焉の地【史跡 日本の歴史】
【陣屋名】 千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場) 【千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)の説明】 千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)は函館市にある五稜郭の少し南に築かれた陣屋である。文化5年(1808年)、日露関係が緊迫した中、幕府…詳細を見る -
薩摩藩(鹿児島藩)/島津家77万石:島津忠義 鳥羽伏見の戦いから五稜郭まで戦い抜き維新を実現させた薩摩藩【幕末維新写真館】
【藩名】 薩摩藩(鹿児島藩) 【説明】 1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは西軍につくが、徳川四天王の一人「井伊直政」の取りなしで本領を安堵され、島津義弘の三男「家久」が当主と認められた。この時点をもって正…詳細を見る -
奥殿藩/松平家1万6千石:松平乗謨 信濃国佐久郡田野口へ移転し龍岡五稜郭建造のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 奥殿藩 【説明】 第7代藩主となった奥殿藩主「松平乗利」は有能な名君で、文武を奨励して演武場、藩校・明徳館などを創設している。天保4年(1833年)の凶作時には、窮民に対する救済も万全に行なうなど、他…詳細を見る -
龍岡城(五稜郭):日本に二つある星形西洋式城郭の一つ龍岡五稜郭【お城特集 日本の歴史】
【城名】 龍岡城(五稜郭) 【城の説明】 龍岡城(たつおかじょう)は長野県佐久市にあった洋式城跡である。ここには龍岡藩松平家の藩庁が置かれていた。日本に二つある星形の西洋式城郭のうちの一つであり、もう一つの西洋…詳細を見る -
四稜郭:旧幕府軍により築城 あまり知られていない五稜郭と並ぶ西洋城郭 四稜郭【お城特集 日本の歴史】
【城名】 四稜郭 【城の説明】 四稜郭は箱館戦争の際に蝦夷共和国(旧幕府軍)が、明治2年(1869年)に北海道函館市陣川町に築城した堡塁である。空堀に囲まれ、規模は東西約100メートル、南北約70メートル程あり…詳細を見る -
五稜郭:榎本武揚や旧幕府軍最後の抵抗 日本初の西洋城郭五稜郭【お城特集 日本の歴史】
【城名】 五稜郭 【五稜郭の説明】 北海道函館市にある五稜郭は日本初の西洋式陵堡である。江戸時代の幕末期に北方からの外国の脅威に対抗するため「武田斐三郎」の設計のもと築城された。函館五稜郭の特徴としては5つの星…詳細を見る
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