タグ:転封
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山城長岡藩/永井家3万6千石:永井直清 摂津高槻藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 山城長岡藩 【説明】 山城長岡藩は江戸時代初期、現在の京都府長岡京市を領有した藩で、この地に長岡陣屋が築かれた。寛永10年(1633年)、書院番で上総国・下総国内に8000石を領する旗本の「永井直清」…詳細を見る -
伊勢上野藩/分部家2万石:分部光信 近江大溝藩へ加増転封のため紀州藩領になり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢上野藩 【説明】 分部氏は戦国時代、伊勢国中部を領していた「長野豊藤」の五男「分部祐成」から始まる一族である。分部光嘉のとき、尾張の「織田信長」による伊勢侵攻が始まり光嘉は信長に恭順したため分部氏…詳細を見る -
矢橋藩/市橋家2万1300石:市橋長勝 越後三条藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 矢橋藩 【説明】 「中村一忠」が伯耆米子藩に入封したとき、八橋には一族の「中村一栄」が入部した。しかし慶長14年(1609年)に「中村一忠」が死去して中村氏が改易されると、伯耆国には諸大名が分散配置さ…詳細を見る -
米子藩/加藤家6万石:加藤貞泰 伊予大洲藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 米子藩 【説明】 慶長14年(1609年)5月11日、「中村一忠」は20歳の若さで急死した。一忠には3人の子供がいたが領国の継承は認められず中村氏は改易となった。慶長15年(1610年)7月19日、美…詳細を見る -
西代藩/本多家1万石:本多忠統 伊勢国神戸藩に転封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 西代藩 【説明】 延宝7年(1679年)、近江国膳所藩第2代藩主「本多康将」の次男「本多忠恒」は、河内国錦部郡・近江国高島郡・甲賀郡において1万石を分与され、西代藩が立藩した。第2代藩主「本多忠統」は…詳細を見る -
興留藩/松平家1万石:松平信通 本家の家督相続の上備中庭瀬藩へ転封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 興留藩 【説明】 延宝7年(1679年)、「松平信之」は大和郡山藩主となり8万石の所領を得た。貞享2年(1685年)に信之は老中に栄進したことから1万石加増の上で下総国古河藩へ移されたが翌年に死去した…詳細を見る -
近江高島藩(大溝陣屋)/佐久間家2万石:佐久間安政 関ヶ原や大坂の陣の戦功で信濃飯山へ加増転封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 近江高島藩(大溝陣屋) 【説明】 佐久間安政は、織田信長のもとで「鬼玄蕃」の異名をとった武将「佐久間盛政」の弟である。盛政は柴田勝家に従い「賤ヶ岳の戦い」で羽柴秀吉に捕えられ首をはねられた。安政は信長…詳細を見る -
伊勢岩手藩/稲葉家4万5千700石:稲葉道通 関ヶ原の戦いの功により田丸藩へ加増転封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢岩手藩 【説明】 「豊臣秀吉」の家臣で、斎藤道三や織田信長に仕えた西美濃三人衆の一人「稲葉良通(稲葉一鉄)」の孫で、一族の「牧村政倫」の養子となった「牧村利貞」は、小田原征伐後に2万石の所領を与え…詳細を見る -
曽根藩/西尾家2万石:西尾光教 美濃揖斐藩に加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 曽根藩 【説明】 戦国時代、曽根城は斎藤道三、織田信長に仕えた西美濃三人衆の一人「稲葉良通(一鉄)」が治めていた。しかし良通の孫「稲葉典通」は天正15年(1587年)の九州征伐において不手際があったこ…詳細を見る -
十七条藩/稲葉家1万石:稲葉正成 下野真岡藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 十七条藩 【説明】 「小早川秀秋」の家老「稲葉正成」は「関ヶ原の戦い」で「平岡頼勝」とともに秀秋の東軍裏切り工作を行なった人物として有名であるが、秀秋没後に浪人する。やがて「徳川家康」に召し出され、慶…詳細を見る -
形原藩/松平家1万石:松平家信 摂津高槻藩へ加増転封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 形原藩 【説明】 「松平家信」は徳川家康に仕えて度々功を挙げたことから、三河形原に5000石を与えられた。元和4年(1618年)9月に安房国内において5000石を加増されて1万石の大名となり、形原藩を…詳細を見る -
掛川藩/太田家5万石:太田資美 徳川家達の駿府70万石移封にて替地上総国柴山藩へ転封の上廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 掛川藩 【説明】 慶安元年(1648年)、「松平忠晴」が駿河国田中藩より3万石で入封したが、同年正月には丹波亀山藩に移された。代わって田中藩より北条氏重が3万石で入封したが、万治元年(1658年)に氏…詳細を見る -
信濃中村藩/岩城家2万石:岩城吉隆 出羽亀田藩に加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 信濃中村藩 【説明】 慶長19年(1614年)の「大坂の陣」で、「岩城貞隆」は本多正信の軍に属して功績を挙げたことから、元和2年(1616年)7月、「松平忠輝」が改易された後、その旧領のうちから1万石…詳細を見る -
木本藩/松平家2万5千石:松平直良 越前勝山藩へ加増転封となったため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 木本藩 【説明】 元和9年(1623年)に越前福井藩主「松平忠直(結城秀康の子)」が改易された翌年、その弟である「松平忠昌」が福井藩主となる。このとき、忠直の弟たちに所領が分与されて「勝山藩」「大野藩…詳細を見る -
能登下村藩/鳥居家1万石:鳥居忠英 近江水口藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 能登下村藩 【説明】 元禄2年(1689年)6月、信濃国高遠藩主「鳥居忠則」の家臣「高坂権兵衛」は江戸城の馬場先門の守衛を務めていた際に、他の幕臣との間で不手際を犯し捕縛された。藩士の監督不届きを理由…詳細を見る -
長峰藩/牧野家5万石:牧野忠成 長岡藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 長峰藩 【説明】 越後を治めていた「松平忠輝」が改易された後を受けて「牧野忠成」が元和2年(1616年)7月、長峰藩へ5万石で入封した。忠成はそれまで上野国「大胡藩」2万石を統治していたが「大坂の陣」…詳細を見る -
藤井藩/稲垣家2万石:稲垣重綱 越後三条藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 藤井藩 【説明】 元和元年(1615年)、「稲垣重綱」が「大坂の陣」で戦功を挙げたことにより、上野国「伊勢崎藩」1万石から藤井藩2万石に加増移封された。しかし元和6年(1620年)、さらに3,000石…詳細を見る -
玉縄藩/松平家2万5千石:松平正久 上総国大多喜藩へ転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 玉縄藩 【説明】 玉縄城は小田原北条氏の支城であったが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉の「小田原征伐」で落城する。 「徳川家康」が関東に入封し、家康の参謀「本多正信」の所領となったが…詳細を見る -
八幡山藩/松平家1万石:松平家清 三河国吉田に加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 八幡山藩 【説明】 豊臣秀吉の北条征伐後に「徳川家康」が関東に入封し、江戸城に本拠を構えると、「松平家清」に児玉郡八幡山1万石を与え、八幡山藩を立藩させた。藩政は父「松平清宗」が専任し、家清は天正19…詳細を見る -
本庄藩/小笠原家1万石:小笠原信之 下総古河藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 本庄藩 【説明】 「小笠原信嶺」が本庄城の新城主として当地を治めたが、入城してから8年目の慶長3年(1598年)に死去し、その家督を継いだ「小笠原信之」が本庄藩初代藩主となった。 信之は徳川四天…詳細を見る
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