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麻生藩/新庄家1万石:新庄直敬 戊辰戦争時にはいち早く新政府軍に恭順した麻生藩【幕末維新写真館】
【藩名】 麻生藩 【説明】 「新庄直頼」は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」のとき、西軍に属したため摂津国高槻の所領を没収されていたが、後に許されて「徳川家康」に召し出された慶長9年(1604年)、常陸国…詳細を見る -
牛久藩/山口家1万石:山口弘達 戊辰戦争では恭順を示し藩主が上洛した牛久藩【幕末維新写真館】
【藩名】 牛久藩 【説明】 牛久藩の藩祖「山口重政」は織田信長の次男「織田信雄」に仕え、その後に「徳川家康」に仕えた。そして慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」における戦功により、上総国5000石、武蔵国5…詳細を見る -
谷田部藩/細川家1万6千2百石:細川興貫 新政府軍に与して会津へも派兵した谷田部藩【幕末維新写真館】
【藩名】 谷田部藩 【説明】 細川幽斎(細川藤孝)の次男「細川興元」は、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」の後、兄「細川忠興」と不仲になって出奔する。その後、慶長15年(1610年)7月27日、将軍「徳川…詳細を見る -
土浦藩/土屋家9万5千石:土屋寅直 佐幕派と倒幕派に割れたが無事に維新を乗り切った土浦藩【幕末維新写真館】
【藩名】 土浦藩 【説明】 寛文2年(1662年)、徳川家光に仕えて若年寄に栄進した「土屋数直」が1万石で入封する。その後数直は老中に栄進し、所領も4万5000石にまで加増された。数直の死後、第2代藩主「土屋政…詳細を見る -
下妻藩/井上家1万石:井上正巳 一部藩士が会津戦争へ参戦し改易の危機に瀕した下妻藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下妻藩 【説明】 正徳2年(1712年)「井上正長」が1万石で下妻へ入封し下妻藩が立藩する。正長は美濃郡上藩主「井上正任」の三男であったが、父から3000石を分与されて交代寄合となり、「徳川家宣」が甲…詳細を見る -
下館藩/石川家2万:石川総管 天誅組の乱を治めるも新政府軍よりの態度から旧幕府軍に城を攻撃された下館藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下館藩 【説明】 最後の藩主「石川総管」は幕末期の幕府の中で若年寄・陸軍奉行を務め、「天誅組の反乱」鎮圧にも貢献した。しかし総管は新政府寄りの態度を示したため、慶応4年(1868年)4月の「戊辰戦争」…詳細を見る -
常陸松岡藩(水戸藩支藩)中山家2万5千石:中山信徴 幕末時は水戸藩宗家より独立した松岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 常陸松岡藩 【説明】 江戸時代初期に戸沢氏が常陸松岡に4万石で入封し、約20年間統治した。戸沢氏が転封になると松岡周辺は水戸領となり、水戸藩附家老中山家が居館を築いた。第10代藩主「中山信敬」は水戸藩…詳細を見る -
吹上藩/有馬家1万石:有馬氏弘 天狗党の乱の鎮圧や戊辰戦争では新政府軍に与した吹上藩【幕末維新写真館】
【藩名】 吹上藩 【説明】 天保13年(1842年)、五井藩主だった「有馬氏郁」が下野吹上に移封され「吹上藩」が立藩された。2代氏弘は「天狗党の乱」の鎮圧にあたり、「戊辰戦争」で新政府側に与して北関東や奥州に出…詳細を見る -
足利藩/戸田家1万1千石:戸田忠行 大政奉還後は新政府軍に恭順した足利藩【幕末維新写真館】
【藩名】 足利藩 【説明】 宝永2年(1705年)1月、将軍世子である「徳川家宣」の御側役を務めていた「戸田忠時」が1万1000石を領することとなったため、大名に列して足利藩を立藩した。歴代藩主は藩政改革を行ない大坂定…詳細を見る -
茂木藩/細川家1万6千2百石:細川興貫 谷田部藩の移封により立藩された茂木藩【幕末維新写真館】
【藩名】 茂木藩 【説明】 藩祖は「細川藤孝(幽斎)」の二男で、「細川忠興」の弟である「細川興元」である。慶長15年(1610年)の茂木氏の秋田転封の後をうけ、27ヶ村1万54石で入封した。元和2年(1616年)、興元…詳細を見る -
高徳藩/戸田家1万石:戸田忠綱 幕末の宇都宮城攻防戦では新政府軍側で参戦した高徳藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高徳藩 【説明】 慶応2年(1866年)3月、「戸田忠至」は「天狗党の乱」で改易の危機に立たされた宇都宮藩を救い、山陵奉行として功績を挙げたことから、本家である宇都宮藩戸田家から1万石を分与され、大名…詳細を見る -
高徳藩/戸田家1万石:戸田忠綱 旧幕府軍と新政府軍の戦場にもなった高徳藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高徳藩 【説明】 慶応2年(1866年)3月、「戸田忠至」は「天狗党の乱」で改易の危機に立たされた宇都宮藩を救い、山陵奉行として功績を挙げたことから、本家である宇都宮藩戸田家から1万石を分与され、大名…詳細を見る -
佐野藩/堀田家1万3千石:堀田正頌 幕末時には新政府軍に武器を献上し恭順した佐野藩【幕末維新写真館】
【藩名】 佐野藩 【説明】 唐沢山城を統治していた「佐野房綱」は豊臣秀吉に仕えていたが、ほどなく死去し、その跡を養子の「佐野信吉」が継いだ。しかし、信吉の代に佐野氏は徳川幕府より改易されてしまう。堅城を誇る唐沢…詳細を見る -
壬生藩/鳥居家3万石:鳥居忠宝 土壇場で新政府軍に恭順した壬生藩【幕末維新写真館】
【藩名】 壬生藩 【説明】 幕末期、壬生藩では尊皇攘夷をめぐっての争いが絶えず、文久2年(1862年)には勤王派が主導権を握って保守派の江戸家老「鳥居志摩」が失脚の上、自刃させられた。元治元年(1864年)に水…詳細を見る -
烏山藩/大久保家2万石:大久保忠順 幕末時は特にめだったこともなく新政府軍に恭順した烏山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 烏山藩 【説明】 幕末期の烏山藩は領内が荒廃していたこともあり、特に目立ったことはなかった。特に何ら処罰も受けていないので早くから新政府軍に恭順していたものと考えられる。明治2年(1869年)の「版籍…詳細を見る -
喜連川藩/喜連川家5千石:喜連川縄氏 いち早く新政府軍に恭順し白河小峰城の攻防戦にも参戦した喜連川藩【幕末維新写真館】
【藩名】 喜連川藩 【説明】 喜連川藩主は「足利国朝(正室は古河公方 足利氏姫)」を藩祖とする足利一門である。喜連川氏は「足利尊氏」の次男「足利基氏」の後裔であり、名族足利氏のなかで唯一「明治維新」まで存続した…詳細を見る -
黒羽藩/大関家1万8千石:大関増勤 戊辰戦争では新式装備にて三斗小屋攻略や会津戦争へ参戦した黒羽藩【幕末維新写真館】
【藩名】 黒羽藩 【説明】 第15代黒羽藩主「大関増裕」は外様の小藩ながら幕末には「海軍奉行」や「若年寄」などの幕府要職を歴任する。藩政では「作新館」を開校し藩兵の洋式化を目指し当時最先端のスペンサー銃の標準装…詳細を見る -
大田原藩/大田原家1万1千石:大田原一清 新政府軍についたため会津藩や旧幕府軍から攻撃を受けた大田原藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大田原藩 【説明】 第3代大田原藩主「大田原高清」は弟の「為清」に1000石を分知し、表高は1万1000石となった。大田原氏は小藩ながら外様大名として江戸期・幕末・明治時代まで存続した。幕末の嘉永3年…詳細を見る -
館林藩/秋元家6万石:秋元礼朝 新政府軍に恭順し奥羽戦線に派兵した館林藩【幕末維新写真館】
【藩名】 館林藩 【説明】 館林藩は長州藩と縁戚関係にあったため、常陸水戸藩と共に関東における尊皇攘夷派の急先鋒となった。ところがこの親戚関係が幕府からの嫌疑を招き、元治元年(1864年)7月の「禁門の変」の後…詳細を見る -
小幡藩/奥平松平家2万石:松平忠恕 戊辰戦争では早くから新政府軍に恭順して家名を保った小幡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小幡藩 【説明】 上野上里見藩より、若年寄の「松平忠恒」が2万石で入封する。奥平松平家の歴代藩主4人は若年寄、寺社奉行、奏者番などを歴任した。小幡藩は毎年財政難となり藩の借金は、天保15年(1844年…詳細を見る
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