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三日市藩(郡山藩支藩)/柳沢家1万石:柳沢徳忠 新発田藩と共に新政府軍へ協力した三日市藩【幕末維新写真館】
【藩名】 三日市藩(郡山藩支藩) 【説明】 幕末期、三日市藩は外国船の到来に備えて「軍備増強」に多額の経費を投入した上、幕府から新潟港や青山海岸、江戸飛鳥山近辺の警備を命じられた。さらに第8代藩主「柳沢徳忠」の…詳細を見る -
黒川藩(郡山藩支藩)/柳沢家1万石:柳沢光邦 会津藩の誘いを受け奥羽越列藩同盟に加わるも消極的だったため家名を存続した黒川藩【幕末維新写真館】
【藩名】 黒川藩(郡山藩支藩) 【説明】 第7代藩主「柳沢光昭」は黒川陣屋内に藩校「弘道館」を設け、藩士の子弟教育に務めた。黒川藩は歴代藩主のほとんどが「江戸定府」であったため参勤交代がなかった。そんな中、文久…詳細を見る -
小田原藩/大久保家11万3千石:大久保忠礼 人見勝太郎率いる遊撃隊の来援で一度は旧幕府軍に協力した小田原藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小田原藩 【説明】 貞享3年(1686年)に、下総佐倉藩主「大久保忠朝」が10万3千石で入封した。大久保忠朝は小田原藩最初の藩主「大久保忠世」の5代目にあたり、当時は幕府の老中であった。一度は本多一派…詳細を見る -
一宮藩/加納家1万3千石:加納久宜 幕末時は新政府軍に恭順した一宮藩【幕末維新写真館】
【藩名】 上総一宮藩 【説明】 第4代藩主「加納久宜」は「戊辰戦争」のとき、新政府側に与した。当初は鳥羽伏見の戦いに参戦するため海路京都へと向かったが、途中大時化にあい断念した。明治2年(1869年)の「版籍奉…詳細を見る -
岩槻藩/大岡家1万8千石:大岡忠恕 江戸薩摩藩邸焼討に参戦するも一転恭順して家名を保った岩槻藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岩槻藩 【説明】 岩槻藩は「大岡忠恕」の時代に幕末の動乱に加え天災が重なり、さらには岩槻城の本丸焼失などの不幸が相次いで、財政は破綻寸前となった。このような中で忠恕は慶応2年(1866年)3月29日に…詳細を見る -
忍藩/松平家10万石:松平忠誠 戊辰戦争では新政府軍についた忍藩【幕末維新写真館】
【藩名】 忍藩 【説明】 忍藩3代藩主「松平忠国」は所領10万石のうち5万石を上総・安房に移されたため、異国船の警備を任じられた。嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊が来航して幕府に開国要求が迫ると、幕府は短期間…詳細を見る -
生実藩/森川家1万石:森川俊方 戊辰戦争ではいち早く新政府に恭順した生実藩【幕末維新写真館】
【藩名】 生実藩 【説明】 「生実」は元々「小弓」と書かれ、戦国時代初期に古河公方の後継者争いに敗れた「足利義明」が千葉氏の重臣原氏の居城だった「小弓城」を奪って主城とし「小弓公方」を名乗った。 …詳細を見る -
多胡藩/久松家1万石:久松勝行 九十九里真忠組の乱鎮圧で功績があった多胡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 多胡藩 【説明】 幕末期の多胡藩主は「松平勝行」で九十九里「真忠組」の反乱鎮圧で功績を挙げた。戊辰戦争が勃発すると勝行は徳川幕府との決別を示すために松平姓から元の久松姓に戻した。 翌年の「版籍奉…詳細を見る -
佐倉藩/堀田家11万石:堀田正倫 藩主不在の中新政府軍に恭順し改易を逃れた佐倉藩【幕末維新写真館】
【藩名】 佐倉藩 【説明】 現在の印旛郡酒々井町には下総守護千葉氏の家系に連なる佐倉千葉氏の居城「本佐倉城」があるが、江戸時代の佐倉城とは別である。現在の佐倉城は幕府重臣だった「土井利勝」が江戸時代に入ってから…詳細を見る -
小見川藩/内田家1万石:内田正学 西南戦争にも参戦した小見川藩最期の藩主 内田正学【幕末維新写真館】
【藩名】 小見川藩 【説明】 幕末期の小見川藩では慶応4年(1868年)3月、脱藩藩士による蜂起が起こるなどして藩内は混乱した。小見川藩としては佐幕派として芝増上寺の警護を務めていたが、慶応4年(1868年)の…詳細を見る -
高岡藩/井上家1万石:井上正順 新政府に恭順し家名を保った高岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高岡藩 【説明】 慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」では新政府に従い、藩主「井上正順」は従五位下・宮内少輔に叙位任官する。その後、「版籍奉還」により高岡藩知事になり、廃藩置県で藩知事を免職となった。…詳細を見る -
関宿藩/久世家4万8千石:久世広文 万宇隊を結成し彰義隊と活動した関宿藩【幕末維新写真館】
【藩名】 関宿藩 【説明】 幕末の藩主「久世広文」は若年のため、藩政は家臣団によって行なわれ、農兵の徴集や「天狗党の乱」の鎮圧などに参加している。慶応元年(1865年)2月15日、将軍徳川家茂に拝謁し、同年12…詳細を見る -
古河藩/土井家8万石:土井利与 大政奉還後はいち早く新政府軍に恭順した古河藩【幕末維新写真館】
【藩名】 古河藩 【説明】 幕末の藩主「土井利与」は元治2年(1865年)4月1日、将軍「徳川家茂」に拝謁する。同年12月15日、従五位下内膳正に叙任し、家督相続後「大炊頭」に改める。慶応3年(1867年)4月…詳細を見る -
結城藩/水野家1万8千石:水野勝知 幕末時は佐幕派と勤皇派に分裂した混乱を極めた結城藩【幕末維新写真館】
【藩名】 結城藩 【説明】 慶応4年(1868年)3月1日、旧幕府から「彰義隊」の指揮を任される。当時、藩内は佐幕派と恭順派に分裂しており、藩主の勝知は佐幕派に与し、恭順派は第8代藩主勝進の子の勝寛を新藩主とし…詳細を見る -
松尾藩(柴山藩)/太田家5万3350千石:太田資美 西洋稜堡式要塞を築城中に廃藩置県となった松尾藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松尾藩(柴山藩) 【説明】 明治元年(1868年)5月、駿河・遠江へ徳川宗家「徳川家達」が70万石にて入封したため、遠江国掛川藩主「太田資美」は上総国武射山辺郡内に替地を与えられ移封となった。資美は同…詳細を見る -
大多喜藩/松平家2万石:松平正質 遊撃隊や請西藩の誘いを退けたことで新政府より赦免された大多喜藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大多喜藩 【説明】 天正18年(1590年)、豊臣秀吉による「小田原征伐」後、関東に入部した「徳川家康」は「徳川四天王」の一人「本多忠勝」に上総国に10万石を与えた。忠勝は当初は「万喜城」に入城したが…詳細を見る -
久留里藩/黒田家3万石:黒田直養 いち早く新政府軍に恭順し家名を守った久留里藩【幕末維新写真館】
【藩名】 久留里藩 【説明】 戊辰戦争のとき、最後の藩主「黒田直養」は新政府軍に帰順し、慶応4年(1868年)2月、15代将軍「徳川慶喜」が上野寛永寺に謹慎したときには「榊原政敬」と共にその警護を務めた。 …詳細を見る -
一宮藩/加納家1万3千石:加納久宜 真忠組の乱を鎮圧し戊辰戦争では新政府軍に与した一宮藩【幕末維新写真館】
【藩名】 一宮藩 【説明】 戦国時代にはこの地に一宮城が存在していた。一宮城は北条氏と里見氏の勢力圏の境目にあり、しばしば支配者が変わったが、戦国時代も終盤になると、豊臣秀吉による「小田原征伐」の際に徳川家康の…詳細を見る -
志筑藩/本堂家1万1百石:本堂親久 幕末には新選組の伊東甲子太郎・鈴木三樹三郎を排出した志筑藩【幕末維新写真館】
【藩名】 志筑藩 【説明】 「関ヶ原の戦い」の後、慶長7年(1602年)に常陸国の「佐竹義宣」が出羽国秋田に減転封されたのと入れ替わりに、会津の上杉攻めで功績のあった出羽国本堂城主の「本堂茂親」が常陸国新治郡志…詳細を見る -
松川藩/松平家2万石:松平頼之 守山藩から松川藩へ藩庁を移転し立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松川藩 【説明】 明治3年(1870年)、守山藩は藩庁を守山から常陸国松川に移したため、ここに「松川藩」が立藩し守山藩は廃藩となる。翌明治4年(1871年)、陣屋の物置から出火し、強い北風に煽られて藩…詳細を見る
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