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米沢新田藩(米沢藩支藩)/上杉家1万石:上杉勝道 米沢宗家が新政府軍に交戦したため減封のため吸収された米沢新田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 米沢新田藩(米沢藩支藩) 【説明】 米沢新田藩は享保4年(1719年)に5代藩主「上杉吉憲」が弟「上杉勝周」に領内の新田分1万石を分与して成立した。米沢城内二の丸に藩庁を置き、居所としていた。武鑑では…詳細を見る -
米沢藩/上杉家14万7千石:上杉茂憲 奥羽越列藩同盟では仙台藩と共に盟主となり交戦した米沢藩【幕末維新写真館】
【藩名】 米沢藩 【説明】 第12代藩主「上杉斉憲」の時代に、米沢藩は幕末を迎える。斉憲は佐幕派として文久3年(1863年)に上洛して京都警衛を果たし、翌年からは嗣子「上杉茂憲」が上洛して2年間京都警衛を果たし…詳細を見る -
長瀞藩/米津家1万1千石:米津政敏 庄内藩に与したため天童藩に陣屋を占拠された長瀞藩【幕末維新写真館】
【藩名】 長瀞藩 【説明】 幕末時の長瀞藩では、幕末の藩主「米津政明」のときに藩内で攘夷討幕を叫ぶ声が高まり始める。政明は農民30余名を兵として取り立てて農兵を組織し、軍事改革を進めるなどの手腕を見せていた。し…詳細を見る -
天童藩/織田家2万石:織田信敏 奥羽鎮撫先導を命じられるがほどなく奥羽越列藩同盟に加わった天童藩【幕末維新写真館】
【藩名】 天童藩 【説明】 明治元年(1868年)1月、藩主「織田信学」は新政府より上洛の命を受けた。しかし信学は病床にあったため、嫡男の「織田信敏」が代理として参内した。このとき、新政府から奥羽鎮撫使先導に任…詳細を見る -
山形藩/水野家5万石:水野忠弘 奥羽越列藩同盟に加わるも米沢藩・仙台藩の降伏とともに恭順した山形藩【幕末維新写真館】
【藩名】 山形藩 【説明】 幕末時の山形藩は周辺の「米沢藩」「仙台藩」とともに「奥羽越列藩同盟」に加わったが、同盟の主要な藩(米沢藩・仙台藩)が降伏すると山形藩も慶応4年9月17日(1868年11月1日)に新政…詳細を見る -
出羽松山藩(庄内藩支藩)/酒井家2万5千石:酒井忠良 本藩の庄内藩と共に奥羽越列藩同盟に加盟して参戦した出羽松山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 出羽松山藩(庄内藩支藩) 【説明】 庄内藩初代藩主「酒井忠勝」の三男「酒井忠恒」が、正保4年(1647年)庄内藩領のうち新田など2万石を分与されたことに始まる。3代「忠休」は奏者番を経て若年寄に累進し…詳細を見る -
庄内藩(鶴岡藩・大泉藩)/酒井家17万石:酒井忠篤 奥羽越列藩同盟軍で最後まで新政府軍と戦い連戦連勝した庄内藩【幕末維新写真館】
【藩名】 庄内藩(鶴岡藩・大泉藩) 【説明】 慶応3年12月(1868年1月)、「上山藩」などとともに江戸薩摩藩邸への討ち入りを命ぜられて実行する。戊辰戦争の口火を切るとともに、この焼き打ちが新政府軍による徳川家武力討…詳細を見る -
久保田新田藩(久保田藩支藩)/佐竹家1万石:佐竹義堅 久保田藩主を継いだため幕末前に廃藩
【藩名】 久保田新田藩(久保田藩支藩) 【説明】 久保田新田藩は久保田藩の支藩で、元禄14年(1701年)に久保田藩3代藩主「佐竹義処」が甥の「佐竹義都」に新田1万石を分与したことに始まる。享保17年(1732…詳細を見る -
矢島藩/生駒家1万石:生駒親敬 戊辰戦争では新政府軍に与したため庄内藩の攻撃を受け陣屋を自焼した矢島藩【幕末維新写真館】
【藩名】 矢島藩 【説明】 慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」において、新政府軍に対抗すべく「奥羽越列藩同盟」が結成される。矢島藩12代当主「生駒親敬」は当初同盟軍に加盟したが、久保田藩からの誘いを受け、家中…詳細を見る -
亀田藩/岩城家2万石:岩城隆邦 庄内藩と共に新政府軍と戦った亀田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 亀田藩 【説明】 慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」では、東北諸藩が結んだ「奥羽越列藩同盟」に加盟した。しかし、12代藩主の「岩城隆邦」は同盟締結前に新政府の上洛命令に東北諸藩で唯一応じて明治天皇に…詳細を見る -
岩崎藩(久保田藩支藩)/佐竹家2万石:佐竹義諶 戊辰戦争では本藩とともに新政府軍側で戦った岩崎藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岩崎藩(久保田藩支藩) 【説明】 幕末「王政復古の大号令」により江戸定府の必要がなくなると、8代藩主「佐竹義諶」は国入りし、慶応4年(1868年)3月、河辺郡椿台に「椿台陣屋」を構えることになった。…詳細を見る -
中津山藩(仙台藩支藩)/伊達家3万石:伊達邦賢 江戸城登城中に旗本を斬ったため改易となった中津山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 中津山藩(仙台藩支藩) 【説明】 翌元禄9年(1696年)1月11日に六本木に藩邸が落成し、10月28日に中津山を藩庁とすることが公的に確認されると、次第に中津山藩は藩としての体裁を整えていった。 …詳細を見る -
岩沼藩(仙台藩支藩)/田村家2万石:田村建顕 一関藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岩沼藩(仙台藩支藩) 【説明】 伊達政宗の正室「愛姫」の実家である田村家は、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による「小田原征伐」に参陣しなかったため改易に処せられた。愛姫の実子である「伊達忠宗」は母…詳細を見る -
仙台藩/伊達家62万石:伊達義邦 戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の盟主となった仙台藩【幕末維新写真館】
【藩名】 仙台藩 【説明】 「戊辰戦争」では「奥羽越列藩同盟」を結成し、盟主となった。仙台藩は当時、日本有数の兵力を有していたものの、イギリスから大量に最新型の銃器を購入していた薩長軍と比べると、銃器の保有数や…詳細を見る -
一関藩(仙台藩支藩)/田村家3万石:田村崇顕 戊辰戦争では仙台藩と共に奥羽越列藩同盟に加盟したため減封された一関藩【幕末維新写真館】
【藩名】 一関藩(仙台藩支藩) 【説明】 明治元年(1868年)の「戊辰戦争」では、一関藩は仙台藩に従い「奥羽列藩同盟」に参加したが後に仙台藩とともに新政府にへ降伏した。戊辰戦争後の明治2年(1869年)、3千…詳細を見る -
盛岡藩(南部藩)/南部家20万石:南部利恭 戊辰戦争では久保田藩を攻撃し終戦と共に白石藩へ減転封となった南部藩【幕末維新写真館】
【藩名】 盛岡藩 【説明】 明治元年(1868年)、藩内は「新政府派」と「旧幕府派」に対立していたが、最終的に家老「楢山佐渡」が「奥羽越列藩同盟」への参加で藩論を一致させた。そして、新政府軍についた久保田藩(秋…詳細を見る -
八戸藩/南部家2万石:南部信順 奥羽越列藩同盟に加わるも藩主が薩摩藩からの養子のため改易を逃れた八戸藩【幕末維新写真館】
【藩名】 八戸藩 【説明】 寛文4年(1664年)、南部盛岡藩3代藩主「南部重直」が嗣子を定めずに病没したため、幕府の命により遺領10万石を、重直の2人の弟「七戸重信」の本藩8万石と、「中里数馬」の「八戸藩」2…詳細を見る -
黒石藩(弘前藩支藩)/津軽家1万石:津軽承叙 幕末時は本藩と同様に新政府軍に与した黒石藩【幕末維新写真館】
【藩名】 黒石藩(弘前藩支藩) 【説明】 弘前藩の支藩に、陸奥国津軽郡黒石(現在の青森県黒石市)に政庁が置かれた「黒石藩」がある。黒石藩は明暦2年(1656年)黒石津軽家の「津軽信政」が本藩宗家を継ぐと同時に弘…詳細を見る -
弘前藩(津軽藩)/津軽家10万石:津軽承昭 早くから新政府軍につくも各地で旧幕府軍に連戦連敗した弘前藩【幕末維新写真館】
【藩名】 弘前藩(津軽藩) 【説明】 明治元年(1868年)の「戊辰戦争」では、当初「奥羽越列藩同盟」に属したが後に脱退。新政府軍に与したが秋田戦線では庄内藩に敗北し、野辺地の戦闘でも盛岡藩に敗北し、さらに蝦夷地で旧幕…詳細を見る -
斗南藩/松平家3万石:松平容大 会津戦争の敗戦後に家名存続を許され移封し立藩した斗南藩【幕末維新写真館】
【藩名】 斗南藩 【説明】 斗南藩(となみはん)は、明治2年(1869年)11月3日に松平容保の嫡男・容大に家名存続が許されて成立した、七戸藩を挟む形で現青森県の東部にあった藩である。 斗南藩の表高は3万…詳細を見る
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