タグ:維新
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白井藩/本多家1万石:本多紀貞 幕末前に嗣子がなくお家は断絶し廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 白井藩 【説明】 「西尾忠永」が2万石で白井藩へ入封する。しかし、元和4年(1618年)に常陸国土浦藩へ移封となった。その後を受けて「本多康重」の次男「本多紀貞」が1万石で入封する。元和9年(1623…詳細を見る -
大胡藩/牧野家2万石:牧野忠成 幕末前に長岡へ加増転封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大胡藩 【説明】 慶長14年(1609年)12月、「牧野康成」が死去し、子の「牧野忠成」が大胡藩主の跡を継いだ。忠成は元和2年(1616年)7月、越後国長峰藩に5万石で移され、元和4年(1618年)3…詳細を見る -
上野豊岡藩/根津家1万石:根津信直 幕末前に嗣子がなくお家断絶により廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 上野豊岡藩 【説明】 慶長7年(1602年)、「根津政直」の子である「根津信政」は5千石の加増により合計1万石の大名として上野豊岡藩を立藩した。信政の没後その息子「政次」が、さらにその死後は養子となっ…詳細を見る -
板鼻藩/酒井家2万石:酒井忠行 本家の姫路移封に伴い支藩も廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 板鼻藩 【説明】 寛永2年(1625年)9月2日に、上野厩橋藩主「酒井忠世」の長男「酒井忠行」が板鼻に2万石の所領を与えられ板鼻藩を立藩した。忠行は部屋住み身分ながら父とともに「徳川秀忠」の側近として…詳細を見る -
那波藩/酒井家2万2千5百石:酒井忠能 小諸藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 那波藩 【説明】 豊臣秀吉の「北条征伐」後、関東に入封した「徳川家康」は「松平家乗」に上野国那波郡内1万石を与えた。これが那波藩の立藩である。家乗は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で三河吉田城…詳細を見る -
総社藩/秋元家1万5千石:秋元泰朝 幕末前に甲斐谷村藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 総社藩 【説明】 後北条氏の遺臣で徳川家の譜代家臣となった「秋元長朝」が1万石で入った。長朝は地元の領民などの助力を得て総社に新城築城と城下町建設を計画した。これが「総社町」の建設である。さらに新田開…詳細を見る -
館林藩/秋元家6万石:秋元礼朝 新政府軍に恭順し奥羽戦線に派兵した館林藩【幕末維新写真館】
【藩名】 館林藩 【説明】 館林藩は長州藩と縁戚関係にあったため、常陸水戸藩と共に関東における尊皇攘夷派の急先鋒となった。ところがこの親戚関係が幕府からの嫌疑を招き、元治元年(1864年)7月の「禁門の変」の後…詳細を見る -
小幡藩/奥平松平家2万石:松平忠恕 戊辰戦争では早くから新政府軍に恭順して家名を保った小幡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小幡藩 【説明】 上野上里見藩より、若年寄の「松平忠恒」が2万石で入封する。奥平松平家の歴代藩主4人は若年寄、寺社奉行、奏者番などを歴任した。小幡藩は毎年財政難となり藩の借金は、天保15年(1844年…詳細を見る -
吉井藩(矢田藩)/松平家1万石:吉井信謹 幕末時に新政府側の立場を取り松平性を捨て吉井姓に改めた吉井藩【幕末維新写真館】
【藩名】 吉井藩(矢田藩) 【説明】 第9代藩主「松平信発」は安政6年(1859年)、常陸水戸藩主「徳川斉昭」蟄居の命を伝える上使を務めた功績から、莫大な恩賞を受けた。藩政においても農民兵を採用した軍制改革を行…詳細を見る -
七日市藩/前田家1万石:前田利昭 早くから新政府軍に恭順し会津戦争へ加わった七日市藩【幕末維新写真館】
【藩名】 七日市藩 【説明】 慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」では新政府側に与し、会津藩の討伐に参加した。翌年の「版籍奉還」で最後の藩主の利昭は七日市藩知事となる。利昭は成器館を文武学校と改称し、さらに軍務…詳細を見る -
伊勢崎藩/酒井家2万石:酒井忠彰 自ら謹慎して新政府に恭順した伊勢崎藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢崎藩 【説明】 幕末には本家の「姫路藩」が佐幕派だったため新政府から警戒されたが、8代藩主「酒井忠強」は自ら謹慎することで恭順の意を示した。早くから恭順したことで無事に戊辰戦争を生き抜いた。その後…詳細を見る -
高崎藩/大河内松平家8万2千石:松平輝聲 早くから新政府へ恭順し明治を迎えた高崎藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高崎藩 【説明】 安政6年(1859年)12月15日、高崎藩主「大河内輝声」は将軍「徳川家茂」に拝謁する。万延元年(1860年)8月24日、家督を継ぎ、文久2年(1862年)12月11日には従五位下右…詳細を見る -
安中藩/板倉家2万石:板倉勝殷 幕末期に同志社大学を創設した新島襄を排出した安中藩【幕末維新写真館】
【藩名】 安中藩 【説明】 安中藩は幕末期に「和宮降嫁」のために中山道の守備を務めた。「偽官軍事件」として有名な「赤報隊」事件はこの安中で起こっている。慶応4年(1868年)3月には老臣を上洛させて、いち早く新…詳細を見る -
前橋藩/松平家17万石:松平直克 大政奉還後の戊辰戦争ではいち早く新政府に恭順した前橋藩【幕末維新写真館】
【藩名】 前橋藩 【説明】 幕末になって時の川越藩主「松平直克」に念願の前橋帰城が許された。足掛け4年におよぶ大規模な築城を経て、慶応3年(1867年)新「前橋城」が完成し、川越藩の石高17万石をもって前橋藩が…詳細を見る -
沼田藩/土岐家3万5千石:土岐頼知 新政府軍に恭順し三国峠の戦いで会津藩と交戦した沼田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 沼田藩 【説明】 第11代沼田藩主となった「土岐頼之」は、寛政の改革で有名な「松平定信」の孫であったが、徳川幕府とはあまり深く関わらずにいた。慶応3年(1867年)4月に家督を「土岐頼知」に譲って隠居…詳細を見る -
石川藩/本多家1万石:本多忠利 三河国挙母藩への移封にて廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 石川藩 【説明】 石川藩は寛文2年(1662年)、「本多忠勝」の曾孫「本多忠平(白河藩主)」が襲封にあたり次弟の「本多忠利」に陸奥石川郡のうち16か村1万石を分与して成立した白河藩の支藩である。天和元…詳細を見る -
大久保藩/本多家1万石:本多政利 藩政不届きにより幕末前に改易【幕末維新写真館】
【藩名】 大久保藩 【説明】 天和2年(1682年)2月、郡山藩で起こった九・六騒動の張本人の一人「本多政利」は幕府からその責を問われ、6万石の内3万石を返還した上で新たに3万石が加えられるという形で播磨国明石…詳細を見る -
会津藩/松平家23万石:松平容保 戊辰戦争最大の激戦地で白虎隊の悲劇が起こった会津藩【幕末維新写真館】
【藩名】 会津藩 【説明】 慶応4年(1868年)に鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)が勃発する。会津藩は、桑名藩や幕府軍とともに新政府軍と戦ったが敗北した。この戦の結果、朝廷は会津藩を「朝敵」とした。その後の奥羽戦…詳細を見る -
陸奥下村藩/田沼家1万石:田沼意正 幕末前に相良へ移封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 陸奥下村藩 【説明】 文政6年(1823年)、老中「水野忠成」や将軍「徳川家斉」の計らいもあって、「田沼意正」は意次時代の旧領の相良へ再び移されることとなり、下村藩は廃藩となった。ちなみに、田沼氏が再…詳細を見る -
下手渡藩/立花家1万石:立花種恭 奥羽戦争では新政府軍側で仙台藩と戦った下手度藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下手渡藩 【説明】 幕末の藩主「立花種恭」は慶応4年(1866年)1月10日に老中格の会計総裁となったが、すでに「戊辰戦争」が始まっており、「鳥羽伏見の戦い」において敗北を喫した直後であった。この混乱…詳細を見る
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