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足利藩/戸田家1万1千石:戸田忠行 大政奉還後は新政府軍に恭順した足利藩【幕末維新写真館】
【藩名】 足利藩 【説明】 宝永2年(1705年)1月、将軍世子である「徳川家宣」の御側役を務めていた「戸田忠時」が1万1000石を領することとなったため、大名に列して足利藩を立藩した。歴代藩主は藩政改革を行ない大坂定…詳細を見る -
下総山川藩/水野家3万5千石:水野忠善 駿河国田中藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下総山川藩 【説明】 慶長9年(1604年)に「松平定勝」の三男「松平定綱」は山川に5000石を与えられる。慶長14年(1609年)には1万石を加増され、1万5000石の大名となり「山川藩」を立藩した…詳細を見る -
下野上田藩/西郷家1万石:西郷寿員 勤務怠慢により減封交替寄合格となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下野上田藩 【説明】 元禄5年(1692年)2月7日、「徳川綱吉」の寵臣であった安房東条藩主「西郷寿員」は、下野国都賀郡・河内郡・芳賀郡に所領を移された。これにより、下野上田藩が立藩した。 だが…詳細を見る -
真岡藩/稲葉家4万石:稲葉正勝 小田原へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 真岡藩 【説明】 寛永4年(1627年)、「堀親良」が下野烏山藩に加増移封された後、「稲葉正成」が2万石で入封した。正成は「小早川秀秋」の家老だったが、秀秋没後は徳川家の家臣となって福井藩主「松平忠昌…詳細を見る -
茂木藩/細川家1万6千2百石:細川興貫 谷田部藩の移封により立藩された茂木藩【幕末維新写真館】
【藩名】 茂木藩 【説明】 藩祖は「細川藤孝(幽斎)」の二男で、「細川忠興」の弟である「細川興元」である。慶長15年(1610年)の茂木氏の秋田転封の後をうけ、27ヶ村1万54石で入封した。元和2年(1616年)、興元…詳細を見る -
鹿沼藩/内田家1万5千石:内田正親 下総国小見川藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鹿沼藩 【説明】 正保4年(1647年)、小姓組番頭であった「朽木稙綱」は、鹿沼において5千石を加増され、2万5000石の大名として鹿沼藩を立藩した。しかし慶安2年(1649年)に稙綱は常陸国土浦藩に…詳細を見る -
板橋藩/大給松平家1万石:松平成重 三河西尾藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 板橋藩 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」の前哨戦「伏見城攻防戦」で「松平近正」は戦死した。家督は嫡子の「松平一生」が継ぎ、父の武功を賞されて5千石を加増され1万石の大名として諸侯に列…詳細を見る -
高徳藩/戸田家1万石:戸田忠綱 幕末の宇都宮城攻防戦では新政府軍側で参戦した高徳藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高徳藩 【説明】 慶応2年(1866年)3月、「戸田忠至」は「天狗党の乱」で改易の危機に立たされた宇都宮藩を救い、山陵奉行として功績を挙げたことから、本家である宇都宮藩戸田家から1万石を分与され、大名…詳細を見る -
高徳藩/戸田家1万石:戸田忠綱 旧幕府軍と新政府軍の戦場にもなった高徳藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高徳藩 【説明】 慶応2年(1866年)3月、「戸田忠至」は「天狗党の乱」で改易の危機に立たされた宇都宮藩を救い、山陵奉行として功績を挙げたことから、本家である宇都宮藩戸田家から1万石を分与され、大名…詳細を見る -
那須藩/那須家1万2千石:那須資祗 烏山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 那須藩 【説明】 慶安元年(1648年)、無嗣断絶とされた信濃国小諸藩主「松平憲良」の弟「松平康尚」が名跡の継承を許されて那須城へ1万石で入封し、那須藩が再立藩された。翌慶安2年(1649年)、康尚は…詳細を見る -
佐野藩/堀田家1万3千石:堀田正頌 幕末時には新政府軍に武器を献上し恭順した佐野藩【幕末維新写真館】
【藩名】 佐野藩 【説明】 唐沢山城を統治していた「佐野房綱」は豊臣秀吉に仕えていたが、ほどなく死去し、その跡を養子の「佐野信吉」が継いだ。しかし、信吉の代に佐野氏は徳川幕府より改易されてしまう。堅城を誇る唐沢…詳細を見る -
壬生藩/鳥居家3万石:鳥居忠宝 土壇場で新政府軍に恭順した壬生藩【幕末維新写真館】
【藩名】 壬生藩 【説明】 幕末期、壬生藩では尊皇攘夷をめぐっての争いが絶えず、文久2年(1862年)には勤王派が主導権を握って保守派の江戸家老「鳥居志摩」が失脚の上、自刃させられた。元治元年(1864年)に水…詳細を見る -
宇都宮藩/戸田家7万7千石:戸田忠友 戊辰戦争では旧幕府軍と新政府軍との間で激戦となった宇都宮城【幕末維新写真館】
【藩名】 宇都宮藩 【説明】 元治元年(1864年)、常陸国筑波山にて「天狗党の乱」が起こり天狗党の一軍が宇都宮城にやって来た。この時、宇都宮藩兵は日光の守備、山陵の家臣派遣などで藩内に兵が少なかった。天狗党幹…詳細を見る -
烏山藩/大久保家2万石:大久保忠順 幕末時は特にめだったこともなく新政府軍に恭順した烏山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 烏山藩 【説明】 幕末期の烏山藩は領内が荒廃していたこともあり、特に目立ったことはなかった。特に何ら処罰も受けていないので早くから新政府軍に恭順していたものと考えられる。明治2年(1869年)の「版籍…詳細を見る -
喜連川藩/喜連川家5千石:喜連川縄氏 いち早く新政府軍に恭順し白河小峰城の攻防戦にも参戦した喜連川藩【幕末維新写真館】
【藩名】 喜連川藩 【説明】 喜連川藩主は「足利国朝(正室は古河公方 足利氏姫)」を藩祖とする足利一門である。喜連川氏は「足利尊氏」の次男「足利基氏」の後裔であり、名族足利氏のなかで唯一「明治維新」まで存続した…詳細を見る -
黒羽藩/大関家1万8千石:大関増勤 戊辰戦争では新式装備にて三斗小屋攻略や会津戦争へ参戦した黒羽藩【幕末維新写真館】
【藩名】 黒羽藩 【説明】 第15代黒羽藩主「大関増裕」は外様の小藩ながら幕末には「海軍奉行」や「若年寄」などの幕府要職を歴任する。藩政では「作新館」を開校し藩兵の洋式化を目指し当時最先端のスペンサー銃の標準装…詳細を見る -
大田原藩/大田原家1万1千石:大田原一清 新政府軍についたため会津藩や旧幕府軍から攻撃を受けた大田原藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大田原藩 【説明】 第3代大田原藩主「大田原高清」は弟の「為清」に1000石を分知し、表高は1万1000石となった。大田原氏は小藩ながら外様大名として江戸期・幕末・明治時代まで存続した。幕末の嘉永3年…詳細を見る -
篠塚藩/松平家2万石:松平忠恒 上里見藩へ移封のため短期間のうちに廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 篠塚藩 【説明】 延享4年(1747年)7月、陸奥桑折藩主であった「松平忠恒」が陸奥伊達郡など1万2250石の所領を上野国に移され、邑楽郡篠塚村に陣屋を構えたことから篠塚藩を立藩した。表高は2万石であ…詳細を見る -
上里見藩/松平家2万石:松平忠恒 小幡藩へ移封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 上里見藩 【説明】 上里見藩は寛延元年(1748年)8月、篠塚藩主であった「松平忠恒」が移封されたことから立藩した。表高は2万石。忠恒は奏者番・寺社奉行を兼務した「松平忠暁」の次男で、自身も奏者番と寺…詳細を見る -
青柳藩/近藤家1万石:近藤秀用 幕末前に井伊谷藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 青柳藩 【説明】 慶長19年(1614年)、槍奉行であった「近藤秀用」は相模国内において新たに1万石を与えられ、従来の上野国邑楽郡青柳5千石と合わせて1万千石の大名として諸侯に列し青柳藩を立藩した。翌…詳細を見る
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