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飫肥藩/伊東家5万1千石:伊東祐相 新政府軍に与して二条城や甲府城の守備を務めた飫肥藩【幕末維新写真館】
【藩名】 飫肥藩 【説明】 慶長5年(1600年)、「関ヶ原の戦い」では「伊東祐兵」が大坂で病を得ていた為、成り行きで西軍につくも、密かに「黒田如水」を通じて東軍に味方をし、嫡男「祐慶」を下向させて宮崎城を攻撃…詳細を見る -
佐土原藩(薩摩藩支藩)/島津家2万7千石:島津忠寛 薩摩藩と共に上野戦争や会津戦争に参戦した佐土原藩【幕末維新写真館】
【藩名】 佐土原藩(薩摩藩支藩) 【説明】 慶長8年(1603年)、「島津貴久」の弟「忠将」の子である「島津以久」が日向国那珂郡・児湯郡内で3万石を与えられて佐土原城を拠点とした。元々は「島津家久」「島津豊久」…詳細を見る -
高鍋藩/秋月家2万7千石:秋月種殷 幕末では特に大きな動きがなかった高鍋藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高鍋藩 【説明】 秋月氏はもともと筑前国を領していたが、「豊臣秀吉」の「九州征伐」のとき、時の当主「秋月種実」が島津氏に与して抵抗し、のちに秀吉に恭順した。これにより36万石あった領地から日向国串間3…詳細を見る -
延岡藩/内藤家7万石:内藤政挙 鳥羽・伏見の戦いでは旧幕府軍に付いたため朝敵とされた延岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 延岡藩 【説明】 「豊臣秀吉」の「九州征伐」後の天正15年(1587年)に、豊前国香春(福岡県田川郡香春町)周辺の領主「高橋元種」が延岡南部の松尾城5万石に封ぜられた延岡藩が立藩された。慶長5年(1600年)…詳細を見る -
人吉藩/相良家2万2千石:相良頼基 軍制改革を行い薩摩藩と共に会津攻撃に加わった人吉藩【幕末維新写真館】
【藩名】 人吉藩 【説明】 天正15年(1587年)、「豊臣秀吉」の「九州征伐」の際、相良家老臣の「深水長智」は大友氏・島津氏の間に挟まれた小領主の苦悩を秀吉に訴えた。この長智の奔走により当主の「相良頼房(初代藩主・長…詳細を見る -
宇土藩(熊本藩支藩)/細川家3万石:細川行真 高瀬藩と共に本藩に従い新政府軍として従軍した宇土藩【幕末維新写真館】
【藩名】 宇土藩(熊本藩支藩) 【説明】 宇土藩は熊本藩の支藩で藩庁は宇土(宇土市)に陣屋が置かれた。 正保3年(1646年)熊本藩2代藩主「細川光尚」の従兄弟「行孝(初代忠利の弟・立孝の子)」が宇土郡・下益城…詳細を見る -
熊本藩(肥後藩)/細川家54万石:細川護久 藩論が割れたが最後は新政府軍に加わり横井小楠を輩出した熊本藩【幕末維新写真館】
【藩名】 熊本藩(肥後藩) 【説明】 熊本藩2代藩主「加藤忠広」は、寛永9年(1632年)駿河大納言事件に連座したとされる罪で改易され出羽国庄内に配流となり、加藤家は断絶した。代わって同年豊前国小倉藩より、「細…詳細を見る -
福江藩(五島藩)/五島家1万5千石:五島盛徳 上洛要請により上京し新政府軍に従った五島藩【幕末維新写真館】
【藩名】 福江藩(五島藩) 【説明】 江戸時代初期の慶長8年(1603年)に、初代藩主「五島玄雅(五島純玄の嗣子)」が「徳川家康」に謁し、1万5千余石の所領を認める朱印状を下賜されたことに福江藩が創設される。 嘉…詳細を見る -
島原藩/松平家6万5千石:松平忠和 島原の乱を経て幕末には新政府軍に属し秋田や盛岡まで参戦した島原藩【幕末維新写真館】
【藩名】 島原藩 【説明】 島原は戦国時代、有馬氏が治めていた領地である。キリシタン大名の「有馬晴信」は「関ヶ原の戦い」で「徳川家康」率いる東軍に与して本領を安堵された。しかし慶長17年(1612年)、「岡本大…詳細を見る -
佐賀藩/鍋島家35万7千石:鍋島直正(閑叟)幕末当時最新鋭の洋式軍を保持し上野戦争や函館五稜郭の戦いに参戦した佐賀藩(肥前藩)【幕末維新写真館】
【藩名】 佐賀藩 【説明】 幕末の藩主「鍋島直正」は精錬方という科学技術の研究機関を創設し、鉄鋼、加工技術、大砲、蒸気機関、電信、ガラスなどの研究・開発・生産を行い、佐賀藩(肥前藩)は幕末期における最も近代化さ…詳細を見る -
蓮池藩(佐賀藩支藩)/鍋島家5万2千石:鍋島直紀 戊辰戦争では新政府軍に属して秋田戦争に参戦した蓮池藩【幕末維新写真館】
【藩名】 蓮池藩(佐賀藩支藩) 【説明】 蓮池藩は立藩の時期は諸説ありはっきりしないが、江戸時代初期に初代佐賀藩主「鍋島勝茂」の五男「直澄」が佐賀藩領内の佐嘉郡・神埼郡・杵島郡・松浦郡・藤津郡において5万200…詳細を見る -
小城藩(佐賀藩支藩)/鍋島家7万3千石:鍋島直虎 新政府軍に与して秋田戦争まで参戦した小城藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小城藩 【説明】 小城藩は立藩の時期は諸説ありはっきりしないが、江戸時代初期に初代佐賀藩主「鍋島勝茂」の長男「元茂」が肥前藩領内の佐嘉郡・小城郡・松浦郡において7万3000石を与えられたことに始まると…詳細を見る -
平戸藩/松浦家6万1700石:松浦詮 鳥羽・伏見の戦い直後に新政府軍に加わった平戸藩【幕末維新写真館】
【藩名】 平戸藩 【説明】 慶長5年(1600年)、「関ヶ原の戦い」で「徳川家康」率いる東軍に与した「松浦鎮信」は6万3千石の所領を安堵され平戸藩が確立した。江戸期を通じて平戸の地を統治し続け、12代「松浦詮」…詳細を見る -
唐津藩/小笠原家6万石:小笠原長行 老中や幕府要職を歴任し函館戦争まで戦った小笠原長行【幕末維新写真館】
【藩名】 唐津藩 【説明】 「寺沢広高」は「豊臣秀吉」に仕え、文禄元年(1592年)の文禄の役では肥前名護屋城の普請や後方兵站の責任者を務めて功績を挙げたことにより、秀吉から名護屋を含む上松浦郡一帯およそ8万3…詳細を見る -
柳河藩/立花家10万9千石:立花鑑寛 戊辰戦争では会津若松まで参戦した柳川藩【幕末維新写真館】
【藩名】 柳河藩 【説明】 柳河を中心とする下筑後地方は、鎌倉時代から戦国時代末期まで蒲池氏の領地であり、戦国時代に入ると蒲池氏を滅ぼした龍造寺氏が支配するようになった。「豊臣秀吉」が九州を平定すると大友氏から…詳細を見る -
久留米藩/有馬家21万石:有馬頼咸 禁門の変で長州藩兵とともに戦った真木和泉を排出した久留米藩【幕末維新写真館】
【藩名】 久留米藩 【説明】 元和6年(1620年)、丹波国福知山藩8万石の大名であった「有馬豊氏」は、13万石の加増を受け久留米21万石の領主として入封した。大幅な加増は「大坂の陣」の功績とされている。久留米…詳細を見る -
秋月藩(福岡藩支藩)/黒田家5万石:黒田長徳 宗家福岡藩とともに新政府軍に加わった秋月藩【幕末維新写真館】
【藩名】 秋月藩(福岡藩支藩) 【説明】 秋月藩は福岡藩の支藩で、元和9年(1623年)黒田長政の三男「黒田長興」が福岡藩より5万石を分与され立藩した。藩庁は秋月陣屋(福岡県朝倉市)である。無城大名ではあるが城…詳細を見る -
福岡藩/黒田家43万3千石:黒田長知 幕末時は親長州藩の立場で早くから新政府側についた福岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 福岡藩 【説明】 慶長5年(1600年)、「関ヶ原の戦い」の功により、筑前の一部を領有していた「小早川秀秋」が備前国岡山藩に移封となった。代わって豊前国中津藩主「黒田長政」が同じく関ヶ原の戦功により筑…詳細を見る -
岡藩/中川家7万石:中川久昭 駿府城への派兵の遅れより謹慎を命じられた岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岡藩 【説明】 織田信長、豊臣秀吉に仕えた「中川清秀」の子で、播磨国三木城主4万石だった「中川秀成」が、文禄3年(594年)に6万6000石で岡城に入封した。その後の慶長3年(1598年)の検地によっ…詳細を見る -
臼杵藩/稲葉家5万石:稲葉久通 豊後国中もっとも遅い上洛だったがいち早く版籍奉還を行った臼杵藩【幕末維新写真館】
【藩名】 臼杵藩 【説明】 臼杵には豊臣秀吉の家臣「太田一吉」が6万5000石で入封していた。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で石田三成との関係上西軍に与したために、改易された。その後、「稲葉貞通」が「…詳細を見る
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