タグ:新政府
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美作勝山藩/三浦家2万3千石:三浦顕次 譜代大名だが佐幕同盟を脱して新政府に従った勝山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 美作勝山藩 【説明】 明和元年(1764年)、譜代大名の「三浦明次」が三河国西尾藩より転封となり立藩された。真島郡内の96村と大庭郡内の1村を与えられ2万3千石で立藩だった。高田城を藩庁としたため当初…詳細を見る -
若桜藩(鳥取藩支藩、鳥取西館新田藩)/池田家2万石:池田徳定 禁門の変では幕府軍として戦うも戊辰戦争では鳥取藩と共に新政府に従った若桜藩【幕末維新写真館】
【藩名】 若桜藩(鳥取藩支藩、鳥取西館新田藩) 【説明】 若桜藩は鳥取西館新田藩ともいい、鳥取藩の第2代藩主「池田綱清」が元禄13年(1700年)5月25日に弟の「池田清定(池田光仲の四男)」に新田1万5000…詳細を見る -
三草藩/丹羽家1万石:丹羽氏中 新政府の要請に応じて上洛し戊辰戦争では軍資金を献上した三草藩【幕末維新写真館】
【藩名】 三草藩 【説明】 越後国高柳藩主「丹羽薫氏」は元文4年(1739年)大坂定番を任じられ、河内国・播磨国・美作国に所領を移された。さらに延享3年(1746年)河内国の所領を播磨国内に移され、三草に陣屋を…詳細を見る -
林田藩/建部家1万石:建部増勤 いち早く新政府に従い姫路藩征伐に参戦した林田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 林田藩 【説明】 林田藩は豊臣秀吉の家臣で尼崎郡代700石であった「建部光重」の子「政長」が藩祖である。政長は「池田輝政」の養女を母とする池田氏の一族で「池田利隆」「忠継」兄弟が「大坂の役」で戦功を挙…詳細を見る -
安志藩/小笠原家1万石:小笠原貞孚 新政府の要請に応じて重臣を上洛させ恭順した安志藩【幕末維新写真館】
【藩名】 安志藩 【説明】 享保元年(1716年)中津藩第5代藩主「小笠原長邕」が5歳で夭逝したが、弟の長興が安志に1万石で立藩を認められた。藩祖「長興」は生来から病弱だったため、わずか19歳で隠居する。しかし…詳細を見る -
峰山藩/京極家1万3千石:京極高陳 戊辰戦争ではいち早く新政府に恭順して許された峰山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 峰山藩 【説明】 初代藩主「京極高通」は朽木宣綱の次男として生まれたが、母方の叔父である「京極高知」の婿養子となった。丹後国主であった高知は自らの遺領を実子2人と高通に3分割して与え、高通には峰山地方…詳細を見る -
山家藩/谷家1万石:谷衛滋 新政府の要請に応じ上洛し西園寺公望引きいる山陰道鎮撫軍に従った山家藩【幕末維新写真館】
【藩名】 山家藩 【説明】 藩祖「谷衛友」は織田信長・豊臣秀吉に仕えて丹波国山家にて1万6000石を拝領した。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」では西軍に属して「小野木重勝」らと行動を共にし、東軍の細川藤…詳細を見る -
麻田藩/青木家1万2千石:青木重義 いち早く上洛し新政府指示を表明した麻田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 麻田藩 【説明】 元和元年(1615年)摂津 豊島郡川辺郡の一部1万2千石で「青木一重」を藩主として成立した。元和3年(1617年)までに一重は旗本で弟の可直に2千石を分与したため1万石となった。 …詳細を見る -
丹南藩/高木家1万石:高木正坦 新政府の上京要請に応じて上洛し新政府軍に従った丹南藩【幕末維新写真館】
【藩名】 丹南藩 【説明】 藩祖の「高木正次」は、相模国・武蔵国・上総国・下総国及び近江国に9千石を領する徳川家の旗本だった。元和9年(1623年)に大坂定番に就任し1千石の加増を受け、河内国丹南郡22村に1万…詳細を見る -
芝村藩/織田家1万石:織田長易 天誅組の乱で戦功をあげるもその後新政府に属した芝村藩【幕末維新写真館】
【藩名】 芝村藩 【説明】 「織田信長」の末弟で茶人として有名な「織田有楽斎(長益)」は、「関ヶ原の戦い」では東軍に与して戦功を挙げたが、その後は「豊臣秀頼」の大叔父に当たるということから豊臣氏の家臣となってい…詳細を見る -
仁正寺藩(西大路藩)/市橋家1万7千石:市橋長和 鳥羽・伏見の戦い以降新政府に属し西大路藩と改名した仁正寺藩【幕末維新写真館】
【藩名】 仁正寺藩(西大路藩) 【説明】 元和6年(1620年)、「市橋長政」が近江国蒲生、野洲両郡と河内国内に合わせて2万石を与えられたことから仁正寺藩が立藩された。長政は元和8年(1622年)1月、幕命によ…詳細を見る -
山上藩/稲垣家1万3千石:稲垣太祥 当初佐幕派だったが途中から新政府に属した山上藩【幕末維新写真館】
【藩名】 山上藩 【説明】 元禄11年(1698年)3月7日、若年寄であった「稲垣重定」が常陸国から山上1万3000石にて移封され山上藩が立藩された。歴代藩主の多くが若年寄や大坂加番、大番頭や奏者番などの要職を…詳細を見る -
近江宮川藩/堀田家1万3千石:堀田正養 近江国内の諸藩が新政府に従ったためやむなく恭順した宮川藩【幕末維新写真館】
【藩名】 近江宮川藩 【説明】 万治3年(1660年)、堀田正信は老中「松平信綱」と対立したため所領を没収され改易となった。正信の嫡男「堀田正休」が父の罪を許されて天和2年(1682年)3月に1万石の大名として…詳細を見る -
与板藩/井伊家2万石:井伊直安 井伊宗家の新政府恭順に伴い与板藩も恭順【幕末維新写真館】
【藩名】 与板藩 【説明】 慶応4年(1868年)、「鳥羽・伏見の戦い」にて火蓋を切った戊辰戦争は、それまで政争の中心から遠かった小藩の与板藩をも巻き込んでいく。徳川宗家の「大政奉還」後、井伊家宗家の「彦根藩」…詳細を見る -
生実藩/森川家1万石:森川俊方 戊辰戦争ではいち早く新政府に恭順した生実藩【幕末維新写真館】
【藩名】 生実藩 【説明】 「生実」は元々「小弓」と書かれ、戦国時代初期に古河公方の後継者争いに敗れた「足利義明」が千葉氏の重臣原氏の居城だった「小弓城」を奪って主城とし「小弓公方」を名乗った。 …詳細を見る -
高岡藩/井上家1万石:井上正順 新政府に恭順し家名を保った高岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高岡藩 【説明】 慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」では新政府に従い、藩主「井上正順」は従五位下・宮内少輔に叙位任官する。その後、「版籍奉還」により高岡藩知事になり、廃藩置県で藩知事を免職となった。…詳細を見る -
大多喜藩/松平家2万石:松平正質 遊撃隊や請西藩の誘いを退けたことで新政府より赦免された大多喜藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大多喜藩 【説明】 天正18年(1590年)、豊臣秀吉による「小田原征伐」後、関東に入部した「徳川家康」は「徳川四天王」の一人「本多忠勝」に上総国に10万石を与えた。忠勝は当初は「万喜城」に入城したが…詳細を見る -
吉井藩(矢田藩)/松平家1万石:吉井信謹 幕末時に新政府側の立場を取り松平性を捨て吉井姓に改めた吉井藩【幕末維新写真館】
【藩名】 吉井藩(矢田藩) 【説明】 第9代藩主「松平信発」は安政6年(1859年)、常陸水戸藩主「徳川斉昭」蟄居の命を伝える上使を務めた功績から、莫大な恩賞を受けた。藩政においても農民兵を採用した軍制改革を行…詳細を見る -
伊勢崎藩/酒井家2万石:酒井忠彰 自ら謹慎して新政府に恭順した伊勢崎藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢崎藩 【説明】 幕末には本家の「姫路藩」が佐幕派だったため新政府から警戒されたが、8代藩主「酒井忠強」は自ら謹慎することで恭順の意を示した。早くから恭順したことで無事に戊辰戦争を生き抜いた。その後…詳細を見る -
高崎藩/大河内松平家8万2千石:松平輝聲 早くから新政府へ恭順し明治を迎えた高崎藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高崎藩 【説明】 安政6年(1859年)12月15日、高崎藩主「大河内輝声」は将軍「徳川家茂」に拝謁する。万延元年(1860年)8月24日、家督を継ぎ、文久2年(1862年)12月11日には従五位下右…詳細を見る
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