タグ:新政府軍
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桑名藩/松平家11万3千石:松平定敬 函館戦争まで新政府軍に抵抗した桑名藩主松平定敬【幕末維新写真館】
【藩名】 桑名藩 【説明】 幕末の藩主「松平定敬」は将軍「徳川家茂」から厚い信任を受けていたという。元治元年(1864年)には「京都所司代」に任命され、実の兄の会津藩主「松平容保」がと共に京都の治安維持に努めた…詳細を見る -
長島藩/増山家2万石:増山正修 伊勢国内の大部分が新政府軍に降ったため恭順した長島藩【幕末維新写真館】
【藩名】 長島藩 【説明】 天正2年(1574年)、伊勢長島は「織田信長」の攻撃を受けて一向一揆衆2万人が虐殺されたことで有名である。その後、領主は「滝川一益」「織田信雄」「豊臣秀次」とめまぐるしく変わり、慶長…詳細を見る -
大垣藩/戸田家10万石:戸田氏共 鳥羽伏見の戦い後に恭順し戊辰戦争では新政府軍として参戦した大垣藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大垣藩 【説明】 第11代藩主「戸田氏共」は第2次長州征伐に参加し、慶応2年(1866年)からは藩政改革を断行している。慶応4年(1868年)に勃発した「鳥羽・伏見の戦い」では大垣藩兵も旧幕府軍と共に…詳細を見る -
八幡藩<郡上藩>/青山家4万8千石:青山幸宜 新政府軍に恭順しながら凌霜隊を会津へ派兵した郡上藩【幕末維新写真館】
【藩名】 八幡藩<郡上藩> 【説明】 郡上城は戦国時代、「織田信長」や豊臣氏の家臣であった遠藤氏、次いで稲葉氏の支配下にあった。「関ヶ原の戦い」で稲葉氏が豊後臼杵藩に移封された後、「遠藤慶隆」は2万7,000石…詳細を見る -
尾張藩(名古屋藩)/徳川家61万9千500石:徳川慶勝 御三家でありながら鳥羽・伏見の戦いでは新政府軍に味方した尾張藩【幕末維新写真館】
【藩名】 尾張藩(名古屋藩) 【説明】 幕末の第14代藩主「徳川慶勝」は、養子藩主時代の人事を一新し、財政改革にも一応の成功を収めた。安政5年(1858年)の将軍後継者問題や条約勅許問題などから一橋派に与して「…詳細を見る -
岩村藩/松平家3万石:松平乗命 新政府軍に恭順し函館奉行所にも藩士を派遣した岩村藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岩村藩 【説明】 元禄15年(1702年)9月7日、信濃小諸藩より「松平乗寿」の孫「松平乗紀」が2万石で入封する。歴代藩主の多くが奏者番・寺社奉行など幕府の要職を歴任しており、そのために第4代藩主「松…詳細を見る -
上田藩/松平家5万3千石:松平忠礼 新政府軍に与して北越戦争や会津戦争に参戦した上田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 上田藩 【説明】 安政6年(1859年)、「松平忠固」が死去するとその嫡子「松平忠礼」が跡を継いだ。ところが父「忠固」が幕政に参与して藩政を顧みなかったために藩財政は悪化し、藩内では藩政の主導権をめぐ…詳細を見る -
西尾藩/松平家6万石:松平乗秩 尾州尾張藩に従い新政府軍に恭順した西尾藩【幕末維新写真館】
【藩名】 西尾藩 【説明】 第3代藩主「松平乗寛」は「松平定信」の「寛政の改革」に参与し、幕政改革に従って藩政改革などを行った。第4代藩主「松平乗全」は「井伊直弼」の「安政の大獄」で井伊派として一橋派の処分に務…詳細を見る -
高遠藩/内藤家3万3千石:内藤頼直 新政府軍に与して北越戦争・会津戦争に参戦した高遠藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高遠藩 【説明】 鳥居家が改易となり、高遠藩領はしばらく幕府直轄地となっていた。元禄4年(1691年)、河内富田林藩より「内藤清枚」が3万3千石で入封し再び高遠藩が立藩された。第2代藩主「頼卿」の時代…詳細を見る -
敦賀藩(小浜藩支藩)/酒井家1万石:酒井忠経 本家小浜藩と違い一貫して新政府軍に与した敦賀藩【幕末維新写真館】
【藩名】 敦賀藩(小浜藩支藩) 【説明】 敦賀藩は天和2年(1682年)、小浜藩の第2代藩主「酒井忠直」の次男の「酒井忠稠」が父の遺領のうち越前敦賀郡・近江高島郡において1万石を分与されたことに始まる藩である。…詳細を見る -
丸岡藩/有馬家5万石:有馬道純 いち早く新政府軍に恭順して家名を保った丸岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 丸岡藩 【説明】 丸岡城は戦国時代には「織田信長」の武将「柴田勝家」の養子「柴田勝豊」が治めていた。元禄8年(1695年)に譜代大名の本多家が幕命により改易されると、代わって戦国時代にキリシタン大名で…詳細を見る -
大聖寺藩(加賀藩支藩)/前田家10万石:前田利鬯 鳥羽・伏見の戦い敗戦後佐幕一色から新政府軍に恭順した大聖寺藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大聖寺藩(加賀藩支藩) 【説明】 寛永16年(1639年)、加賀藩の第3代藩主「前田利常」が隠居する際、次男の利次に富山10万石を、三男の利治に大聖寺7万石を分与して、富山藩と大聖寺藩が立藩された。3…詳細を見る -
松前藩(館藩)/松前家1万石:松前修広 正義隊の藩政掌握により新政府軍へ寝返った松前藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松前藩(館藩) 【説明】 明治2年(1869年)6月、14代藩主「松前修広」は「版籍奉還」にて館藩知事に任じられた。明治4年(1871年)7月14日には「廃藩置県」で館藩は廃藩となり館県となる。政庁は…詳細を見る -
本荘藩/六郷家2万石:六郷政鑑 奥羽越列藩同盟からいち早く脱退し新政府軍に従った本庄藩【幕末維新写真館】
【藩名】 本荘藩 【説明】 六郷氏は戦国時代には出羽国山本郡六郷を支配する国人領主で、仙北七人衆の一に数えられていた。「六郷政乗」のとき豊臣秀吉の「小田原征伐(北条征伐)」に従軍し、慶長5年(1600年)の「関…詳細を見る -
久保田藩(秋田藩)/佐竹家20万石:佐竹義堯 戊辰戦争では新政府軍として奥羽越列藩同盟軍と徹底交戦した久保田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 久保田藩(秋田藩) 【説明】 明治維新では、当初「奥羽越列藩同盟」に参加していたが、平田篤胤の思想をなぞる尊攘派が形成されていたこともあり、仙台藩の使者を斬った上で途中から「新政府軍」に寝返った。尊攘…詳細を見る -
宮古湾海戦の碑:旧幕府軍「回天丸」が新政府軍旗艦「甲鉄艦」奪取を試みた海戦【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 宮古湾海戦の碑 【宮古湾海戦の碑の説明】 明治2年(1869年)5月6日、榎本武揚率いる旧幕府軍は海軍力の劣っている穴を埋めるため宮古湾に停泊している新政府軍の旗艦「甲鉄艦」を奪取する斬り込み攻撃を…詳細を見る -
母成峠古戦場跡:会津藩兵や大鳥圭介率いる伝習隊・新選組と新政府軍と戦闘があった母成峠【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 母成峠古戦場跡 【母成峠古戦場跡の説明】 慶応4年(1868年)、二本松城を落とした新政府軍は次の目標を会津藩に定めた。一方会津藩は広大な領内に兵力を分散する必要があり、どこに主力部隊を配置するかが…詳細を見る -
鹿島藩(佐賀藩支藩)/鍋島家2万5千石:鍋島直彬 本藩の佐賀藩と行動をともにし新政府軍に従った鹿島藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鹿島藩(佐賀藩支藩) 【説明】 鹿島藩は鹿島(佐賀県鹿島市)周辺を領有した佐賀藩の支藩である。佐賀藩の初代藩主「鍋島勝茂」の弟「忠茂」が慶長16年(1610年)、佐賀藩より2万石分与され元々領していた…詳細を見る -
森藩/久留島家1万2500石:久留島通靖 来島水軍の末裔で大政奉還後いち早く新政府軍に与した森藩【幕末維新写真館】
【藩名】 森藩 【説明】 瀬戸内海で村上水軍の一軍として活躍した来島水軍の後裔である「来島長親(康親)」は伊予国来島(愛媛県今治市)に1万4千石を領していた。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」では石田三成…詳細を見る -
日出藩/木下家3万石:木下俊愿 佐幕と勤皇で藩論が割れるが最終的には新政府軍に与した日出藩【幕末維新写真館】
【藩名】 日出藩 【説明】 藩祖は「豊臣秀吉」の正室「高台院(ねね)」の兄「木下家定」の三男である「木下延俊」である。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」のとき、東軍として活躍した功績により「徳川家康」から…詳細を見る
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