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明石藩/松平家8万石:松平直致 譜代大名の関係で鳥羽・伏見の戦いでは幕府軍として参戦するもその後新政府に恭順した明石藩【幕末維新写真館】
【藩名】 明石藩 【説明】 江戸時代播磨一国を支配する姫路藩は池田氏の所領であった。その後池田氏は岡山や鳥取へ移封となり、寛永10年(1633年)、松平(戸田)庸直が7万石で入封した。寛永16年(1639年)に…詳細を見る -
篠山藩/青山家6万石:青山忠敏 藩論が佐幕・尊皇に割れたが西園寺公望引きいる新政府軍が城下に迫ると恭順した篠山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 篠山藩 【説明】 寛延元年(1748年)8月、青山忠朝が5万石で丹波亀山藩へ移封となった。以降、江戸期を通じて青山氏による篠山統治時代が幕末まで続いた。譜代大名である青山氏は文久3年(1863年)8月…詳細を見る -
鳥羽藩/稲垣家3万石:稲垣長行 鳥羽・伏見の戦いでは旧幕府軍として戦うもほどなく新政府に恭順した鳥羽藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鳥羽藩 【説明】 鳥羽藩は織田水軍の将「九鬼嘉隆」を藩祖とする藩である。慶長5年(1600年)に勃発した「関ヶ原の戦い」で嘉隆は西軍に、子の「九鬼守隆」は東軍に与して戦った。父子対立というよりはどちら…詳細を見る -
長島藩/増山家2万石:増山正修 伊勢国内の大部分が新政府軍に降ったため恭順した長島藩【幕末維新写真館】
【藩名】 長島藩 【説明】 天正2年(1574年)、伊勢長島は「織田信長」の攻撃を受けて一向一揆衆2万人が虐殺されたことで有名である。その後、領主は「滝川一益」「織田信雄」「豊臣秀次」とめまぐるしく変わり、慶長…詳細を見る -
大垣藩/戸田家10万石:戸田氏共 鳥羽伏見の戦い後に恭順し戊辰戦争では新政府軍として参戦した大垣藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大垣藩 【説明】 第11代藩主「戸田氏共」は第2次長州征伐に参加し、慶応2年(1866年)からは藩政改革を断行している。慶応4年(1868年)に勃発した「鳥羽・伏見の戦い」では大垣藩兵も旧幕府軍と共に…詳細を見る -
苗木藩/遠山家1万500石:遠山友禄 幕府の要職を歴任後いち早く帰国し恭順した苗木藩【幕末維新写真館】
【藩名】 苗木藩 【説明】 苗木藩の藩祖は「遠山友政」である。友政は美濃の豪族で、父の友忠とともに「織田信長」に従っていたが、信長の死後は小牧長久手の戦いなどで「徳川家康」に与したため豊臣秀吉から所領を没収され…詳細を見る -
八幡藩<郡上藩>/青山家4万8千石:青山幸宜 新政府軍に恭順しながら凌霜隊を会津へ派兵した郡上藩【幕末維新写真館】
【藩名】 八幡藩<郡上藩> 【説明】 郡上城は戦国時代、「織田信長」や豊臣氏の家臣であった遠藤氏、次いで稲葉氏の支配下にあった。「関ヶ原の戦い」で稲葉氏が豊後臼杵藩に移封された後、「遠藤慶隆」は2万7,000石…詳細を見る -
岩村藩/松平家3万石:松平乗命 新政府軍に恭順し函館奉行所にも藩士を派遣した岩村藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岩村藩 【説明】 元禄15年(1702年)9月7日、信濃小諸藩より「松平乗寿」の孫「松平乗紀」が2万石で入封する。歴代藩主の多くが奏者番・寺社奉行など幕府の要職を歴任しており、そのために第4代藩主「松…詳細を見る -
西尾藩/松平家6万石:松平乗秩 尾州尾張藩に従い新政府軍に恭順した西尾藩【幕末維新写真館】
【藩名】 西尾藩 【説明】 第3代藩主「松平乗寛」は「松平定信」の「寛政の改革」に参与し、幕政改革に従って藩政改革などを行った。第4代藩主「松平乗全」は「井伊直弼」の「安政の大獄」で井伊派として一橋派の処分に務…詳細を見る -
飯田藩/堀家1万5千石:堀親義 佐幕派の家臣を新政府に差し出し恭順した飯田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 飯田藩 【説明】 第10代藩主「堀親寚」は水野忠邦の「天保の改革」で幕閣の一人となり、奏者番・寺社奉行・若年寄・老中などを歴任して7千石を加増された。しかし、水野失脚に伴い7千石は没収の上、本高3千石…詳細を見る -
丸岡藩/有馬家5万石:有馬道純 いち早く新政府軍に恭順して家名を保った丸岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 丸岡藩 【説明】 丸岡城は戦国時代には「織田信長」の武将「柴田勝家」の養子「柴田勝豊」が治めていた。元禄8年(1695年)に譜代大名の本多家が幕命により改易されると、代わって戦国時代にキリシタン大名で…詳細を見る -
大聖寺藩(加賀藩支藩)/前田家10万石:前田利鬯 鳥羽・伏見の戦い敗戦後佐幕一色から新政府軍に恭順した大聖寺藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大聖寺藩(加賀藩支藩) 【説明】 寛永16年(1639年)、加賀藩の第3代藩主「前田利常」が隠居する際、次男の利次に富山10万石を、三男の利治に大聖寺7万石を分与して、富山藩と大聖寺藩が立藩された。3…詳細を見る -
平戸新田藩(平戸藩支藩)/松浦家1万石:松浦脩 新政府の要請により上洛し恭順【幕末維新写真館】
【藩名】 平戸新田藩(平戸藩支藩) 【説明】 平戸新田藩は平戸藩の支藩で、藩庁は館山(長崎県平戸市)に陣屋を構えた。平戸館山藩とも言われている。元禄2年(1689年)、平戸藩5代藩主棟の弟「昌」が1万石を分与さ…詳細を見る -
佐伯藩/毛利家2万石:毛利高謙 早くから藩主が勤王派で鳥羽伏見の戦い後に恭順した佐伯藩【幕末維新写真館】
【藩名】 佐伯藩 【説明】 文禄3年(1594年)「毛利高政」が、蔵入地の代官として治めていた豊後国玖珠郡角牟礼城と、「宮城豊盛」が治めていた同国日田郡日隈城の2万石を与えられて入封する。 幕末、…詳細を見る -
安志藩/小笠原家1万石:小笠原貞孚 新政府の要請に応じて重臣を上洛させ恭順した安志藩【幕末維新写真館】
【藩名】 安志藩 【説明】 享保元年(1716年)中津藩第5代藩主「小笠原長邕」が5歳で夭逝したが、弟の長興が安志に1万石で立藩を認められた。藩祖「長興」は生来から病弱だったため、わずか19歳で隠居する。しかし…詳細を見る -
峰山藩/京極家1万3千石:京極高陳 戊辰戦争ではいち早く新政府に恭順して許された峰山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 峰山藩 【説明】 初代藩主「京極高通」は朽木宣綱の次男として生まれたが、母方の叔父である「京極高知」の婿養子となった。丹後国主であった高知は自らの遺領を実子2人と高通に3分割して与え、高通には峰山地方…詳細を見る -
綾部藩/九鬼家1万9千500石:九鬼隆備 早くから西園寺公望を通じて新政府軍に恭順した綾部藩【幕末維新写真館】
【藩名】 綾部藩 【説明】」 綾部藩の藩祖は戦国時代に織田信長に仕えて名を馳せた水軍の将「九鬼嘉隆」の孫「九鬼隆季」である。嘉隆の死後、その後を「九鬼守隆」が継いだが、守隆が寛永9年(1632年)に死去すると、…詳細を見る -
近江宮川藩/堀田家1万3千石:堀田正養 近江国内の諸藩が新政府に従ったためやむなく恭順した宮川藩【幕末維新写真館】
【藩名】 近江宮川藩 【説明】 万治3年(1660年)、堀田正信は老中「松平信綱」と対立したため所領を没収され改易となった。正信の嫡男「堀田正休」が父の罪を許されて天和2年(1682年)3月に1万石の大名として…詳細を見る -
久居藩(津藩支藩)/藤堂家5万8千700石:藤堂高邦 本藩に従い新政府軍に恭順した久居藩【幕末維新写真館】
【藩名】 久居藩(津藩支藩) 【説明】 寛文9年(1669年)、津藩の第2代藩主「藤堂高次」が隠居して家督を子の「藤堂高久」に譲ったとき、次男の「藤堂高通」に5万石を分与して津藩の支藩である久居藩を立藩した。築…詳細を見る -
菰野藩/土方家1万2千石:土方雄志 幕末では新政府軍に恭順し家名を保った菰野藩【幕末維新写真館】
【藩名】 菰野藩 【説明】 藩祖は「土方雄久」の長男「土方雄氏」である。雄氏は織田信雄、豊臣秀吉に仕えて伊勢菰野に1万石を領していたが、慶長4年(1599年)に徳川家康暗殺事件に巻き込まれて所領を没収され、常陸…詳細を見る
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