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石戸藩/牧野家1万1千石:牧野信成 下総国関宿藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 石戸藩 【説明】 石戸藩は、現在の埼玉県上尾市北西部から鴻巣市南西部にかけてを統治した藩である。領内の川田谷(現在の桶川市川田谷)に陣屋を設置した。 石戸藩祖は「牧野信成」である。牧野氏には同姓…詳細を見る -
久喜藩/米津家1万1千石:米津通政 出羽長瀞藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 久喜藩 【説明】 譜代大名の「米津政武」が武蔵国久喜に領地を与えられ陣屋を設置し久喜藩が立藩される。 寛政10年(1798年)7月、5代藩主「米津通政」が武蔵国内の所領6400石を出羽国村山郡内…詳細を見る -
高坂藩(掛塚藩)/加賀爪家1万3千石:加賀爪直清 成瀬家との領地争いにより廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高坂藩(掛塚藩) 【説明】 「加々爪忠澄」は「関ヶ原の戦い」、「大坂の陣」で武功を挙げたため、加増を受けて寛永10年(1633年)に9500石を与えられた。忠澄の後を継いだ「加々爪直澄」は「徳川家光」…詳細を見る -
野本藩/渡辺家1万3千5百石:渡辺基綱 大庭寺藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 野本藩 【説明】 野本藩初代藩主の「渡辺吉綱」は「槍半蔵(渡辺守綱)」の孫で4代将軍「徳川家綱」の側用人を務めたのち、寛文元年(1661年)に大坂定番となり、河内・和泉両国に1万石を加増されて大名に列…詳細を見る -
武蔵松山藩/松平家3万石:松平忠頼 遠江国浜松藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 武蔵松山藩 【説明】 「豊臣秀吉」の「北条征伐」後に「徳川家康」が関東入国すると、天正18年(1590年)に「松平家広」が武蔵松山1万石を与えられて武州松山藩を立藩した。のちに3万石に加増された。しか…詳細を見る -
騎西藩(私市藩)/大久保家2万石:大久保忠職 美濃加納藩へ加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 騎西藩(私市藩) 【説明】 豊臣秀吉の「北条征伐」後、関東に入った「徳川家康」は松井松平家の「松平康重」に騎西2万石を与えて騎西藩(私市藩)が立藩された。慶長6年(1601年)11月、康重は常陸国笠間…詳細を見る -
深谷藩/酒井家5万石:酒井忠勝 川越藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 深谷藩 【説明】 元和8年(1622年)、「酒井忠勝」が1万石で入封し「深谷藩」が立藩される。忠勝は寛永元年(1624年)8月、上総・武蔵・下総国内に2万石を加増され、老中に列せられる。 …詳細を見る -
岡部藩/安部家2万2250石:安部信発 幕末の動乱の中三河国半原藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岡部藩 【説明】 安部氏の歴代藩主の多くは、大坂定番・加番などを務めている。第7代藩主「安部信允」も大坂定番を務め、藩校「就将館」を設置している。幕末の藩主「安部信宝」は「高島秋帆」の身柄を預かり、ま…詳細を見る -
八幡山藩/松平家1万石:松平家清 三河国吉田に加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 八幡山藩 【説明】 豊臣秀吉の北条征伐後に「徳川家康」が関東に入封し、江戸城に本拠を構えると、「松平家清」に児玉郡八幡山1万石を与え、八幡山藩を立藩させた。藩政は父「松平清宗」が専任し、家清は天正19…詳細を見る -
本庄藩/小笠原家1万石:小笠原信之 下総古河藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 本庄藩 【説明】 「小笠原信嶺」が本庄城の新城主として当地を治めたが、入城してから8年目の慶長3年(1598年)に死去し、その家督を継いだ「小笠原信之」が本庄藩初代藩主となった。 信之は徳川四天…詳細を見る -
岩槻藩/大岡家1万8千石:大岡忠恕 江戸薩摩藩邸焼討に参戦するも一転恭順して家名を保った岩槻藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岩槻藩 【説明】 岩槻藩は「大岡忠恕」の時代に幕末の動乱に加え天災が重なり、さらには岩槻城の本丸焼失などの不幸が相次いで、財政は破綻寸前となった。このような中で忠恕は慶応2年(1866年)3月29日に…詳細を見る -
忍藩/松平家10万石:松平忠誠 戊辰戦争では新政府軍についた忍藩【幕末維新写真館】
【藩名】 忍藩 【説明】 忍藩3代藩主「松平忠国」は所領10万石のうち5万石を上総・安房に移されたため、異国船の警備を任じられた。嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊が来航して幕府に開国要求が迫ると、幕府は短期間…詳細を見る -
川越藩/松平家8万4千石:松平康載 老中の座を辞して新政府軍に恭順した川越藩【幕末維新写真館】
【藩名】 川越藩 【説明】 幕末の藩主「松平康英」は慶応4年(1868年)、新政府軍に恭順することで藩論をまとめ、老中を辞する。その後恭順の意を示そうと上洛するが、新政府軍に近江国の飛地領2万石を没収の上で謹慎…詳細を見る -
下総三浦藩/三浦家1万石:三浦重勝 無嗣改易のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下総三浦藩 【説明】 天正18年(1590年)8月、豊臣秀吉の「北条征伐」後に「徳川家康」は関東に移封され、家臣の「三浦重成」は上総国山辺郡・下総国印旛郡などに1万石の所領を与えられ、下総三浦藩を立藩…詳細を見る -
舟戸藩/本多家1万5千石:本多正永 沼田藩・駿河田中藩へ移封のため飛地となる【幕末維新写真館】
【藩名】 舟戸藩 【説明】 元禄元年(1688年)、本多正貫の孫の正永が寺社奉行になり1万石に加増されて大名となった。そして「舟戸藩」が立藩された。正永は元禄14年(1701年)に上総・下総国内において5000…詳細を見る -
栗原藩/成瀬家1万6千石:成瀬之虎 無嗣断絶にて改易の上廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 栗原藩 【説明】 元和2年(1616年)、「成瀬正成」は尾張藩主となった家康の九男「徳川義直」の付家老となったため陪臣扱いとされた。所領下総や各地に分散していたが尾張犬山へ移された。この時、正成の次男…詳細を見る -
曾我野藩/戸田家1万1千2百石:戸田忠綱 明治初期に下野高徳藩から移封により立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 曾我野藩 【説明】 曽我の地は江戸時代を通じて幕府直轄領であった。明治2年の「廃藩置県」により葛飾県の管轄となり、明治3年(1870年)3月には、下野国高徳藩知事であった「戸田忠綱」が曾我野に移封とな…詳細を見る -
岩富藩/北条家1万石:北条氏重 下野富田藩に移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岩富藩 【説明】 北条氏勝は天正18年(1590年)、豊臣秀吉による「小田原征伐」の際に「玉縄城」で善戦したが、本多忠勝や榊原康政の説得を受けて徳川家康に降伏し、やがて家康の家臣となった。この氏勝が小…詳細を見る -
臼井藩/酒井家3万石:酒井家次 上野国高崎藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 臼井藩 【説明】 戦国時代、臼井の地は千葉氏の家臣「原氏」が治めていた。豊臣秀吉の「小田原征伐」で原氏が滅亡した後、徳川家康が関東に入封し、三河国吉田城主「酒井家次」が3万石で臼井に入り、臼井藩を立藩…詳細を見る
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